2013年3月3日のブックマーク (8件)

  • 居場所がない

    会社に行けば仕事が待っている。 ネットでくだらないことをつぶやけば、リプライが返ってくる。 でも、こうして週末にやることがなくひとりPCに向かって夜がふけるのを待っていると、寂しさを通り越して息苦しくなる。 何をするにも発信するにも周りの反応ばかり気にしているうちに、自分がなくなってしまった。 ありのままの自分って何?最上級の許しはどうやったら、誰からもらえるのだろうか? もっと堕ちてダラダラと生きて、それが単純に楽しく感じられればいいのに、周りを見ては自分のダメなところばかりを探して、ますます辛くなる。 周りの情報をシャットアウトすると、今度は孤独が喉を締め付ける。 何も気にしなければ、他人の世界の風景として何一つ問題なく生活が出来るはずなのに、そこに余計な寂しさを求めにいく自分は、どうかしているのだろうか? これから何を頼りに生きていけばいいのか・・・。 【追記】 まさかのホッテントリ

    居場所がない
    urbansea
    urbansea 2013/03/03
    私は会社しか居場所はないし、仕事関係しか人間関係がない。社会的な価値も存在価値も、会社員であるより他になにもない。ブラック企業だろうが社畜だろうが、それしかアイデンティティがない。
  • blogはスライドの時代へ - 青色2号

    表題の通りです。 たいへん面倒臭かったのでもう二度とやりません。

    blogはスライドの時代へ - 青色2号
    urbansea
    urbansea 2013/03/03
    モノローグのようでモノローグでなく、しかも間がつくれるから、面白い。(擬似ダイアローグの成立?)
  • 夏川結衣 - Wikipedia

    夏川 結衣(なつかわ ゆい、1968年6月1日[2] - )は、日の女優、元モデル。名、宮川 美紀[2][3]。 熊県八代市出身[2][4]。八代白百合学園高等学校卒業[2][4]。テアトル・ド・ポッシュ所属[注 1]。1991年度ユニチカスイムウェアキャンペーンモデル[5]。 来歴 高校卒業後、福岡でモデル活動をしていたが、スカウトされ22歳で東京に進出する[6]。雑誌『non-no』のモデルやユニチカスイムウェアキャンペーンモデル[5]などを経て[注 2]、1992年にドラマ『愛という名のもとに』で女優としてデビュー、『空がこんなに青いわけがない』(1993年公開)で映画デビューし、『夜がまた来る』(1994年公開)で映画初主演を務める[3]。『人間ドキュメント 夏目雅子物語』で夏目雅子役に抜擢されるなど第二の夏目雅子と言われるほどの美貌で人気を博した[7][6]。 人物・エピソ

    urbansea
    urbansea 2013/03/03
    >>橋爪功は映画「東京家族」の撮影の際、「『あんた、監督がこの映画にかける意気込み分かってんの!?』って叱られた」と語っている
  • 「一条さゆり」の死顔・・。 - 馬糞風リターンズ

    「一条さゆり」に何故こだわるか、それは極めて簡単な事で僕が「助平」だからです。 昭和42年、三重県近鉄四日市駅裏のストリップ劇場「別世界」で「一条さゆり情念のローソクショー」を観てからすっかり「さゆリスト」になり、ストリップ劇場「追いかけ」をしていました。 昭和45年の夏だったと記憶しています。岐阜柳ケ瀬の裏通り「真砂座」(現在もあるようです)で警察が踏み込み、一瞬場内の照明が落ちて真っ暗になり、ドサドサと慌しい人間の移動があり「動くな!」「照明を点けろ!」と「怒声」が飛び交いました。 薄暗い舞台照明ではなく、館内の灯が全部点きました。その時の恥ずかしさには「参った、参った」の一言に尽きます。舞台には数人の私服の警官が「踊り子・一条さゆり」に「浴衣」を羽織らせ連行していきました。舞台裏から数人の「踊り子」や劇場関係者など何人かの男たちも連行していきました。 さっきまでライトを浴びて「一条さ

    「一条さゆり」の死顔・・。 - 馬糞風リターンズ
  • Blogger

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    urbansea 2013/03/03
    こういうの、どんどん読みたい。
  • 藤田太寅 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "藤田太寅" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2023年2月) 藤田 太寅(ふじた たかのぶ、1938年〈昭和13年〉1月17日 - 2018年〈平成30年〉5月28日[1])は日の経済ジャーナリストで、元NHK記者・解説委員。 人物・来歴[編集] 東京都出身。寅年に生まれたことから「太寅」と命名された。 NHK時代[編集] 東京大学文学部社会学科を卒業後、1963年NHKに記者として入局。初任地は新潟局。東京に異動後は報道局経済部で当時の大蔵省、経済企画庁などを担当。その後大阪局報道デスクを経て報道局記者に復帰。「NHK

    urbansea
    urbansea 2013/03/03
    記事中にはないが、NHK特集で四代目山口組を特集した際のインタビュワー
  • 高山博武 - YAKUZA Wiki

    urbansea
    urbansea 2013/03/03
    中野太郎のボディガード。解散後、山口組。>>以前は一和会加茂田組系列組織にいたと言われている。
  • 七人ミサキ - Wikipedia

    七人ミサキ(しちにんミサキ)または七人みさき(しちにんみさき)は、高知県を始めとする四国地方や中国地方に伝わる集団亡霊[1]。 概要[編集] 災害や事故、特に海で溺死した人間の死霊[1][2]。その名の通り常に7人組で、主に海や川などの水辺に現れるとされる[1]。 七人ミサキに遭った人間は高熱に見舞われ、死んでしまう[1]。1人を取り殺すと七人ミサキの内の霊の1人が成仏し、替わって取り殺された者が七人ミサキの内の1人となる。そのために七人ミサキの人数は常に7人組で、増減することはないという[1][2][3]。 この霊の主は様々な伝承を伴っているが、中でもよく知られるものが、『老圃奇談』『神威怪異奇談』などの古書にある土佐国(現・高知県)の戦国武将・吉良親実の怨霊譚である。安土桃山時代、吉良親実は伯父の長宗我部元親の嫡男・長宗我部信親の死後、その後嗣として長宗我部盛親を推す元親に反対したため