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  • 「たけしメモ」から学ぶ 笑いのいろは - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    「元気が出るテレビ」の冒頭の名物コーナー 「たけしメモ」 複数の作家で集めたネタをたけしが読み上げていたのかと思いきや、10年もの放送で毎回頭を抱えながら たけし人が作成していたという。 そのメモを紐解いていくとそこには笑いの基礎となる 教科書的ないろはが詰まっていたのだ。 ただおもしろい事を羅列するのではなく、そこにはフリップ芸ならではの流れを作るべくある法則性がある事に気づく 2つの実際のたけしメモからそれを簡潔に分析してみる こんなボディーガードはいらない ・小さい ・必ず遅刻する ・必ずはぐれる ・とりあえず逃げる ・サインをねだる ・強い方につく ・やたらトイレが近い ・異常な目立ちがり ・反応が遅すぎる ・反応が早過ぎる ・人嫌いである ・見てみぬふりをする ・自分のボディーガードもいる ①お題の対象物から人々がイメージする真逆の印象を散りばめる ・小さい ←→ ごつい ・と

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    urbansea 2010/07/16
    このコーナー「わっ毒ガスだ」時代の名残を楽しめた
  • 80年代の懐かし画像集 ■80年代後半〜90年代前半を回顧するブログ

    80's キーワード検索でヒットしてたまたまお邪魔しましたが・・・ すごい!このラインナップ!! 懐かしいやら、なんだか笑えるやら。 もはや感動的ですね。 「巨大迷路」って流行りましたよね~。 思わぬタイムスリップができ楽しかったです。

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    urbansea 2008/09/23
    無駄に付け足していく商品の数々 チクタクバンバン(野村トーイ)は斬新
  • SMAPのドッキリはなぜあんなにもリアルだったのか? - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    夏の終りに怪談話でもひとつ SMAPのドッキリは、なぜあんなにリアル性を追及したものだったのか? 全国に果たして何人がこの部分にひっかかっているのか不明だが、少なくとも私はひっかかっていた。そしてこの疑問を追及することが、「歌舞伎町アンダーグラウンド」の著者のような末路を辿る可能性を承知であえてその危険な領域に踏み込みたい。 この疑問に至った理由には、SMAPに関わる過去の3つのドッキリがある。 ・スターどっきり(秘)報告 木村×中居×森 のケンカ ・スターどっきり(秘)報告  ブラザー・コーン×木村拓哉 の修羅場 ・夢がMORIMORI プロデューサー激怒 この3つのドッキリに共通しているのは、すべて怒りをテーマにして乱闘に発展するも、種明かししてもそれがリアルすぎて全く笑えないという点である。 スターどっきり(秘)報告  ブラザー.コーン×木村拓哉 仕掛け人   ブラザー・コーン その

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    urbansea 2008/08/22
    キャラづくりの模索としてのどっきり >>この3つのドッキリに共通しているのは、すべて怒りをテーマにして乱闘に発展するも、種明かししてもそれがリアルすぎて全く笑えないという点である。
  • 久米宏 飽くなき探究心 ■80年代後半〜90年代前半を回顧するブログ

    ニュースステーションは1985年~2004年まで続いた 誰もが知るニュース番組である キャスター久米宏あっての番組であり、 彼のスタジオや中継で出てくる政治家や話題の人物をとことん追求する飽くなき姿勢が、 物議をかもしつつも視聴者の支持をうけていた とある日 松たか子さんがゲストにやってきた時だった 番前に松たか子が喫煙している姿を偶然目撃したらしく 「ゲストの松たか子さんです」と紹介されるや否や 久米「いやー驚きましたよ、松さんタバコ吸われるんですね?」 松 「(鳩が豆鉄砲~な顔)( ゚д゚)」 オレ (桃井かおりならいざしらず、その話題はイメージダウンに繋がるのでは・・) 久米「意外だなー。そんな風に見えなかったから・・」 松 「・・(苦笑い)」 オレ (まぁ意外だな) 久米「(受け答えをしない松へさらに)あれ?吸ってましたよね?」 松 「えぇ・・( ´Д` )」 オレ (まだつっこ

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    urbansea 2008/08/22
    NSにて松たか子に「いやー驚きましたよ、松さんタバコ吸われるんですね?」と切り出ししつこく聴く久米。 (wiki >>ゲストとして2夜連続の出演予定だったが、翌日は出演をキャンセルした)
  • たけしの挑戦状 開発秘話 - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    ファミコン最大の問題作 たけしの挑戦状 この伝説のゲームに携わった関係者の話を紹介(ゲームセンターCXより) まず意外にもこのソフトの売り上げは80万 ドラクエⅠと同じぐらいの出荷台数で 少なくとも80万人の子供がもがき苦しんだ訳ですねw <タイトー開発者> ・開発の人間が真面目な人でたけしの言うことを全てメモし、 酒が入った酔っ払った時の発言までメモを書きとめ それをそのままゲームにしてしまった ・開発者は開発より、開発後の電話の応対のほうが苦労した ・このゲームに携わった関係者は疲れ果て、その後全員会社を去った <公式攻略 出版社> ・出版直後に「オマエのとこのを読んでもクリアできない」 と子供から毎日400件以上の苦情電話 ・あまりの苦情電話の多さに、担当者は死んだ と子供に説明www 攻略担当者曰く 「攻略があっても解けない」そうですw その後、行き場を無くした子供達は、矛

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    urbansea 2008/08/22
    80万本の出荷でドラクエ1と同じくらい 攻略本の版元>>「オマエのとこの本を読んでもクリアできない」と子供から毎日400件以上の苦情電話 あまりの苦情電話の多さに、担当者は死んだ と子供に説明www
  • TBS 昼枠の迷走 ■80年代後半〜90年代前半を回顧するブログ

    見ておわかりの様に各局とも10年以上の長寿番組となっており、いいともとおもいっきりテレビに至っては20年も続いている。一見ワイドスクランブルが低いようにみえるが10年の平均値であり、ここ数年視聴率は上がっており、逆に「いいとも」は右肩下がりで、お互いしのぎを削っている状況といえる。そんな中TBSのお昼枠は悲惨という言葉では生ぬるい状況となっている。 <TBS昼枠 番組継続期間と平均視聴率> 「山田邦子のしあわせにしてよ」(1995年4月~1997年3月 出演:山田邦子) 2年   4.1 「ちょっと言わせて」(1997年4月~9月 出演:うつみ宮土理) 6ヶ月  3.0 「黄金のレシピ」(1997年10月~1998年3月 出演:うつみ宮土理) 6ヶ月  3.3 「宮和知の熱血!昼休み」(1998年4月~9月 出演:宮和知) 6ヶ月  2.6 「おサイフいっぱいクイズ! QQQのQ」(1

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    urbansea 2008/08/22
    「宮本和知の熱血!昼休み」(6ヶ月・平均2.3%) 「おサイフいっぱいクイズ! QQQのQ」(2ヶ月・上岡・鶴瓶)>>最低視聴率0.9%…ちなみにこの0.9という最低視聴率は現在も破られてないタイトルホルダーだそうです
  • 大型筐体ゲーム ■80年代後半〜90年代前半を回顧するブログ

    先日ディズニーランドのとある人気のアトラクションに行った。 周りの悲鳴とは相反し、私は冷めきっていた・・ ぬぐえない乗らされている感 体中に広がる虚無感 トキめかない・・  トキめかない・・ 先日あるレトロなゲームセンターに立ち寄った わずか100円で心が舞い踊った 心の底からトキめいた! そう それは80年代の体感ゲームであった(笑) 家庭用ゲーム機では決して味わうことの出来ないバブル時代に次々と造られた大型筐体ゲーム。 そこにはまさにファンタジーと呼べる世界があった。 スペースハリアー 1985年 主人公ハリアーを操作し幻想的な異世界を突き進む擬似3Dシューティングゲーム。今考えるとキャラクターをパーツに分けてそれぞれを拡大率の違うグラフィックとして表示することで遠近感を出しているだけなのだが、まるで自分がそこで走っているような疾走感を与えてくれるゲームであった。なんと筐体の出荷価格は

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    urbansea 2008/08/22
    アウトラン ハングオン アフターバーナー。スーパーモナコGPが抜けているけれどもどれも懐かしい。 >>体感ゲーム史上No,1の呼び声も高いアフターバーナー。
  • M-1グランプリの黒歴史 ■80年代後半〜90年代前半を回顧するブログ

    M-1グランプリ この大会でメジャーを駆け上がっていった芸人は数知れず、今やお笑い賞レースの最高峰と呼べるものまでになった。 島田紳助の提案から過去6回行われてきているこの大会も、インフラ設備が確立していない初年度からの数年は、手探り状態で運営が行われていた。特に初年度の2001年大会は、優勝した中川家以外、全員公開惨殺ショーとなったともいえる。 その処刑人は一人一点を与えられた、札幌・大阪・福岡の吉興業の劇場に集まった各100人の一般客であった。 トップバッターが中川家という事もあり、一般客の点も200点前後(300点満点)の無難な点で推移していた。 しかし、この空気をDonDokoDonが一変させる事となる。 山口のモノマネを駆使したネタで会場では笑いも起きたが、一般審査員の点が出た時、彼らは凍りつく事となった。 (札幌:47 大阪:18 福岡:29) 合計94点 特に低かった大阪

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    urbansea 2008/08/22
    第1回の冷えた客 第2回のテツ&トモのウケる客・冷える審査員 / 末尾の談志のコメントは主旨を取り違えている
  • 「燃えろ!プロ野球」 謎の効果音 - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    80年代後半、プロ野球は130試合フルで放送され、その平均視聴率は軽く20%を超えていた野球熱狂の時代であった。当時の子供達は野球少年でなくともファミスタの影響で、パリーグの下位打線の選手すら知っていたものだ。 このファミスタの独占市場を打破すべく、1987年にジャレコから出たのが 燃えろ!プロ野球 であった。 このゲームは発売前に大ヒットは決まっていたともいえる。 何故なら当時としては異例のとことんリアルを追求したゲーム性にあった。 ファミスタの様にそれまでの三頭身のキャラとは違い、ピッチャー視線の固定カメラアングルながら、一目でわかるクロマティやバースといった選手の描写。また宣伝の方法も巧みで、ファミスタではありえない乱闘シーンをも再現し、発売前ながら野球ファンの心を鷲掴みしていた。 ファミスタ87で苦渋をなめた私は、このゲームを心待ちにしていた。 しかし、その期待とは裏腹に、このゲー

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    urbansea 2008/08/22
    >>燃えプロは全て実名として選手を無許可で登場させ、実際の球団・人物とは関係ありませんとの注意書きの暴挙にでる。
  • CMタイアップ曲と商品との距離考察 ■80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    マリちゃんはヘヴィメタルこと、浜田麻里の代表曲 「Return to Myself」(1989年)を皆さん覚えていると思う。 では、この曲の正式名は 『Return to Myself ~しない、しない、ナツ。』 である事はご存知だろうか? そう、副題に「しない、しない、ナツ」と付けられているのだ。 この歌のサビでは Return to myself 自分らしい恋をそう 見つけたの Return to Myself 心染めなおし しない しない夏 の最後の一節からきてるのはわかるのですが、この一文が副題にくるほど重要でしょうか?この部分の歌詞は実際「心染めなお~ ししない」と非常に難解な部分で区切られており、今初めてこの歌詞を知った方もいるのではないかと思います。最後の締めの歌詞としては文字あまり感があり、どうもこの一文は不自然な部分が多いのです その後の私の人生において夏が来るたびに「し

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    urbansea 2008/08/22
    タイアップの歌謡史まとめ / BENNIEK「Dreamland」は正確にはタイアップではなくCMソングを後にCD化
  • フライデー襲撃事件の本当の恐怖 ■80年代後半〜90年代前半を回顧するブログ

    フライデー襲撃事件 1986年12月9日未明、 ビートたけしが当時交際中の女性に対する記者の取材ぶりに怒り、写真週刊誌『フライデー』出版元の講談社を襲撃した事件である。 たけしに懲役6ヶ月、執行猶予2年の有罪判決が出た事でもわかる通り、人気絶頂の芸能人が集団で暴行で逮捕されるという芸能史に残る衝撃的な事件だったといえる。 一方、講談社側の取材にもかなり問題があり、当時の世論はたけし同情する声も多くみられた。近年はそのまんま東がエレベーター最後に乗り込んだ事で結果先陣を切るハメになったなどお笑いエピソードとして繰り返し話され、20年という月日がこの事件を軟化させている傾向がある。 もう今となっては軍団の一種のパフォーマンスだったのでは?との声さえあがるほど風化している感があるがそれを覆す、 この事件当の恐ろしさを知る、公に出来ないであろうエピソード話があるのだ。 まず最初に言っておかねば

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    urbansea 2008/08/22
    枝豆に連絡しなかった理由 >>つまみ枝豆氏はその昔軍団に入る前は活動派の右翼団体員で逮捕歴もあり、木刀持ってソ連領事館の塀を乗り越えたことなどその逸話は数しれないのだ。
  • 松田聖子「抱いて・・・」のハプニングを検証する - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    ライブドアブログ移転にともない、アドレス変更となります。 ◆引越し先: http://blog.livedoor.jp/kaiko80s/ ◆新RSS   http://blog.livedoor.jp/kaiko80s/index.rdf お手数ですが、よろしくお願い致します。

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    urbansea 2008/08/21
    88年夜ヒットでの演出と聖子にとっての88年(80年から続く24作連続オリコン一位が途絶える且つサンミュージックから独立)。
  • カセットテープ哀歌(エレジー) - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    学生時代といえば、貧富の差が出ないように皆同じ制服で統一され平等化がはかられる。 それでも貧富の差というのは、学校内でもどうしても出てきてしまう。 私の時代だと真っ先に浮かぶのはやはりエアージョーダンだろうか。 私は母親がダイエー辺りで買ったであろう謎の中国製のスニーカーを履いていたが、 バスケ部などを中心に校則の抜け道ともいえるおしゃれなバッシュ(バスケットシューズ)を履いてくる者が多数いた。 しかし、惨めな気持ちなどなかった。何故なら私の方が圧倒的多勢で、エアージョーダンの方がマイノリティだったからだ。 そんな私でも死にたいほど惨めな気持ちになった思い出がある。 それはカセットーテープである。 「iPod」や携帯など、音楽が昔よりもかなり手軽に持ち歩ける時代になったが、昔はカセットテープが主流であった。 カセットテープといえばそのグレードに応じて 「ノーマル」 「ハイポジション(ハイポ

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    urbansea 2008/07/02
    昭和っ子の悲しみ 「何だかわからないが、自分のあらゆる恥部が集約されたものを見られた気がした」
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