田上 等(たがみ ひとし、1950年3月28日 - )は日本の政治活動家。1970年代、菅直人らとともに市民運動に参加し、社会市民連合(まもなく社会民主連合に改称)結成後は国政選挙や神奈川県議会議員選挙にしばしば立候補したがいずれも落選した。 横浜市西区浅間町生まれ。1962年横浜市立浅間台小学校卒業、1965年横浜市立岡野中学校卒業[1]、1968年神奈川県立横浜平沼高等学校卒業、1974年慶應義塾大学法学部卒業。大学在学中にベーチェット病患者救済運動に関わる[2]。1974年の第11回参議院議員通常選挙で市川房枝の応援に菅直人らと携わった[3]。彼女の院内会派であった参議院第二院クラブ事務局長を経て、1976年の第34回衆議院議員総選挙に菅が東京都第7区から出馬した際には選挙対策本部事務局長を務めた[4]。社会市民連合結成に参加し、まもなく改称した社会民主連合から1979年の神奈川県議