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2011年1月29日のブックマーク (4件)

  • 「ETV特集 なぜ希望は消えた?」 - apesnotmonkeysの日記

    昨年の10月に放送された際、ながら見していたら思いのほか面白かったので録画しておかなかったのを後悔したETV特集「なぜ希望は消えた?〜あるコメ農家と霞が関の半世紀〜」が今年の9日に再放送されたので、今回はちゃんと録画して再見。 いま話題のTPPについては農業関係者、農水省、あるいは農業(料問題)に関心のある人々の間から反対論が出ているのはご承知の通り(もちろん、農業への関心からTPPに賛成する人もいるが)。その当否について云々するための知見はもちあわせていないけれども、一つだけ確かなのは「たとえTPPに参加しなくても、このまま行けば日の農業は立ち腐れ」ということだろう。はなしは逸れるが先日話題になった自称「一日の費は300円で十分」なひとの主張に反してその金額ではディーセントな生活を送るのが難しい理由の一つは、特に野菜の値段が高いからではないだろうか。 番組では「霞ヶ関」の目論見が

    「ETV特集 なぜ希望は消えた?」 - apesnotmonkeysの日記
  • 意外?戦国期の甲冑、奈良が独占 寺の武装影響…職人440人 - MSN産経ニュース

    戦国武将が着飾った甲冑(かっちゅう)の最大生産地が、戦国時代では存在感の薄い奈良だったとみられることが25日、元奈良県立美術館長の宮崎隆旨(たかし)さん(67)の研究で明らかになった。シェアだけでなく品質も他産地を圧倒していたとみられ、需要がピークだった慶長年間(1596~1615年)には、奈良に約440人の甲冑師がいたと推計。奈良産の甲冑が全国的なトップブランドだった可能性が高いという。 甲冑には製造場所が記されず、産業としての研究は進んでいなかったが、宮崎さんは生産地側の文献史料を集め、時代や地域ごとに甲冑師の概数を比較した。 その結果、室町後期から戦国時代を経て江戸中期にかけ、奈良は全国最大の生産地で、ピーク時には約440人の甲冑師が存在し、京都、大阪、江戸がこれに続くことが判明した。 甲冑の一部には作者の銘が印刻されており、海外も含めた各地の甲冑の銘を解読した結果、奈良が群を抜いて

    usataro
    usataro 2011/01/29
    「周防の戦国大名・大内義隆が厳島神社に寄進した奈良製で最古級の甲冑」「シェアだけでなく品質も他産地を圧倒」「慶長年間には、奈良に約440人の甲冑師」「奈良産の甲冑が全国的なトップブランドだった可能性」
  • 女性のための近江戦国山城マップ/滋賀県

    滋賀県教育委員会では、5月よりボランティアスタッフを募集し、企画・制作を行ってまいりましたが、このたび「女性のための近江戦国山城マップ」が完成しました。 大河ドラマをはじめとして近江の戦国時代に注目が集まっている昨今、このマップ作成によって、近江戦国時代の山城の魅力をより身近なものとし、全国に広く発信していきたいと考えています。 ◆マップは以下からダウンロードしていただけます。すべてA4版です。 安土城(表面)(PDF:183KB) 安土城(裏面)(PDF:190KB) 佐和山城(表面)(PDF:235KB) 佐和山城(裏面)(PDF:198KB) 小谷城(表面)(PDF:212KB) 小谷城(裏面)(PDF:228KB)

  • 寒すぎる箱館奉行所 「幕末」忠実に復元し時に氷点下 苦情相次ぐ−北海道新聞[文化]

    寒すぎる箱館奉行所 「幕末」忠実に復元し時に氷点下 苦情相次ぐ (01/23 13:01、01/23 13:06 更新) (上)防寒着を着込んで解説するスタッフ。雨戸を閉め切っているため、自慢の「違い棚」の美しい木目も暗くて見えない(下)「寒すぎる」と苦情が出ている箱館奉行所 【函館】函館市が昨年7月、国特別史跡・五稜郭内に復元し、初の冬を迎えた箱館奉行所で観光客から「寒すぎて十分見学できない」との苦情が相次いでいる。完全復元を原則とする国の方針に従い、幕末期の構造を忠実に再現したため通気性に富み、暖房設備が十分でないためだ。管理する市教委は、文化庁と近く対策を協議する。 「今の室温は2度。時には氷点下になる」。奉行所奥の暖房機のない部屋で、加納裕之館長(78)は話した。「室内でもコートは手放せない」という。 箱館奉行所は1864年(元治元年)に幕府が北方警護のため建設し、71年(明治4年

    usataro
    usataro 2011/01/29
    近代以前の建築なんだから寒いのは当たり前。/どういう感覚を持った人が苦情言ってるのか興味がある。江戸期の建物知らない人とか?