高さ約7メートル、長さ約90メートルにわたる巨大さが無用の長物だとして、「アホウ塀(べい)」という名で住民に親しまれてきた長崎県壱岐市の旧家の石垣。 市が「イメージが悪い」として「大石塀」に名称変更したところ、住民から「愛着がわかない」と不満の声が上がり、論争が巻き起こっている。 市によると、石垣を築いたのは、江戸時代に捕鯨で財を成した土肥家の4代目市兵衛。地元では土肥家は日本における「鯨王」と呼ばれ、鴻池、三井と並ぶ三大富豪と言われていたという。 市兵衛は1767年、巨費を投じて、入り口に大門を構え、屋内に施した彫刻に金銀をちりばめた邸宅を建築。約3年かけて築いた石垣は、あまりの大きさから、「無用の長物のようだ」として、いつしか「アホウ塀」と呼ばれるようになった。 歴史・文化的価値が評価され、2006年2月、周辺の屋敷跡などとともに水産庁の「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選