今年の内でないと、書く機会を逃すので、安倍談話について書き止めておきたい。 内容ではなく、形式的な論点だ。 戦後70年の安倍談話を読んだ誰もが、敬体と常体を混用した文章に違和感を持ったに違いない。 ところが、この点を問題としたマスコミはないように思う。 安倍談話は敬体で書かれている。 数カ所に常体を混用する必然性があったとは思われない。 常体が混用された部分を敬体にして反芻してみたが、常体の混用が明白に効果的だという部分はほとんどなかった。 効果があるとしても、せいぜいが趣味、好みの範囲である。 要するに安倍談話は、趣味で敬体の中に常体を混用してみせたのである。 敬体と常体を混用するのは、文学的な修辞の世界でなら何も問題はない。 文法破りに効果があるかどうかは、作者、筆者のセンスによる。 しかし、一国の総理大臣が、戦後70年という節目に、後世に負担を負わせないという決意を込めて発したとされ