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精神に関するuske2000のブックマーク (2)

  • ボロメオの結び目(ジャック・ラカン) - ももち ど ぶろぐ

    「三位一体モデル」の基底にあるものとしてのラカンの「ボロメオの結び目」の理解。つまり人間の三つの界のトポロジーとしての理解。 ラカンは難解だといわれているが(たしかに難解だけけれども)、想像界、象徴界、現実界の成り立ちぐらいを概観的とらえれば、この三つの輪のトポロジーの意味するところの理解は十分なのじゃないだろうかと(私は)思う。 べつに精神分析をやろうとしているわけじゃないしね。(笑) なので以下概観的に。 鏡像段階 (写真:ロラン・バルト:『彼自身によるロラン・バルト』:p25―鏡像段階「お前が、これだよ」―) まずは、〈想像界〉である。 それは、お母ちゃんのおっぱいを飲みながら、うんことおしっこ垂れ流しの幸せな記憶だ。そして人間が人間として育つのなら避けられない段階でもある。 それは、私たちが、どうしても〈つながりたい〉という気持ちをもってしまうことや、子宮的構造に惹かれてしまう根源

  • 医学都市伝説: 狂気に「見返り」はあるのか

    2006年01月16日  狂気に「見返り」はあるのか [医学・科学関連] 内田樹氏のブログにこんな記載があった。元の記事は能の「安達原」に関してのもので、私は無粋な人間なのでその内容にはまるで関心も理解も欠いており、記述の一部を文脈を外して取り出すのはまずいような気もするが、やはりあえてそうせずにはいられないのである。内田氏は、知り合いらしい方が「安達原」を新解釈で演出(能にそんなのあるのか)したものを見に行かれて、「『鬼であることは婆であることよりも気持ちがいい』という『疾病利得』をふまえたものだ」という理解によるものだと見抜かれるのである。どうして、人間が鬼になるのか。 「鬼になって人をらう」というのはあきらかに深く精神を病んでいるということである。 しかし、人間は決してただ精神を病むのではない。 「見返り」がある場合しか人間は狂わない。これは内田氏自ら、精神科医の春日武彦氏か

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