さしみ @ssm_cos フライングタイガーで買ったケーキスタンド、我が家にアフタヌーンティーという文化が無いせいで王将の餃子乗せることしかできない pic.twitter.com/ib3FRSkgpZ
まとめてやることで効率化する要件なら、それようのメモ帳を用意してそこに積み上げる。 後日やることになるのならカレンダーに予定を入れてしまう。 ゴミ捨ては玄関のじゃまになる所においてドアをくぐるたびにゴミ捨ての日かを思い出すようにする。 そういった「必要になったら思い出すので、忘れてしまって問題がない状態」に持っていかずに、「あとでやることにして、簡単だからメモにも取らずに覚えておこう」とするのはコスパが悪い。 リマインドを物理的に脳の外側にセットしなければ、その「あとで」にたどり着くまでにそのことをずっと覚えておく必要がある。 そのことでロックされる脳のメモリが10%程度だとしても、それまでの間ずっと10%性能が下がった脳みそで過ごすことになる。 こんな無駄はない。 朝玄関を出てから思い出して、夜帰ってきてからやろうとしたとする。 10時間の間脳の片隅で10%メモリがロックされれば、それは
人文学の源流を訪ねて 前回私は、日本学術会議問題という時事的問題から、人文学叩きの問題、そして「役に立つ」学問と教育をめぐる問題を論じた。本連載で一貫して論じてきたところではあるが、そこで明らかになったのは、人文学批判、そして人文学を「役に立たない」学問にカテゴライズして葬り去ろうとする動きの文脈には、新自由主義の緊縮財政があり、また緊縮財政を背景とした大学内部での「政治」(人文学を担う旧教養課程が「狩り場」となったことなど)が存在したことだった。 学問が「役に立つ/役に立たない」こと、そして人文学が役に立たない学問の代表として扱われていることには、確かに現代の新自由主義特有の論理があるだろう。しかし、「役に立つ/立たない」という問題設定と人文学の位置づけは、まったく新しいものとは言えない。ほぼ近代の人文学の始まりから存在してきたのではないだろうか。 今回は、一旦現在の日本から離れて、「文
この前PS5で決定ボタンが✕ボタンに変更されるという話題がありました。 nlab.itmedia.co.jp 前々からゲーム機のコントローラーのボタンの変遷についてまとめてみたいなーと思っていた所にこの決定ボタンの話題が来たので、ちょうど良い機会ということでブログにまとめてみます。 スーファミの決定ボタンについて調べたらやたら長くなったので、そこで一旦区切って「その1」としてます。その3まで書く予定。※追記:その5まで延びそう。 ファミリーコンピュータのコントローラ(83年7月) セガマークⅢのジョイパッド(85年10月) PCエンジンパッド(87年10月) メガドライブのコントロールパッド(88年10月) ゲームボーイ(89年4月) ゲームギア(89年4月) スーパーファミコンのコントローラ(90年11月) スーパーファミコンの決定ボタンはどれなのか? じゃあアメリカのスーファミことSN
GIGAスクール構想での配付される端末 GIGAスクール構想によって、一人一台の端末が公立小中学校の児童生徒に行き渡る予定(そしてそれが新型コロナウィルス感染症に伴う休校措置を受けてかなり前倒しになって進められた)なのですが、Twitterで報告される実態がちょっと「???」なので、いくつか取り上げておきます。 配付されたGIGA端末(iPad)での事例 今から信じられないことを言いますが、iPadの標準カメラアプリは使えない仕様になってます…。 — RH611598W (@RH611598W) 2020年11月6日 まずこれ。iPadの良さと言ったらiOSが今まで培ってきたカメラの素晴らしさですよ。 それがゴッソリ制限入ってます。何が目的なのか。おそらく盗撮とかそういうのを気にしての制限だと思います。 (そして他のアプリやWebサイトからのカメラ呼び出しという回避策は使える模様。意味なし
この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 他の出典の追加も行い、記事の正確性・中立性・信頼性の向上にご協力ください。 出典検索?: "旗振り通信" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2018年11月) 旗振りによる通信 旗振り通信(はたふりつうしん)は、江戸時代中期から明治期にかけての日本で、米相場など[† 1]の情報を伝えるために活用されていた、旗などを用いた通信システム(大型手旗信号の一種)である。「気色見」(けしきみ)、「米相場早移」(こめそうばはやうつし)、「遠見」(とおみ)ともいう[1]。 旗振り通信は江戸時代中期、全国の米価の基準であった大坂の米相場をいち早く他の地域に伝達するため、さらに地方の相場を大坂に伝えるために考案された[2]。起源は紀伊國屋文
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