無料だというので、つい。SPAに連載していたのは知っていたが、なんかオリジナルとトーンが違うなと敬遠していた。 金畑社長の過去の話がよかった。特に知らない話があったわけではないが、在日の心情をよく描いていた。12巻から14巻、あれは傑作と言っていいだろうし、ここだけ単独で読んでも問題ない。こういうの高校の授業で教えたらいいのにな。 新ナニワ金融道11巻 銭道立志編 新ナニワ金融道12巻 銭道無情編 新ナニワ金融道13巻 銭道群像編 新ナニワ金融道14巻 銭道天命編
日本人のための世界史入門 (新潮新書) 書店でざっと見たときは、どうしても序章から見るせいか、ああ、これは漫談風の本かなと思ったが、まあいいんじゃないかと思って読んでみた。結果、まあ、いいんじゃないか。 読みながら高校の世界史の授業を思い出した。というのは、高校の先生が、史実の説明にいろいろ主観的に漫談風にいろんな雑学的知識がまぜていた。 なかでも、小谷野さんのこの本については、世界史の英米文学作品の関連がちょこちょこ言及されていてよかった。このあたりのことは、意外と学ぶ機会がないものだなと常々思っていた。 内容的にも、高校の世界史を越えていない。新説についても固いところを抑えているので、ごく普通にこの本は受験参考書にもなるだろうと思う。参考書より読みやすいし、つっこみかたが高校生向きなテイストもいい感じだ。 小谷野さんが高島俊男のファンだというのはわかるし、そのあたりは固く抑えられていた
大筋でそう間違った議論でもないが、誰かを叩きたいという欲望が剥き出しで、それを「国会、省庁双方の意識の低さ」としているのが、情けない。 改めて思うのは、国会、省庁双方の意識の低さである。 薬事法改正の際、ネット販売の扱いは当然問題になった。だが国会での議論は生煮えで、結果として「対応は厚労省にお任せ」という事態を招いた。 まず簡単に言えることは、国会、つまり議会が問題だということは、一義には国民に責任があり、国民とその関係を切り込まないでいたジャーナリズムに次の責任がある。 「省庁」についてだが、これが非常に難しく、詳細を知る人が見れば、それなりに技術的にかなりよく詰めていた。特に、「指定第二類」が設定されているのは、実際には、ネット業界の育成(つまり業界基準の設定)をまってそこまで引くはずのものだった。これは、大衆薬チェーン店市場とのバランスを考えてのことで、現行ではチェーン店側が強くな
日本が河野談話を白紙に戻せば、慰安婦問題を苦労して政治決着させようとした過去の真剣な努力を自ら否定することになる。 毎日新聞は国会議事録を読んでないんだろうか。河野談話はきちんと自民党時代に踏襲されているんだが。変な妄想を社説でばらまくのはよしたほうがいい。 残念なことに韓国では国家賠償ではないとの理由で多くの元慰安婦が償い金を受け取らなかった。それが今も尾を引いている。日本はこれまで取り組んできたことを世界に説明し、あたかも歴史を否定しているかのような曲解をなくす外交努力が必要だが、韓国も河野談話の経緯をないがしろにすべきではない。 これ毎日新聞が問題の所在をよくわかってないということなんだろうな。少なくとも韓国司法の動向を踏まえて社説を書けばいいのに。 だが河野談話に基づき実施された民間主体の償い金事業や医療・福祉事業は韓国だけでなくフィリピン、インドネシア、オランダ、台湾など数カ国・
外信につよい毎日だけのことはあるな。よく書けている。 BMWとアウディに乗った犯人グループは大使公用車を尾行し、1台が幅寄せして停車させたという。インターネットで流れる反日宣伝に浮かされて街頭でデモをする普通の若者たちの仕業ではない。高級外車は、中国では軍や党の高官やその子女、あるいは「黒社会」と呼ばれる反社会組織の幹部が乗ると思われている車だ。背後関係がありそうだ。 大使館員が犯人の顔写真、犯行車両のナンバーを撮影して、公安当局に提出したという。北京市は防犯カメラが網の目のように設置され、テレビカメラを使ったナンバー読み取り追跡装置も発達している。犯人割り出しは難しいことではなかろう。 つまり読み出しが前提の犯行。 首都の大通りで、白昼堂々自動車強盗まがいの事件が起きたのは、中国の警備体制が緩んでいるからだろうか。そうではあるまい。秋の共産党大会を控えて、社会的な混乱は未然に防ぎたいとい
原発がゼロないし非常に低い稼働率に落ち込む中で、大停電なしにやってこられたのは、天然ガスの調達がスムーズにできたからだ。米国向けのカタール産天然ガスがそっくり日本に回った。米国はいわゆるシェールガス革命で自国産が急増し不要になったからだ。まことに綱渡りであった。だが、こうした偶然に今後も頼るわけにはいかない。 これは重要な指摘。さらに含みもあるんだが。 化石燃料の輸入代金は12年度、天然ガスの輸入急増などで福島原発事故以前の10年度に比べ4.6兆円の増加が見込まれる。貿易収支は赤字がちになってきた。少子高齢化が進んでおり数年後は経常赤字への転落が不可避であろう。国債市場の波乱が懸念される。天然ガスを筆頭にエネルギーの輸入価格は1円でも引き下げておきたい。 実際は総合的に考えたほうがいいのだけど。
全国11カ所で開催するが、これまでに開かれた3回のうち、仙台市では東北電力の企画部長が、名古屋市では中部電力原子力部の課長が、いずれも原発推進の立場で意見を述べた。発言者は、1会場9人に限られる。その1人が、原発推進の当事者である電力会社の幹部では、「国民の意見を聞く」という会の趣旨に反するし、公平性も疑われる。 電力会社の幹部として発言したのではなく、正当な手順で一市民として選択されたのだから、むしろこれを否定したら変更だし言論弾圧じゃないの。 原発政策を巡っては、国主催のシンポジウムなどで「やらせ」による世論誘導がなされ、国民の不信を招いた経緯がある。今回も、政府は15%案を軸に着地点を探っているとの見方がある。反原発運動が大きな広がりを見せている背景にも、そうした政府への強い不信感があるはずだ。 今回のはやらせではないし、手順の問題だというなら手順を改正すればいいんじゃないか。
この夏、電力制限令をかけるなら、もっと工夫が必要だ。 たとえば、電力が不足しそうな日や時間帯に電力会社が「節電」の競争入札を実施する。企業側は、希望する価格で捻出できる節電量を申し込む。電力会社は、値段の高い順に必要量を買い取る。こうした仕組みを早く実現すべきだ。 今年も、甲子園をなんとかしないといけませんね。 中長期的に脱原発を進めるうえで、電力不足による生活への影響や産業の空洞化、雇用の喪失には十分な配慮がいる。必要最低限の原発を動かさざるをえない局面もあるだろう。 まあ、脱原発もいいけど漸進的に進めるべきでしょう。日本では報道がなかったし、英語圏ではあまり報道がなかったけど、先日ドイツは原発の休止で大停電に瀕した。たぶん、ドイツの脱原発はこのままには進展しない。
みなさんがこれから生きて行く時代過去の時代に比べればより自分というものが問われるものになります。 戦争に巻き込まれることはないでしょうが、大災害に襲われる可能性は高くあります(富士山も爆発するでしょうし東京に大震災は訪れるでしょう)。しかし、生きるということは、避けがたいことは受けいれるということです。そして、みなさんがこれから幸福な人生を送るために、どういう努力したらいいのか、その「やりかた」がよくわからないというなら、人まねをしないことです。 まじめに受験勉強をして、いい大学を出て、一流企業に就職したり資格や免状を手にすれば、あとは生計について心配はしなくてよいというような「人生設計」を立てることは、実際には過去の時代にもそう多くはありませんでした。大学の先生のお話なんか聞いてないで、漁港や寒村で働く人の話を聞いてごらんなさい。 生きることはいつの時代でもむずかしいものです。なぜか。あ
トップ記事がツイッターの基本的な使い方の解説。新聞の記事とは言いがたい。他の話題を見るにさほど興味も引かれない。今朝の毎日新聞の社説「シベリア抑留 後世に伝える仕組みを」との話を思い出す。引用しよう。▼「第二次世界大戦の終了後、旧満州(現中国東北部)などで降伏した日本人兵士たち約57万5000人(厚生労働省調べ)がソ連領やモンゴル領に連れて行かれ、労働を強いられた。うち約5万5000人(同)が抑留中に死去したとされている。今年春までに約2万人の遺骨が帰ったが、身元が判明したのは約800人。現在、日本に生存する元抑留者は約7万人と推計されている。」▼社説の話は概ねそうであろう。昭和32年生まれの私は身近ないろいろなところでシベリア抑留の話を聞いたものだった。体験者からも直接聞いた。これだけ多くの人が悲惨な境遇にあったのだから市井に語られないことはない。だが表立って語られない面もあった。ソ連支
どう生きたらいいかを考えさせる本などといった話題は書くものではないと思っていたが、ちょっとした機会でもあるので簡単に書いてみたい。 人生とは何かということをもっとも究極的な形で描きだしているのは、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」(参照)だろうと思う。が、これは万人向けではない。皆目わからない人もいる。お薦めはしづらい。 日本人として生きていて、人生で突き当たる本質的な問題を実験的な形で描いていったのは夏目漱石の小説である。極点は「明暗」(参照)だろうが、できれば、その他の小説から読み進めたほうがよい。おそらく日本近代の知識人が抱える本質的な問題が、人によってはということはあるだろうが、自分のことのように問われている。 このブログを書き始めてからはなぜか言及してこなかったが、ドストエフスキーやら漱石といった、いかにも文学というものでなければ、山本周五郎の小説を薦めたい。人情と人生とい
先週のフィナンシャルタイムズ社説はこう切り出していた。「戦争においても政治においても、集団を弱体化させるのは指導者の不在である」▼経済紙でもある同紙は現下の経済にこれを当てはめる。「資金の波が安全に見える港へと疾走したのは、先進国の経済政策の自己欺瞞以上のものではない」▼見通しの立たない混乱で、投資がリスク資産を極力嫌うのは当然のこと。この状況をもたらしたのは新諸国の経済政策だというのだ。なんの不思議があるかと。▼不思議はある。先進国でも無策中の無策の日本が安全だと見なされたのはなぜか。円を買っておけばいい。世界の資金は日本の円に安心を見ている。▼しかし、安心な港は一時に過ぎない。急速に集まった金な急速にも消え去る。それをぐずつかせているのは、世界の不安である。▼ならば世界の安定を祈るのではなく、世界の不安定を祈ることが相対的な日本の安定をもたらすだろう。いや、冗談だ。日本の経済政策の真相
トップニュースがIBMのティーシャツだった。なんでしょこれというのが率直な感想。でも和み系で悪くはない。▼IBMはなんの略かというネタがある。I've Been Movedというのだ。ここで笑ってしまうのは、IBMで生き残っている優秀な社員であろう。異動が多い。ポリシー変更が多い。しかし、総じて見れば、IBMは生き残っているという意味で経営の手本でもある。▼IBMは私の世代、つまり1980年に世間に出た世代にしてみると、SEつまり、営業の会社だった。他、国内のコンピュータ会社も似たようなものといえばそうだが、IBMは特段に営業だなあと思ったものだった。▼コンピュータ産業が何に似ているかというと、土建である。特に、入力業務などというのはありがたい業務だった。現在ではそうもいかないだろう。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く