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ブックマーク / reskill.nikkei.com (2)

  • ミス着物は東大リケジョ 挑戦の裏に「悔しい失敗」|出世ナビ|NIKKEI STYLE

    2018年1月、ミス日コンテストの「ミス着物」に選ばれた東京大学理科2類1年生の岡部七子さん。ミス日に出場を決めたのは、芸能界など華やかな世界に憧れていたからではない。岡部さんには薬学系の研究者になりたいという明確な目標がある。14日はバレンタインデーだが、研究に明け暮れ、恋愛経験もないという。内気な性格だという岡部さんは、なぜあえて晴れの舞台に立ったのか。 浦和一女時代に科学の国際大会に「実はコンテストに出るまでメークもしたことがなく、東大のキャンパスでもいつもスッピンでした。まさかミス着物に選ばれるとは思いませんでした」。岡部さんは、はにかみながらこう話す。まだ19歳、1年前までは埼玉県立の名門女子校、浦和第一女子高校(さいたま市)に通う高校生だった。浦和一女時代のある失敗がミス日出場のきっかけになったという。 岡部さんは典型的なリケジョだ。小学校3~4年生の頃、腐ったトウモロコ

    ミス着物は東大リケジョ 挑戦の裏に「悔しい失敗」|出世ナビ|NIKKEI STYLE
    ustar
    ustar 2018/02/15
    なんかこう科学に対しての敬意を感じない書きぶり
  • Gショック1億個、伝説はたった1行の企画書から|出世ナビ|NIKKEI STYLE

    始まりは20代の若手社員が出した、たった1行の提案。「落としても壊れない丈夫な時計」――。その1行が仲間を引き寄せ、会社を動かし、のちの大ヒット腕時計「G-SHOCK(ショック)」を生んだ。1983年4月に発売したGショックは2017年8月末の時点で、世界累計1億個を出荷するロングセラー商品になっている。ここに至るまでは決して順風満帆ではなく、むしろ何度も座礁しかけた。初代Gショックの生みの親、カシオ計算機アドバイザリー・エンジニアの伊部菊雄氏と取締役専務執行役員で時計事業部長の増田裕一氏、2人の証言から振り返る。 (下)メタルGショック、伝道師の「ウソ」で誕生 >> ソフトボール大になった実験サンプル81年のことだ。カシオ計算機で腕時計の外装設計を担当していた伊部氏はその年、来る日も来る日も東京都羽村市の技術センターのトイレにこもり、ある実験を繰り返していた。 役員が審議する月に1度の提

    Gショック1億個、伝説はたった1行の企画書から|出世ナビ|NIKKEI STYLE
    ustar
    ustar 2017/10/19
    ブレークスルーのきっかけは、取締役の息子が発した「お父さん、Gショック買ってよ」のひとことだった
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