薩摩国(鹿児島)揖宿山川に藩医(漢方医)前田善安の六男として生まれる。兄・献吉より15歳年下である。9歳で緒方洪庵門下の蘭学医・八木称平(薩摩藩開成所教授)に師事して住み込み、蘭学や貿易実務を学ぶ[8]。八木が行なっていた琉球密貿易も手伝った[9][10]。 1865年(慶応元年)の薩摩藩第一次英国留学生の選抜にもれるも[8][11]、同年、長崎への藩費遊学を許可され、砲術家で科学者の薩摩藩外国掛・中原猶介の紹介で何礼之塾に入塾する[8][12]。塾には白峰駿馬(海援隊士)もおり、その後高橋新吉も入門した[8]。塾では陸奥宗光らとも交友し、正名と改名した[13]。。何礼之塾で学ぶ傍ら、1866年(慶応2年)にイギリスから帰国して薩摩藩外国掛として長崎に赴任してきた五代友厚から多大な影響を受ける[10][14]。慶応2年(1866年)6月、薩長同盟の密使に加わり、坂本龍馬から短刀を貰う[15