帯広大通駅から乗客を乗せて新帯広駅へ走り出す汽車(1954年8月、、青木栄一氏撮影、帯広百年記念館所蔵) 旧川西村を走った帯広部線 映画に買い物、生活の足 十勝鉄道は、JR帯広駅から南側に向かって旧川西村を中心に計65.5キロの鉄路を張り巡らせ、貨物だけでなく人も運ぶ「帯広部線」を運行していた。沿線に住む帯広市清川町の河瀬勝郎さん(77)は「帯広に行く唯一の交通機関で乗るのが楽しみだった。トテッポの思い出はみんな持っている」と懐かしむ。 同社の資料では、藤(現在の富士)、八千代など旧川西村だけで無人停留場を含めて16駅。日本で最も駅の多い村とされた。自動車も自転車もほとんど普及していない1921(大正10)年に貨物専用鉄道として運行開始。住民から旅客用としての要望が上がり24(同13)年に旅客輸送を始め、三十数年の間、住民の足として活躍した。 「マッチ箱」 客車は14人乗りの木造