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2013年9月30日のブックマーク (1件)

  • 駒井徳三 - Wikipedia

    滋賀県栗太郡常盤村(現・草津市)字穴に、医師・駒井徳恒の二男として生まれる(族籍は元士族[1])。 日清戦争の頃、荒尾精に感化されて初めて中国を意識するようになる。京都府立二中に通う傍ら、杉浦重剛の分塾「浮雲塾」に学び、中国への憧憬を深めた[2]。その後宮崎滔天の著作『三十三年の夢』に学んで「支那研究」の想いを募らせ、周囲の反対を押して札幌農学校(のち東北帝国大学農科大学と改称)に進学[3][4]、「満洲大豆論」を卒業論文に選び[5]、1911年に農学科(農業経済学および農政学)を卒業した[1]。在学中、満洲の実地見学を試みた際、満鉄重役の久保田正周と知己になった関係もあり[6]、翌1912年南満洲鉄道株式会社に入社し、地方部地方課に配属された。 以来、南北満洲のみならず、東部内蒙古をもくまなく歩き、のちに世界に知られるところとなる公主嶺の農事試験場の建設に着手する。さらに東部内蒙古の通遼

    駒井徳三 - Wikipedia
    utaq-999
    utaq-999 2013/09/30
    孫娘による回顧録『 http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4879505307 』をざっと読んだ。札幌農学校出身、満州大豆等を研究課題に選んでいたとか。ジンギスカン鍋命名説があったり、宝塚界隈に私塾を開いたり、当時らしい御仁のようだ