マリウス葉が声優初挑戦 「宝塚みたい」ハローキティ
執筆と音楽続けた中島さん 最後まで表現の一線に 「作家と思ったことはない。何かを作って、人に施す、人に向ける、人に向かって流れ出るというのが、自分がやりたいことなんだと思う」 26日亡くなった中島梓さんは、がん闘病中の2008年7月、インタビューにこう答えた。抗がん剤治療を受けながら、栗本薫の名前で小説を執筆、ピアノのライブで自作曲を披露し、ホームページで病状をつづるなど、最後まで「表現者」として一線に立ち続けた。 20代で文壇にデビューし、テレビやライブなどでも活躍した中島さんだったが、1990年に乳がんを発病。右の乳房の切除手術を受け、退院するまでの一部始終を赤裸々につづった「アマゾネスのように」を出版して話題となった。 07年末、再びがんに襲われ、翌年闘病記を刊行。病状が悪化する中、ホームページでは「からだのきくうちにやりたいことをすべてやっておきたい、と切実に思ってい
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く