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ブックマーク / www.archives.go.jp (2)

  • 公文書にみる発明のチカラ - 16. 国産洋靴の製造(西村勝三) : 国立公文書館

    明治初期の発明には、急速に文明開化する社会の姿を感じさせる発明品が多くみられますが、「洋」も文明開化の風俗を表すものの一つといえます。洋の製造は、明治3年3月旧佐倉藩士西村勝三(1836―1907)が築地に伊勢勝造場を開いたことに始まります。西村が洋の製造を始めたのは、兵部大輔大村益次郎に命じられたためといわれています。明治初年、近代的軍隊の創出に取り組んでいた大村は、軍隊用に洋を輸入しましたが、どれも日人にはサイズが大きすぎて合わず、西村に日人の足に合う洋の製造を依頼したのでした。西村は、築地の工場とともに、佐倉(現・千葉県佐倉市)に士族授産の工場「相済社」を開き、佐倉藩士を伝習生としての製造を行いました。相済社は明治30年代に解散しますが、伝習生の一人であった大塚岩次郎は学んだ製造技術を生かして大塚製(現・大塚製株式会社)を興しています。一方で、伊勢勝造場は、

    utaq-999
    utaq-999 2016/01/29
    佐倉から大塚とリーガルが... 先祖が蹄鉄屋だったことを知った時に次ぐ衝撃だー! Σ(゚Д゚;)
  • 新橋横浜間鉄道之図

    明治5年の我が国最初の鉄道開設に際して作成されたと推定される、新橋横浜間の鉄道路線図です。明治5年5月7日、品川・横浜(現在の桜木町)間に我が国はじめての鉄道が仮開業され、次いで工事が遅れていた新橋・品川間も同年7月25日に路線敷設が完了し、9月12日に新橋・横浜間の鉄道が開業されました。同駅間は当時29キロメートル、所要時間は、ノンストップで53分でした。この図面は新橋、横浜間の鉄道路線図です。作成した機関、年月日は不明ですが、恐らく鉄道を所管した工部省が仮開業前後に作成し、太政官に提出したものと思われます。原図サイズ:東西193.2×南北38.6cm

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