ブックマーク / number.bunshun.jp (12)

  • “魔球ナックルカーブ”破れたり!最低打率校・秋田商の待球作戦。(氏原英明)

    魔球「シンカー」の使い手として、この日(8月15日)の第2試合の松阪戦で11奪三振をあげて初戦を突破した倉敷商のエース西隆聖は、同じく魔球を投げるライバルたちの名を挙げると、こう力強く宣言したものだ。 「自分のシンカーも負けていないと思うので、上まで行って対戦してみたい」 大阪桐蔭の藤浪晋太郎ばかりが注目されるが、今大会は魔球とでも呼べるような変化球の使い手が登場している。 開幕戦に登場し、「ナックルカーブ」を駆使して10奪三振を奪ったのは福井工大福井のエース菅原秀だ。大会2日目に登場し、1試合22奪三振の大会新記録を樹立した桐光学園の松井裕樹は、その鋭くタテに落ちるスライダーで今大会の大きな注目を集めている。 倉敷商の西としても、次なる戦いにナックルカーブの使い手・福井工大福井のエース菅原の姿を見据えていたのは間違いないだろう。 菅原のナックルカーブはまさに“魔球”だった。初戦で対戦した

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    uumin3 2012/08/16
  • <長谷部、大久保、内田を抜擢した猛将> フェリックス・マガト 「私が日本人を好む理由」(木崎伸也)

    ブンデスリーガきっての厳格さと理論を併せ持つ 鬼軍曹は、なぜ日人選手を重用し続けるのか。 長谷部誠、大久保嘉人、内田篤人――。 彼らに共通する資質と評価のポイントとは。 鬼軍曹は、日人に手厳しい。だが、絶対に見放したりしない。 フェリックス・マガト監督が、ヴォルフスブルクを率いていたとき、長谷部誠が固定式のスパイクで試合に臨み、芝生に何度も足を取られてしまったことがある。通常、滑りやすいときは、裏の突起が金属の取替え式のスパイクを履く。つまり、選択ミスだ。 マガトは激怒し、ハーフタイムにロッカールームで声を張り上げた。 「こんなスパイクを履くから悪いんだ!」 怒鳴るやいなや、長谷部のスパイクをつかみ取り、部屋にあった箱の中に思いっきり投げ入れた。マガトは試合で決定的なシュートを外した選手を2軍に落としたこともあり、これがきっかけで長谷部の出番が激減することも十分あり得た。 だが、マガト

    <長谷部、大久保、内田を抜擢した猛将> フェリックス・マガト 「私が日本人を好む理由」(木崎伸也)
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    uumin3 2011/08/13
  • コパ・アメリカ正式辞退の内実。日本サッカー協会、ふたつの誤算。(二宮寿朗)

    元FIFA理事にして、『サッカーの国際政治学』(講談社現代新書) の著者でもある小倉純二日サッカー協会会長をもってしても、今回の難題は解けなかったということか…… コパ・アメリカへの不参加が正式に決定した。 日協会は回答期限となった17日に辞退する旨を主催する南米サッカー連盟(CONMEBOL)に文書で伝え、了承された。二転三転した“代表チーム派遣問題”はようやくピリオドを打ち、小倉純二会長は「極めて悔しいし、残念。しかし現状となるとコパ・アメリカにふさわしいチームはつくれないと判断した」と述べた。この決定を受けてアルベルト・ザッケローニも「震災によってこれまでにない例外的な年となってしまい、こうした苦渋の決断をしなければならなくなったのではないかと感じている」と協会を通じてコメントを出している。 再辞退に追い込まれたのは、欧州組中心のチーム編成が不可能になったことに尽きる。 具体的な

    コパ・アメリカ正式辞退の内実。日本サッカー協会、ふたつの誤算。(二宮寿朗)
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    uumin3 2011/05/20
  • J2水戸の経営状態は深刻……。被災したクラブをどう支援すべきか?(木崎伸也)

    楢崎正剛が列に並んだ人たちと次々に握手し、三都主が募金を呼びかけるために声を張り上げ続ける。日本代表の藤淳吾も、選手会長の小川佳純も、会場に来ることができた21人の選手全員が募金箱を持って広場に立った。 東日大震災から8日間が経過した3月19日、名古屋市内において名古屋グランパスの選手たちが義援金を呼びかける街頭募金活動を行なった。約5000人が駆けつけ、1時間で約395万円が集まった。 もちろん、こういう活動をしているのは、グランパスだけではない。Jリーグの被災を免れたクラブの多くが、街頭で募金を呼びかけた。日プロサッカー選手会(JPFA)は公式HPにおいて、選手から提供されたスパイクやユニフォームでチャリティーオークションを実施した。 これから復興に向けて、さらに大きなサポートが必要になる。Jリーグとしては幅広い層に呼びかけられる強みを生かし、これを一過性にせず、引き続き募金活動

    J2水戸の経営状態は深刻……。被災したクラブをどう支援すべきか?(木崎伸也)
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    uumin3 2011/03/24
    何らかの形で支援する
  • <僕はこんなものを食べてきた> イチロー 「超こだわりの食伝説」(石田雄太)

    「ザワザワしたもの」が好きじゃなく、ごはんに対する意識は“オタク級”。 箸はやわらかく握ってキレイに持つ。最近はまっているのは珈琲で、 オフはコンビニのパンを朝昼兼用の常にする。 そんな男のにまつわるエトセトラ。 もはや、都市伝説の域だ。 イチローの鋭すぎる味覚について、こんな話がある。叙々苑の焼肉のたれの在庫が底をつき、少し足りないと感じたので、そこに三幸園の焼肉のたれを混ぜた。焼肉のたれは味も濃いし、大勢に影響があろうはずがない。そう思ったは、叙々苑にほんのわずか、三幸園を混ぜたたれをイチローに出した。大好物の焼肉をそのたれにつけて、口に運んだその瞬間、イチローがこう呟いたのだという。 「あれっ!?」――。 まさかと思ったこの都市伝説、事実だった。 「そんなこと、ありましたね。何滴かだけらしいんですけど、混ぜたのは。でも、これはいつものと違うと感じて……弓子、ひっくりかえってまし

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    uumin3 2011/01/22
  • 選手獲得競争が箱根駅伝をダメに!?大学に求める「勧誘条件の平等化」。(生島淳)

    多額のマネーが動くようになった箱根駅伝。シンプルな大学対抗戦というより、大学の営業ツールとしての存在感を年々強めてきている いよいよ箱根駅伝の戦が近づいてきた。早稲田、東洋の2強対決は当に楽しみだが、実は各大学とも他の戦いを繰り広げているのをご存じだろうか。 現在の高校2年生のリクルート、つまり勧誘合戦である。 高校3年生の有力選手の進学先はとっくに決まっており(来年度は有力選手が駒澤大学、明治大学に進学すると見られている)、リクルートの主戦場はすでに2年生に移っている。ある監督の話では、 「12月に動き出したのでは、有力な2年生に関しては『出遅れている』と言っても過言ではありません。現実問題として、高校2年の夏休みが終わったあたりから、勧誘合戦が格化しています」 という状況になっているというのだ。 2009年、東洋大は新しい山の神、柏原竜二の活躍もあって初優勝を遂げたが、その年の入

    選手獲得競争が箱根駅伝をダメに!?大学に求める「勧誘条件の平等化」。(生島淳)
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    uumin3 2010/12/31
    この話はそれぞれの大学の特色、というところでいいと思う。平等が常にどんな場合も絶対の正義とは…
  • 若手に追い出して欲しかった……。松田直樹にみるベテランの存在価値。(二宮寿朗)

    横浜F・マリノスのホームスタジアム、日産スタジアムはブーイングに包まれ、サポーター席からは1人の選手の名前がコールされていた。 2010年シーズンを戦い終え、木村和司監督や嘉悦朗社長がサポーターに向けて挨拶を行なった最終戦のセレモニーは異様な光景となった。 サポーターたちの叫び声によって挨拶の言葉はかき消されていった。 彼らは8位で終戦した今季の成績に、悲しみと怒りの声を挙げていたわけではない。松田直樹を筆頭に山瀬功治、清水範久、坂田大輔、河合竜二といったマリノスを長年支えてきた選手たちが次々と来季の契約非更新を伝えられてクラブを去ることになった事態を嘆くとともに、クラブ側の対処を激しく責めていたのだ。 1995年から16年にもわたってマリノス一筋でプレーし、マリノスが獲得したすべてのタイトルを経験した“ミスターマリノス”こと松田直樹は、唇を震わせ、目を真っ赤にしながら自分に向けられたエン

    若手に追い出して欲しかった……。松田直樹にみるベテランの存在価値。(二宮寿朗)
  • 注目の永井謙佑がたった700万円!?Jの魅力を損ねる理不尽な新人契約。(木崎伸也)

    アジア大会で得点王となり、日の初の金メダルに貢献した福岡大のFW永井謙佑。ロンドン五輪後の海外移籍も視野に入れている サッカーのプロリーグの規約(ルール)に正解はなく、常に時代に合わせて微修正していくべきだろう。 今季から、日国内のみに適用されていた「移籍金を『平均基報酬』と年齢に応じた『移籍係数』の掛け算で算出する」という特別ルールが撤廃された。その結果、契約が切れた選手に関しては移籍金が発生しないことになり、選手の移籍が活発になった。 名古屋グランパスが闘莉王を移籍金ゼロで獲得できたのも、このルール変更のおかげだ。変更がなければ闘莉王の移籍金は2~3億円になっていたと推察され、そうしたら名古屋はこの日本代表DFを補強できず、Jリーグで優勝できなかったかもしれない。 クラブを守ろうとする“過保護”なルールを廃止したおかげで、資金の投じ甲斐のあるリーグとしてJリーグは変わりつつある。

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    uumin3 2010/12/03
  • W杯3戦で岡田監督が手に入れた、「日本サッカー」のリアルなスタイル。(西部謙司)

    2006年7月、イビチャ・オシム氏が代表監督に就任したとき発した「日本代表チームの日化」は、キーワードであり呪縛でもあった。 オシム氏が病に倒れた後、後任の岡田武史監督は「日化」とまでは言わなかったが、日オリジナルのスタイルを模索することに腐心していた。 「接近・展開・連続」 「欧米が10キロ走るなら日は11キロ走る」 「ニアゾーン」 「インナーゾーン」 などなど……日独自のスタイルを見つけるための、様々なコンセプト・ワードが出ては消えていった。結局、岡田監督の掲げた「世界を驚かす」はずの日オリジナルもまた、数々の言葉と同じように泡のように消え去ったのだが。 理想を掲げ、最終的に極めて現実的に処理する岡田監督。 岡田監督は横浜F・マリノスを指揮していたときから“退却戦”の名手だと思っていた。 横浜F・マリノスの監督就任時には攻撃的サッカーを標榜し大胆な理想を語ったが、成績が低迷

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    uumin3 2010/06/26
  • なぜ加地亮は代表を引退したのか?消えぬ情熱とブラジルW杯への夢。(佐藤俊)

    5月10日、南アフリカワールドカップメンバー23名が発表された。そのリストの中に、今季好調を維持していた小野伸二、昨年のJリーグMVPの小笠原満男の名前はなかった。そして、また多くの人が復帰を熱望していた加地亮の名前もなかった。 「代表引退しているんで初めから期待もしてないし、別にどうこう言う気持ちもない。自分の中では、ずいぶん前に整理がついてることなんで。代表に名前が上がったりしたのは嬉しかったですけどね」 加地は、冷静にそう語った。 加地は、ジーコ代表の時、不動の右サイドバックとしてプレーし、ドイツW杯に出場した。オシム監督時にも代表に選出され、アジアカップではレギュラーとしてプレーした。しかし岡田監督になり、2008年5月20日、突然、代表引退を宣言した。それは、あまりにも唐突で不自然だった。 彼にとってサッカーは“仕事”だった。それは家族を養うためのものであり、だからこそ苦しくて

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    uumin3 2010/05/18
  • 岡田ジャパンのプレスが、 最後まで持たない本当の理由。[杉山茂樹のサッカー道場] - サッカー日本代表コラム - Number Web - ナンバー

    杉山茂樹 = 文 text by Shigeki Sugiyama photograph by Takuya Sugiyama 攻撃が終了した瞬間、守備の時間が始まる。当たり前の話だが、これがサッカーの特徴だ。プレッシングを謳うチームほど、そこへのこだわりが必要になる。「あーあ、ボール取られちゃった。ふー。さてと、嫌な守備でもしましょうか」は、許される態度ではないのだけれど、そうした意味では、日人はプレッシングに先天的に向いた人種だと思う。 サボりや怠け癖を、社会として嫌う傾向がある。全員野球という言葉に代表されるフォア・ザ・チームの精神や、勤勉、忠実、真面目を美徳とする精神が世の中のベースに流れている。そこに優位性を見出し、外国人よりいい加減ではないというプライドを持つ日人は多くいる。プレッシングは、日人気質を発揮する絶好の機会。発揮のしどころだとさえ言える。他国に劣るわ

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    uumin3 2009/10/08
  • 【キリンカップ2009 日本×ベルギー】 快勝の余韻を打ち消した 格下相手への“慢心”。[岡田ジャパン試合レビュー] - サッカー日本代表コラム - Number Web - ナンバー

    木ノ原句望 = 文 text by Kumi Kinohara photograph by Tamon Matsuzono 一時はケガ人や体調不良者が続出し、直後に控えるワールドカップ最終予選ウズベキスタン戦への調整試合としての役割も危ぶまれてもいたキリンカップの2試合だったが、日は5月31日の第2戦でベルギーに4-0で勝利を収め、2戦2勝として大会を優勝で締めくくった。それも、MF中村憲剛を中心にしたシステムを新たな攻撃のオプションとして手にして、だ。 「得点に絡むという憲剛のよさを生かした、彼のために用意したシフト」と岡田武史日本代表監督が公言してはばからない新しい形は、4-2-3-1の陣形でトップ下に彼を置くもの。「2トップを組もうにも、メンバーがいない」(岡田監督)という台所事情はあったものの、代表チームでの新たなポジションを得て、中村憲剛はスペースを見つけては相手最終

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    uumin3 2009/06/03
    選手だって機械じゃない。重箱の隅をつついて"警鐘"をならしたがる人の多さよ。
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