2009年3月6日のブックマーク (2件)

  • 制約が自由を感覚させる - レジデント初期研修用資料

    自由が行き過ぎるとテキストになる 次世代のインターネットだとか、ユーザーの自由度が極めて高いだとか宣伝された 「セカンドライフ」は、むしろ不自由な世界だったのだろうと思う。 セカンドライフ世界では、ユーザーは街を歩けるし、誰とでも会話が楽しめるし、 いろんな品物を購入できて、空だって飛べる。たしかに何でもできるんだけれど、 ユーザーの自由度をもっと増して、たとえばユーザーが「壁抜け」自由になって、 「テレパシー」機能が実装されて、会話が全て盗聴できるようになったなら、 ユーザーにはもはや、「歩く」だとか「飛ぶ」、会話をするために誰かに近づいたり、 街の中で誰かを捜すといった行為に、理由がなくなってしまう。 自由度が増すと、ユーザーを取り巻く世界は、だんだんとその意味を失っていく。 ユーザーは歩けるし飛べるけれど、遠くが見えないし、壁を抜けることもできない、 そんなセカンドライフ世界から始ま

    verfallen
    verfallen 2009/03/06
  • えーと。音楽にお金を払わなきゃいけないっておかしくない?

    まあだってさ、ニコニコとかyoutubeとかちょっと見ただけでもオリジナル曲をタダで配っている人がいるわけ。理解できないくらいそりゃあもういっぱいいるわけ。タダで良いよって音楽が多数なのに、コンビニとかテレビとかでさんざん聴かされる音楽に金払えとかおかしくない?あ、こういうこと言うとさ、「音楽家が生活できない」とか言う人が必ず出てくるんだけどさ。良く考えると「音楽で生活できる」のがそもそも異常だったんじゃないの?だって趣味でプロ並みの演奏する人だって腐るほどいるわけでさ。理想がどうとか言う前にさ、音楽お金儲けしようって発想がさ、もう根的におかしいんだよ。つーかP2Pや動画共有のおかげで、ようやくまともな世の中になろうとしてるんだよ。逆さに見るべきなんだ。

    verfallen
    verfallen 2009/03/06