2019年12月10日のブックマーク (1件)

  • 故・中曽根康弘が進めた「民活」は、日本の生きづらさを加速させたのか | 文春オンライン

    田中角榮らからは出遅れた中曽根 知られるように中曽根は田中角栄元首相(1993年没)と同い年で、そのうえ同期当選でもある。初当選のとき、まだ自由民主党は存在せず、ふたりは民主党に所属した。程なくして田中は自由党に移り、中曽根はその自由党を批判する急先鋒となる。自由党は吉田茂の政党で、軽武装・経済優先の政党であり、対して中曽根は自主憲法・再軍備を主張し、自由党と民主党が合併する「保守合同」にも反対したという。 中曽根と同期当選だった田中角栄 ©︎文藝春秋 自民党が結党されると、田中は30代で大臣、40代で党幹事長と、異様な速さで出世していく。いっぽうで中曽根は傍流に身をおき、自分の派閥を持つようになりはするが、とはいえ「三角大福」(三木・角栄・大平・福田)からは出遅れた存在であった。後年、中曽根はライバルとして田中の名を挙げたというが(注1)、田中にすれば福田赳夫がライバルであり、中曽根は格

    故・中曽根康弘が進めた「民活」は、日本の生きづらさを加速させたのか | 文春オンライン
    vhysd
    vhysd 2019/12/10
    公労協全体や全逓の動き、国労の内部対立と80年代の労使交渉での弱さ、そういうファクターを無視するから、こういう「国労は超強大であり、潰した中曽根は凄いor悪辣」という論ができてしまう。『昭和解体』の悪影響