ブックマーク / orion12.hatenablog.com (106)

  • インスタントといわゆる一つの『基礎工事』の大切さ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    効率主義は短期的に見れば合理的なんでしょうが、それがいつ非効率に転ずるかなんて誰にも分かりません。 大きく変わりゆく『時と場合』にちっぽけな人間という種族が全て対応することなんて出来ないからです。 ここでいう効率主義ってのは「いつでも何処でも『ムダ』を省いてスピーディにやるのがカッコいいんだぜ」みたいな考え方のことです。 もっと言えば、物事を上手くやるための単なる道具ではなく、『価値観』としての効率に縛られてる思考のことです。 それを個人的には『インスタント』って呼んでいます。 私のいう『インスタント』というのは「何時でも何処でもどんな場合でも単純明快な答えを出していく」という在り方のことです。 テレビのお笑い番組で例えればシチュエーションなんて関係なく「とにかく出てきて3秒でドカンと笑わせなくちゃダメなんだよ!」みたいな感じのね… 一言でいえば何よりも『手っ取り早いこと』を最優先させる発

    インスタントといわゆる一つの『基礎工事』の大切さ - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 「人間は死んだら終わり」という迷妄 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    「幽霊なんているわけない!何故なら自分は見たことがないからだ!」っていう人の話を以前に書きました。 所謂『幽霊否定派』についてです。 もちろん何を信じようとそれぞれの自由です。 「個人的な思想信条の範囲に収まってる限りは」ね。 ただ、現実にはそういう考え方は弊害をもたらしています。 「幽霊なんているわけない!」って考え方の延長線上には「死んだらお終い」っ 考えが横たわっているからです。 「肉体が無くなれば人間としての存在も跡形も無く無くなってしまう」って考えに行き着くのです。 それって「目に見えるモノ」だけを信じる唯物論の考え方です。 唯物論の考え方を続ければ、人は遅かれ早かれ「やり逃げ上等! ごまかし万歳!」って感じの心の在り方に傾いていくでしょう。 物事の必然としてね! だって、死んだら魂も含めて自分という存在は跡形もなく消えてなるんですよ?(あくまでその人たちのアタマの中ではですが)

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  • 人と人との適度な間が平和の素です - 『クリアー整体ヒーリング』です

    何かを知るということはその分『己れの無知』を知ることでもあります。 一筋の光に気付けばその周りの闇の深さを否応なく思い知らされるのです。 なので、得てして知るということにはある一定の苦しさを伴うものです。 その苦しさがイヤでイヤで知ることから逃げ出してしまう人も少なくありません。 「話せば分かる!」という人は『知ることの闇』を舐めています。 「互いを知れば必ず分かり合える」なんておっしゃるのは知りたくない人の苦しさを理解してない方の言い分です。 人間は何処まで行っても分かり合えないかも知れないけど、それでも分かり合おうとするしか術がない生き物です。 アレヤコレヤを呑み込んでそれでも前に進もうとするしかありません。 ヘタな希望は簡単に絶望に置き換わります。 絶望を友にして希望に向かって進むくらいが丁度良いのではないでしょうか… 安易なファンタジーは人の心を毒します。 闇を見ることを拒否すれば

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  • 呪いの言葉を常用すると『呪い人』になる - 『クリアー整体ヒーリング』です

    ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。 マジナイ・ノロイ・呪術・念送りなどと呼ばれる類いのモノもすべて含みます。 一般的に使われる『呪詛』という言葉の意味より随分範囲が広くなっていますが、他にピッタリ当てはまる言葉も中々無いのでそんな風に使わせてもらっておりますm(_ _)m 世間一般でいう呪いの類いっていうのは「古くから行われていた呪術を伴うモノ」として認識されている気がします。 丑の刻参りみたいな特殊でオドロオドロしい独特な儀式を伴うようなものとしてです。 っていうかそういう『儀式ありき』でしか成り立たないモノと思われている節があります。 『呪詛』を行う場合の技術や方法論が一番大事と考えられているのです。 でも、呪いの方法が古来からのやり方に合ってるから『呪詛』なのでは

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  • 自然に触れるほど勘は磨かれる - 『クリアー整体ヒーリング』です

    人間生きてれば笑いもすれば泣きもします。 怒ったりも羨んだりもするものです。 快楽もあれば苦痛もあります。 そうした身体や心に起こる大波小波を日々乗り越え、また乗り越えてゆくのが『人間の日常』なんだと思います。 そういった『人間の日常』に根ざしたありふれた平衡感覚を先ず大切にすることが、心がオカシげな方向を向いて突っ走らないようにするための最終的な羅針盤になるのです。 それは例えば「(理由は分からないけど) 何だかこれべたら危ないぞ⁉︎」という所謂『勘』や「(特に何があったわけではないけど) この店何か良くないなぁ(ー ー;)」という感覚のことです。 生きるためにこの世の動物に遍く与えられた危機察知能力と申しましょうか… つまり、勘ってのは選ばれた特別な人だけが持つ特殊能力などではないということです。 それどころかどこにでも誰にでもある、もっと言えば人間以外の生物も持っている生きるための

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  • ヒーリングと癒しと好転反応 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    私はヒーリングに関して所謂一つの伝授っていうものを受けたことはありません。 伝授という専門用語を使う場所にも行ったことがないのです。 だから、それがどういったモノか伝聞でしか知らないのですが、ある方によると伝授というのはものすごく苦しい場合があるということらしいのです。 「 あるヒーリング伝授を受けた時は涙が止まらなくなるほど頭が痛くなり1週間寝込むほどだった。また別のヒーリングの伝授を受けた時はシンボルとか覚えようとするだけで激しい腹痛が起きた。」 こんな感じらしいです。 もし私がその人の立場ならどちらのヒーリングもさっさと止めてしまったでしょうけどね… だって、ヒーリング習ったら無茶苦茶身体痛くなるなんでどう考えても不自然ですよね。 そんな不自然な痛みを与えるようなものが癒しになるとは到底思えないのです。 ただ、その方はそれを毒出しのようなものと捉えられたようです。 「伝授されることで

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  • 予言は「人を幸せにする物語」を紡がない - 『クリアー整体ヒーリング』です

    所謂『予言』ってヤツは『当人にだけ都合のいい一発逆転』を求める人の最後の拠り所なんじゃないかと感じています。 少なくともそういう願望にとって都合の良いモノが少なくないのは確かです。 それはこの世界そのものが一旦ガラガラポンされて、それまであった都合の悪いモノが全て粉々になってから新たな出発をするというような内容です。 ちゃぶ台返しと申しますか、兎に角古い世界が一度ぶっ壊されるってのがミソです。 一言でいえば所謂『予言』というのは破壊と再生を願う者の物語です。 噛み砕いていえば「腐りきった今の世の中なんて滅んじまえ! 滅んで更地になった後に理想の楽園を築けばいい!」みたいな想いの結晶なのです。 で、この考え方の根っこにはユダヤ・キリスト教的な終末論と楽園伝説があります。 楽園伝説というのは、旧約聖書の創世記に最初の人間 (アダムとイブ) が神によって楽園 (エデンの園) から追放されるという

    予言は「人を幸せにする物語」を紡がない - 『クリアー整体ヒーリング』です
    vinsentvan
    vinsentvan 2024/02/09
    確かにそうですね☺️
  • 唯物論的な考え方と操れる系の思考 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    「肉体という物が、無くなればその人の『存在』すべてがキレイさっぱり無くなる!」という考え方があります。 いわゆる「自分の目に見える物」だけを信じる唯物論の考え方です。 唯物論って考え方を続ければ、遅かれ早かれ「やり逃げ上等! ごまかし万歳!」って感じの心の在り方に傾いていくでしょう。 だって、死んだら魂も含めて自分という存在は跡形もなく消えてなるんですよ?(あくまでその人たちのアタマの中ではですが) そりゃ「生きてる間にやりたい放題やればいい!  自分が消滅した後の世界のことなんて知ったことかよ!」って風にもなるでしょうよ。 「唯物論的な考え方を続けてるとそのうち刹那的な考え方に染まっていくよ」ってことです。 人生80年というなら80年分の長さでしか物事が見られなくなります。 唯物論的な考え方を簡単にいえば「自分が自分が見たり聞いたり触れたりしてちゃんと認識できた物以外はすべてマヤカシだ!

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  • 仮定盛りとマウンティングは親和性が高い - 『クリアー整体ヒーリング』です

    私の造語に『仮定盛り』ってのがあります。 「こうに違いない!」という思い込みを土台にして、その上に「ならば、こうなるはずだ!」という仮定の話を『ブレない真実』のように盛り付けていくっていうやり方を表す言葉です。 で、盛り付けた話は仮定のはずが直ぐにその場で「そうに違いない!」という『確信』に変質していきます。 っていうか盛られてる途中で、もうすでに『ブレない真実』のように扱われていますけどね… そして、またその『確信』の上に仮定の話が盛られていくのです。 ネバーエンディング盛り盛りストーリーです。 まぁ、思い込みと決めつけのコラボレーションですけどね… 思い込みと決めつけのコラボはやがてイリュージョンへと成長していきます。 そのイリュージョンは成長を続ければ、映画マトリックスに出でくるような物と見紛うばかりの『仮想現実』にまで盛り上がります。(その人にとってはですが) で、この仮定盛りに

    仮定盛りとマウンティングは親和性が高い - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 『ブレない自分』という見果てぬ夢 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    人間は元々「動けばブレるように出来ている生き物」です。 生きているというのは、意図しようと意図しまいと心や身体を動くことです。 なので、死ぬまでずっと『心と身体のバランス』を取り続けなくちゃなりません。 バランスを取り続けることでしか生きる道はないからです。 でも、なぜか世の中には「ブレない」ということに憧れ、それを手に入れたいと渇望している人が少なくありません。 多分心や身体のバランスを取るなんていうめんどくさい作業を永久に終わらせることの出来るツールとして「ブレない」を手に入れたいと考えているのです。 じゃあ、なぜブレないにそんなに執着するのかというと『ブレている自分』を受け入れられないからだと思います。 逆にいえば『ブレない自分』こそが真の自分だと思いたいということです。 まあ、それは見果てぬ夢ってヤツなんですがね… 森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に

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  • 不安と盲信と心のバランス - 『クリアー整体ヒーリング』です

    この世はどう転んだところで不確実性の世界だと思われます。 どこまで行っても曖昧模糊とした状況の中で、何とかかんとかバランスを保ちながら生きていくしか道はないのです。 でも、不確かというのは同時に流動性でもあり、自由の源でもあります。 「『不安定』と『自由』は比例する」ということです。 別の言い方をするなら、「『安定』と『不自由』はリンクする」とも言えます。 なので、安定した状態をキープし続けようとすれば、そのうち『思考停止』になります。 試行錯誤をしなくなれば、心は迷わなくて済むようになるからです。 それが、思考が『不自由』になって『安定』を得た状態のひとつのカタチです。 ここでいう『思考停止』とは、ザックリいうと「盲信すること」です。 盲信とは、精神的にナニカに「おんぶに抱っこ」の状態になることです。 そのナニカとは特定の思想信条やその思想信条を象徴する人物や集団のことです。 世の中には

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    vinsentvan
    vinsentvan 2024/01/22
    言葉のチョイスが好きです☺️
  • 詭弁の道具としてのタダシ書き - 『クリアー整体ヒーリング』です

    眼に見えない世界のことはハッキリとした裏が取れません。 なので、言いたい放題になりがちです。 だから、誰かの言ってることが真っ当かどうかを判断する場合何らかの物差しが必要です。 私にとっては但し書きってのが一つの物差しになります。 『タダシ書き』が付けば辻褄が合わないことでも何とな〜く辻褄が合ったような気になりがちだからです。 例えば「自分の拝んでるのは当の稲荷のキツネだけど、誰それの拝んでるのは邪悪な妖狐である」みたいなことをおっしゃる方がいらっしゃいます。 「キツネは神さまです。ただし、中には妖狐ってのがいてそれは妖怪なんです」ってな理屈です。 以上のように但し書きを付ければ解釈変更は幾らでも出来てしまいます、 とはいえ、但し書きが全部ダメだっていうわけではありません。 物事には時に例外もあるものですから。 でも、例外を抜け道のように使って、強引に話の辻褄を合わせようとするのはオカシ

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  • 良からぬエネルギーに出来るだけ出会わないようにする方法 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    今回は眼に見えないエネルギーと遭遇する危険性を下げる方法について少し詳しく書いてみたいと思います。 ① 神社巡りみたいなことは無闇にしない ハッキリ言って神社仏閣にいるエネルギーって玉石混交です。 簡単にいえば、清らかなモノも穢れたモノもいるってことです。 元々日では、カミサマ的に崇められているモノであっても、純粋正義の創造主みたいな存在とは考えられてきませんでした。 御利益もあるけど祟りもあるみたいな『微妙な存在』も神さまとして祀られてきた歴史があります。 ていうかこの国では御霊信仰のように祟りを為す死者を神社を祀るなんてことも普通に行われてきました。 そんな具合ですから、チカラの強い人外のモノがどこぞの神社に祀られていても何の不思議もないのです。 要は神社ってのは色んなエネルギーが煩雑に屯している場所だってことです。 そういう場所に頻繁に行けば霊障みたいなモノに出会う危険性も高くなり

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  • 欲望の暴走とサトリという見果てぬ夢 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    この世というのは『物』がある世界です。 「生きている」というのは、肉体という『物』とともにこの世に存在し続けるということです。 で、肉体があるということはこの世にある限り自分の肉体を維持する必要に常に迫られているということでもあります。 生命を維持するために能があり、その能を継続するために欲望が与えられているのです。 なので、欲望という存在は善でもなければ悪でもありません。 それはこの世に生存するために与えられた『必要な条件』であり、元から倫理的な事柄ではないのです。 欲望は常に『プラス方向』へ向かうものです。 「もっと美味いものをたくさんべたい!」 「もっと金持ちになりたい!」 「もっと出世して権力が持ちたい!」 この「もっと! もっと!」という意味での『プラス方向』へです。 ただし、この「もっと! もっと!」機能が最初から通常装備されている欲望ってやつは、それ故に暴走しやすいので

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    vinsentvan
    vinsentvan 2023/12/22
    勉強になります
  • コダワリと嫉妬心の相関関係 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    今の世の中には嫉妬の想念エネルギーが溢れています。 嫉妬といえば色恋沙汰を連想される方もいらっしゃるでしょうが、妬みの感情といっても実際は多種多様です。 特定の人間に向かう場合もありますが不特定多数に向かう場合もあったりしますし… 当然ですが、妬みという感情の性質上その人の外側へと向います。 基自分を妬む人はいないからです。 つまり、妬みの想念エネルギーというのはベーシックに「誰か他人にネガティブな影響を与える可能性が高い」ってことです。 しかも一人だけではなく複数の人間に継続的にね。 誰かを妬む人がたった一人だけしか妬まないってことはまずあり得ないからです。 だから、嫉妬のエネルギーの影響は限定された小範囲に止まらず加速的に広範囲に広がっていきます。 最終的には手当たり次第って感じになっていくのです。 で、そんな妬みが起こるのは心にコダワリがあるからです。 ここでいうコダワリとは「何か

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  • 楽園伝説と世界統一という悪夢 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    旧約聖書の創世記に最初の人間 (アダムとイブ) が神によって楽園 (エデンの園) から追放されるというお話があります。 「人間は元々苦しみ一つない『永遠の楽園』にいた」という伝説です。 つまり、そこには「神に造られた原初の人間は何の苦しみもない世界で当たり前に生きていた」という考え方が根底にあるわけです。 しかし、結局「自らの邪まな行いが神の怒りをかい、 初めに暮らしていた地上の楽園を失い、苦しみと短い寿命の今の暗澹たる世界に住むようになった」という結末に落ち着くのです。 この筋書き通りなら遥か昔ですが、「この世には一度『楽園』が存在した」ってことになります。 だからこそ楽園伝説を信じる人の心の何処かには「人間は元々ラッキでーハッピーな状態がデフォルト (常態)なのだ」という想いがずっとあるのだと思います。 そして、その想いをベースとして「何の苦悩もなく楽園にいた時の在り方が人間に与えられ

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  • 繋がることと意識を向けること - 『クリアー整体ヒーリング』です

    以前整体をしてた時に聞いた受けるってことについて述べたことがあります。 他人からのエネルギー的にネガティヴな影響を身体的な接触を通してもらってしまうのがここでいう『受ける』ということです。 当時「整体は人の身体に頻繁に触れる仕事である。人に触れば触るほど相手からたくさんの良からぬモノを受けてしまう」みたいな話を聞きました。 今から考えればその「良からぬモノ」とは波動のレベルの低い様々なエネルギーのことだったんだなと分かります。 受けたエネルギーの大半はその人の中にどんどん蓄積されていきます。 蓄積されたエネルギーは大なり小なり何らかの影響を与えるのです。 肉体的な影響であれ精神的な影響であれオカルティックな影響であれね… お聞きした事例の中では「やたらと疲れやすくなる」ってのが一番多かったです。 まぁ、影響というのは簡単に言えばダメージです。 そういうダメージはもちろん整体をやる人間だけに

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  • 恣意的に歪められた『世界』を補正するのは『想像力』である - 『クリアー整体ヒーリング』です

    人間というのは質的に無知な生き物です。 人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば『想像力』です。 ここでいう『想像力』とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことを指します。 先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが『想像力』を養うための第一歩です。 逆に知ったつもりになればなるほど『想像力』を失っていきます。 「自分は何でも知っている」という万能感は『想像力』を削ぎます。 万能感が強い人は他者を慮るチカラが必然的に弱くなります。 それは万能感が強い人ほど他者を察したり慮ったりする必要を感じないからです。 なので、慮るチカラが弱いというのは心の視野が狭いということを指します。 ここでいう心の視野の狭さとはその人独自の先入観に凝り固まった頑固な状態のことです。 当然

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  • 生きることのハードルと優生思想 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    ぶっちゃけた話いまの世の中生きることのハードルを上げすぎな気がします。 それは個人的にも社会的にも純度100%の完璧さみたいなモノをみんなが求めすぎてるってことではないでしょうかねぇ。 だから、「昔の人はこんなお粗末クンではなかった!」とか「日人 (或いは人間) は劣化した!」とかおっしゃって嘆かれるのです。 「そんなにハードル上げてちゃ、そりゃガッカリするだろうな」と個人的には感じるのです。 人間というモノに対する期待値があまりに高すぎるだろうと… 人間に対する期待値を上げるってことは結局自分に対する期待値を上げてるということでもあります。 自分に純度100%の完璧さを求め続ければ、そりゃ生きづらくもなりますよねぇ。 だから、生きにくい世の中を少しでも生きやすくするには、「自分の中の生きることのハードル」を少しでも下げる方向へ持っていくことが大切です。 まぁ、一度上がったハードルがすぐ

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  • 気合いで霊障をどうにかしようとする根性論 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    このブログではこれまでに『根性論』について繰り返し書いてきました。 ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方のことです。 霊的なことで言えば「精神力というか気力が充実してさえいれば霊的に悪いモノであってもあんまり強くないエネルギーならそんなに恐れる必要なんてないのだ〜! 」みたいな感じです。 で、そんな根性論の一つに『全ては気持ちの持ちよう論』ってのがあります。 『全ては気持ちの持ちよう論』ってのは「全ての問題は自分で作ってるだけだ! だから、気の持ちようを変えれば何でも解決するんだよ!」という感じのモノです。 「自分さえコントロール出来れば世界は変わる!」っていう前提から出発しているのです。 霊的なことで言えば「霊障も自分の気持ちが強くさえあれば起こることなんてないのだ!」ってことです。 こう

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