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ブックマーク / michikaifu.hatenablog.com (6)

  • ガラスマの「囚人のジレンマ」はもうやめたら? - michikaifu’s diary

    アメリカの両方で、スマートフォン向けアプリを提供している開発者から聞いた話。とある日だけで使われているAndroid端末(=ガラスマ)でその会社のアプリを使っているユーザーから、動かないとのクレームがあり調べてみたところ、Android OSのメーカー独自部分に重大な欠陥があることがわかったそうな。 「だいたい、日の携帯端末って、ものすごい機種数があるから、カタログがものすごく立派で分厚い。あんだけたくさんの端末をそれぞれのメーカーが出して、ちゃんとあとのサポートができるはずがない。不具合直す気がぜんぜんないんだから。端末もカタログも、どんどんゴミ作ってるのと同じ。」 ごもっともである。確かにAndroidという同じOSを使っているが、それでも機種ごとに微妙に異なる。iOS vs. Androidという宿命の対決の中で、Androidの「細分化」というのは特に開発者にとっては大問

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  • ソフトバンクの携帯がつながりにくいのは「戦略の違い」に過ぎない - michikaifu’s diary

    共同通信の「ソフトバンク携帯を使うな」というお達しが記事になり、ソフトバンク携帯の「つながりにくさ」について話題になっている。 「使えないソフトバンク携帯」 共同通信デスクが怒ったわけ : J-CASTニュース TwitterのTLで、「SBは800MHzを持ってないから、周波数割り当てがケシカラン」という意見が飛び交ったので、「専門家でない人にはそう思われちゃうのかな、困ったもんだ・・」と思ったのだが、上記の記事を読むと、SBの公式見解がそういうことになっているらしい。 ちょっと待て。全く関係ないわけじゃないが、それではあまりに説明不足。素人である記者がそう思いこむのは仕方ないが、それなら素人にもちゃんとわかるように説明しないといけないと思う。(専門性といったって、エンジニアである必要すらない程度の話なのだから、「こういう記事書く記者が素人である」こともまた問題だと思うのだが、それはまた

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  • 「おサイフケータイ」が世界に広がらなかった理由 - michikaifu’s diary

    こんな記事を読んだり、日から来た友人たちと議論した中で感じたこと。 日で電子マネーの普及が進んだ理由 - Innovation Design 同じインドで生まれたのに、ヒンズー教はインドの外には広がらなかったのに対し、仏教は世界三大宗教のひとつとなったのはなぜか。ユダヤ教とキリスト教の違い、といってもよい。それは、ヒンズー教やユダヤ教が、当該民族の特性や置かれた環境に深く依存していたのに対し、仏教やキリスト教は、そうした「コンテクスト」から離れた、より広い人類全体に適用できる、普遍的要素が大きかったからだと思う。 同じように、iPhone教(もしくはアップル教)なら世界に広がるのに、おサイフケータイ教が広がらないのは、日市場という「コンテクスト」に依存する部分が大きすぎるからだと思うのだ。 「電子マネー」およびその前触れである「非接触型カード」の「コンテクスト」については、上のエント

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  • 「日本って、フランスとかスペインとかみたいな」という感じ - michikaifu’s diary

    この休暇中、日でとある友人と話したときに、改めてこんなことを聞かれた。 「アメリカ人から見て、日って相変わらずエキゾチックなところなんでしょうかね?ぶっちゃけ、どんな感じなんですか?」 休暇突入前、ブログのコメントで散々叩かれるケースが続いたが、そのひとつが「日はもうダメ」論争。私自身はこの中ではのらりくらり作戦で対処したつもりだったのだけど、「シリコンバレー在住コンサルタント」軍団の一人としてそれなりに火の粉を浴びたわけだ。それで、叩かれた以降沈黙する中で少々考えていたことともちょうど合う質問でもあったので、私は即座に答えた。 私「例えばフランスあたりみたいな、そんな感じじゃないですかね。ま、私的なおおざっぱな言い方ですけど。」 友「え?そんなにいいイメージなんですか?」 私「いいかどうかはわかりませんけどねぇ。とにかく、英語は通じなくて、カルチャーや歴史アメリカと違う見所があっ

    「日本って、フランスとかスペインとかみたいな」という感じ - michikaifu’s diary
  • 「男の子は自動車がすき」という自明の前提が崩れているとしたら - michikaifu’s diary

    先日、日語補習校で一年生の国語の授業を見ていた。「お店やさんごっこ」をする単元で、子供達が自分の好きなお店になる。まず、子供達が何になりたいか、発言を先生が黒板に書きとめていくのだが、ひととおり出たところで先生がちょっと首をかしげた。「薬屋さんとか、家具屋さんとか、なんだか珍しいものが多いわねぇ。普通、男の子は乗り物、女の子は洋服が必ず出るのに、このクラスは誰もやりたい人いないの?」・・・子供達は反応なしだった。 ふむ。確かに。我が家は男の子二人。女の子のことは実感としてわからないのでここでは省くとして、男の子には2-3歳頃に「きかんしゃトーマス」という通過儀礼があり、その前後、電車と自動車にはまる時期が、どういうわけか必ずある。知り合いの男の子は、家の近くにある電車の踏み切りが大好きで大好きで、おかあさんに「大きくなったら、何になりたいの?」と聞かれると、ためらうことなく「ふみきり!」

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  • 「日本語が亡びるとき」と「母の本能」と「多様性」 - michikaifu’s diary

    ウルトラ長文御免。 友人の間ですでに一回り話題が一巡して終わっている、水村美苗著「日語が亡びるとき」をようやく入手できたので読んだ。事前に思ったよりはるかに、私の「肌感覚」で感じていることに近い話であり、また後半に熱く語られる彼女の「主張」の部分については、私の素人としての漠然とした意見を「よくぞ言ってくださいました」と喝采したい。ほぼ、全面的に賛成である。 日語が亡びるとき―英語の世紀の中で 作者: 水村美苗出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2008/11/05メディア: 単行購入: 169人 クリック: 12,657回この商品を含むブログ (459件) を見る 1.私自身の独白 私は、水村さんよりもずっと半端なバイリンガルながら、彼女の言う「読まれるべき言葉」の連鎖になんとかはいりたい、とずっともがき続けている身である。私自身、これまた彼女の定義する、広い意味での「翻訳者」と

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