「説得力という言葉があるだろう。説教する立場の君からすると、それはどこから出て来るものだと思うかね?」 「簡単に言えば確信と情熱だな。話し手が自分の言っていることに確信を持っていて、それを情熱的に主張すると、大きな説得力を持つ。つまり、説得力は往々にして、話す内容ではなく、話し方から生じる」 「ということは、間違った確信や、偽りの狂信からも生じるということか」 「世間を見渡せば、わかるだろう。政治と宗教にありがちなことだ」 「その『力』は説得なのか?」 「いや、正体は扇動だ。しかし、それは説得力と思われやすい」 「どうして?」 「扇動の要諦は、聴衆が漠然と、しかしハッキリと持つ不安や不満を察知して、そこに単純な原因(政治の場合だと、時にはスケープゴート的な)をあてがい、原因を除去する簡単でわかりやすい手段を提供することだ。聞いている方は、一発で『わかる』快感がある。そこに『説得された感』が
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