2014年8月10日のブックマーク (2件)

  • じぶんのなかに狂気をちゃんと飼っておく

    高1の夏。N君が死んだ。ガスの元栓につないだホースをくわえて。彼は、僕たちのバンドのヴォーカルで、ロバート・プラントばりというわけにはさすがにいかなかったけれど、ポール・ロジャースばりでは明らかにあった。ものすごく人気があって、女のコたちにはもちろん、同じくらい男子からも。この両立は実は、なかなか難易度高い。でも、そうじゃないと、スター、ましてやカリスマにはなれない。ま、1970年代の渋谷区港区の一部地域だけのカリスマだけどね。N君は、かっこよかったのはもちろんだけど、なにしろアタマがよかった。ついでに学校の成績もかなりよかった。 高校生男子にとって、いちばん重要なこと、つまりモテるために必要なのは、ルックス、スポーツ、バンド。以上終わり。なのであって、つまり、モテの道はかなり限定されていた。想像するに、今もそうだろう。これが、大学生になると、将来性だの、家が金持ちだの、いいクルマ乗ってる

    じぶんのなかに狂気をちゃんと飼っておく
    wakabaroom
    wakabaroom 2014/08/10
    "「狂気」は僕たちの強い味方である。それは、代替不可能な極めて個人的な何ものかによって構成されている。しかもそれは結果的に、自分が何者なのかを、明示してくれる。"
  • 恐山あれこれ日記: 迷惑な「言行一致」

    迷惑な「言行一致」 私が時々「『絶対正しい真理』なんぞは妄想にすぎない。所詮ものは考えようだし、合意の作り方だ」みたいなことを言うと、 「だったら、狂信的な思想から暴力的行為に出る者も、『考えよう』で許されるというのか」 と、思いつめた表情で迫ってくる人が現れます。 結論を言うと、「考え」ているだけのことなら、いくら「狂信的」であろうと一向にかまわないと、私は考えます(私は「狂信的」な思想を持つ真面目な中堅サラリーマンを知っています。思想的議論さえしなければ、ただの勤め人)。 問題は「狂信的考え」の後に出てくる「行為」です。私は、「狂信的考え」の持ち主が、反「狂信的考え」の存在やその考えの持ち主を一切認めずに否定するというなら(もっともそれが「狂信的」と言う所以なのでしょうが)、そのような「行為(発言と行動)」には、徹頭徹尾反対です。 もし、その「行為」が自らの考えと違う者に対する暴力や、

    恐山あれこれ日記: 迷惑な「言行一致」
    wakabaroom
    wakabaroom 2014/08/10
    "仮に「絶対正しい真理」が原理的に反「絶対正しい真理」の存在を許さないというなら、そんな「真理」は有害無益である以上に、「真理」として不完全なのであり、その時点で「真理」ではありません"