さっき電車でハムのように太った高齢女性がハイヒールで足を踏んできて痛かったんですけど、こういうとき人間は寛容であるべきかどうかって永遠の命題だと思うんですよね。騒ぎ立てても無益な気がするし、でも足は痛いし、いろいろ悩ましいのです。 この世は様々な怨念が渦巻いて構成されているのです 昔、阪急の盗塁王福本豊が国民栄誉賞を辞退するにあたり言った言葉が「立ちションベンもできんようになるがな」という彼一流の表現だったのが記憶に残るんですよね。人間、100点満点、汚点のない人生を送ることなどできない、ましてや他人様よりも頭一つ出て、目立つ仕事をしようものならホコリの一つも出さずにいることなどできないというのはままあることです。ここまで読んで「お前が言うな」と思ったやつは首を吊って死ね。 で、ここ数年の事件事故で何があったかなと思い返す機会があり、東京五輪でエンブレム問題を起こした御仁や、秘書に「このハ
この時期になると、身の回りで「フジロックに行ってきた」ってわざわざ私に自慢する親父がたくさん出るんですよね。あっ、はい。いや、興味ないんですよね。ギターとか楽器はやってましたけど、忌野清志郎も死んだしパソコン作業中に音楽聞く習慣もなくなったので。いまはもっぱらホワイトノイズ聞きながら原稿書いたり調べものしたりしています。 なぜフジロックに行った人はわざわざ私に報告しますか ただ、フジロックが楽しければ、自由に楽しんでいいと思うんですよ。ほんと、妨害しないからお好きにどうぞ。好きなミュージシャンが出て、心地よかったんでしょ。良かったね。ほんと良かったね。 なのに、なぜフジロックに行った人はわざわざ私に報告しますか。いや、その情報要らないから。あーたが楽しかっただけでしょ。フジロックが好きな人同士で楽しく経験を語り合えばいいじゃないですか。「何年振り何度目だったんですけど」とか貴殿のライフスタ
あの伝説的フュージョンバンド・カシオペアのキーボードとして、一時代を築いた向谷実(60)。現在は「音楽プロデューサー」「作曲家」だけではなく、「実業家」「コメンテーター」の顔を持ち、「鉄道タレント」としても活躍する彼はどのような思いで80年代を駆け抜けたのか?そう尋ねると、驚くほどクールな語り口であの熱狂の時代を振り返るのだった―― ⇒【写真】カシオペア時代の向谷氏 ――まずは80年代に突入する以前、1977年に向谷さんがキーボード担当としてカシオペアに参加した当時、日本の音楽事情はどういった様子だったのでしょう? 向谷:まだ「歌のないバンド」が、リスナーだけじゃなく業界内でも珍しい存在とされる時代でした。ましてや全国ツアーまでやるなんて、あり得なかった。テレビに出たら「今日の歌のお客様です」と紹介され、「歌はないんですけど……」とオチがつき、ラジオに呼ばれたら「ボーカルは誰ですか?」と
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