2019年7月11日のブックマーク (1件)

  • 二つの諦め - 恐山あれこれ日記

    仏教には「勝義諦(第一義諦)」と「世俗諦」という言い方があります。教義的立場によって解釈は様々ですが、たとえば中観系の解釈だと、おおよそは以下のようになるでしょう。 「勝義諦」は、「空」「悟り」「解脱」「涅槃」など、仏教の究極的境地や認識を意味し、これは言葉で表現することができない「真理」だとされます。 これに対して「世俗諦」は、そうは言っても、何も言葉で表現しなければ、「真理」の存在さえ知ることはできない。この言語化された限りでの「真理」を「世俗諦」と言うわけです。 この二諦説が俗化すると、仏教来の真理(勝義諦)は世間を超越しているから日常生活と無縁になる。であるから、それはそれとして、日々の暮らしは世間の法律や習慣・道徳(俗諦)に随順すべきだという、安直な二元論に堕することとなります。 では、私流に二諦を解釈するとどうなるでしょうか。 「勝義諦」には二つの側面があります。 一つは、そ

    二つの諦め - 恐山あれこれ日記
    wakabaroom
    wakabaroom 2019/07/11
    "このとき、その「考え方」や「実行の仕方」は、常に一定の条件に規定された暫定的なものであることを自覚しているべきであり、この自覚が「勝義諦」の言語批判に由来しているわけです。"