タグ

登山に関するwashburn1975のブックマーク (3)

  • 平出和也のK2西壁遭難と20年前の想い出|大石明弘

    「8000m峰に行こう」 私のその言葉に応えてくれたのは平出和也だけだった。 21歳の時だった。 平出は私とは違う大学で、陸上部から山岳部に転部したばかりだった。 長髪で無口だった彼は、東京周辺の山岳部が集まる飲み会で異様なオーラを放っていた。 しかし、その雰囲気とは裏腹に、 「やりましょう! 絶対いきます」 と言って、親し気に顔を向けてきてくれた。 一年後の2001年10月、大学4年生の秋。私たちはチベットのチョ・オユー(8188m)にいた。 遠征をサポートしてくれたのは、お互いの大学だけだった。 7000mでさえも未知の世界だった私は、最終キャンプで高山病になりテントの中に倒れこんだ。 しかし無酸素登頂を目指していていたから、酸素ボンベは持っていなかった。 平出はスープを作り、苦しむ私に飲ませてくれた。 頭は朦朧としていたが、そこから下山しようとは全く思わなかった。 「登ってやる。絶対

    平出和也のK2西壁遭難と20年前の想い出|大石明弘
    washburn1975
    washburn1975 2024/08/07
    “計画段階で「行けるところまで登れればいいと思っています」と平出が言った時に、私はもっと反応をすれば良かったのだ。「そんな登山はありえるのか?」と”
  • 山行記録: 聖岳から奥赤石沢へ1000m滑落遭難、100時間後奇跡のヘリ生還(畑薙→茶臼岳→上河内岳→聖岳→滑落し奥赤石沢⇒ヘリで安倍川河川敷へ)

    5/1(金)畑薙第一ダムのゲートにある登山事務所へ登山計画書を提出 当初聖岳東尾根を登るつもりであったが、雪が少ないとのことで、夏道で茶臼岳経由へ変更。 16:25〜35 茶臼岳 快晴 茶臼小屋宿泊 5/2(土) 6:20〜35上河内岳 快晴 9:45  小聖岳 曇 聖岳南斜面の急登は氷のように堅い雪の一枚バーンになっており、ピッケル1とのアイゼンの前爪で2点確保でバランスをとりながら、必死で登る。つま先がかかる深さ5cmくらいのかなり大股のカッティングあとがあり、これを伝っていくが、荷物が30kg近くあって重く、バランスをとるのが大変でめちゃくちゃ緊張し疲労困憊した。 11:00〜15 聖岳 霧で雪も降り始め強くなってきたため先を急ぐことにして、不十分な休憩で出発。 11:30 兎岳への稜線の南西側は崖になっているため、北東よりの急斜面をトラバースしながら下っていたが、山頂での休憩がた

    山行記録: 聖岳から奥赤石沢へ1000m滑落遭難、100時間後奇跡のヘリ生還(畑薙→茶臼岳→上河内岳→聖岳→滑落し奥赤石沢⇒ヘリで安倍川河川敷へ)
    washburn1975
    washburn1975 2019/11/01
    壮絶だ……。
  • 偶然手にしたカメラから導かれたのは、エベレスト街道。カメラ沼ならぬ「カメラ山」で出会った最高の相棒たち|みんなでつくる!暮らしのマネーメディア みんなのマネ活

    筆者がカメラ(デジタル一眼カメラ)を趣味にするようになって、気が付いたらもう8年になります。 在宅でフリーランス仕事と主夫をしていることもあり、毎日のように何かしらの写真を撮り、自身のブログで記事を発信しています。それをきっかけに生まれた仕事や人間関係もずいぶんと増えました。 今回は、筆者のもうひとつの趣味である「登山」において写真がどんな体験をもたらしてくれたのか、いくつかの印象的な相棒(道具)との出会いなどを絡めつつ、お話ししてみたいと思います。

    偶然手にしたカメラから導かれたのは、エベレスト街道。カメラ沼ならぬ「カメラ山」で出会った最高の相棒たち|みんなでつくる!暮らしのマネーメディア みんなのマネ活
    washburn1975
    washburn1975 2019/07/11
    『神々の山嶺』の導入部みたいな話かと思った。
  • 1