風俗営業に使われていた布団やマットレスなど、店の備品が粗大ゴミとして山積み=16日午後、尼崎市神田南通3 「黙認してもらってきたということは、私たちだって理解していた。ただ、なぜ70年間も営業できたのか、それは正直分かりません」 【写真】「パーク街」などと呼ばれた当時の地図。北には映画館「パーク座」があった 兵庫県尼崎市の風俗街、通称「かんなみ新地」のママさんの一人はそう言って、警告の唐突さにうろたえた。 非合法な風俗営業に対して、尼崎市と県警が直接的な警告を出すのは約70年の歴史で初めてだ。 過去の資料をたどると、地元から立ち退きを求める陳情はずっと続いてきた。風俗街ができて間もない1951(昭和26)年11月1日には、県が強制立ち退きに本腰を入れたという記事が神戸新聞に載っている。 しかし、58年に売春防止法が完全施行されても、当局は手をこまねいてきた。当時の警察担当記者がこんな証言録
![「もう時代が許さない」 黙認70年、尼崎・売春街解体の舞台裏(神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/47c8085657bb835d9642325f2d824643870c2cdd/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fnewsatcl-pctr.c.yimg.jp%2Fr%2Fiwiz-amd%2F20211126-00000014-kobenext-000-4-view.jpg%3Fexp%3D10800)