2012年03月11日12:00 カテゴリ民主党国外ニュース 【原発事故から1年】 英BBC「菅は英雄」 → 日本のマスコミ&ネトウヨ「菅が悪い」 1 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/03/10(土) 21:51:12.64 ID:87gwoG830 ?2BP(4737) BBC This World 2012 Inside the Meltdown 576p HDTV x264 AAC MVGroup org http://www.youtube.com/watch?v=IwBELPtVUCA 【原発事故から1年】 英BBC「菅は英雄」 → 日本のマスコミ&ネトウヨ「菅が悪い」 http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1331383872/ 2 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/03/1
未曾有の被害を出した東日本大震災から2012年3月11日で1年となる。この間、日本では、政府のトップである首相が交代した。一方で、福島第1原発の事故処理や被災地の復興などは遅々として進まず、問題が山積したままだ。 震災が起こった2011年3月11日の翌日、当時の菅直人首相はヘリコプターに乗って上空から被災地を視察した。「首相が現地を見なければ、あんなに早い自衛隊の10万人出動はなかったかもしれない」。菅首相の視察に付き添い、その模様を映像に収めた内閣審議官の下村健一氏はこう回想する。 下村氏は、大学時代に「市民メディア」を志し、都市型ケーブルテレビ「町田市民テレビ」のスタッフとして開設準備に携わった。また、TBS時代には、松本サリン事件の報道などで活躍し、退社後、市民メディア・アドバイザーとして活動。2010年10月、菅首相の政治任用で、広報を担当する2年契約の内閣審議官として内閣広報室に
関係各所への通達をまだ全部は済ませていないけど、報道が行われる可能性が高くなったので書く。 「業界に詳しくない」とか、私のブログを全部読んでなお「何が問題なのか分からない」とか感じる方は、次の2つの記事をしっかり読んでください。 ゲームのパクリは許されるのか?――グリー&DeNAが開けた禁断の扉 http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1203/08/news056.html すべてにソーシャル要素が入る時代に突入!ゲーム産業は再編に備えよ http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/special/20120307/1039943/?P=1&rt=nocnt まあ、和田社長が仰るように、すべてのメソッドがソーシャルゲーム的な機能を具有して統合されていく過程にあるインタラクティブメディアとしてのゲームコンテンツが、その表現技
Tweet 発端っぽいところ M.C.P.C.: 企業サイトで設置していたはてなブックマークボタンのマイクロアド行動ターゲティング解析のオプトアウト説明ができる自信がない はてなブックマークボタンは2011年9月1日より行動情報の取得をしている - ARTIFACT@ハテナ系 はてなブックマークボタンの行動情報取得は表示しただけで行われている - ARTIFACT@ハテナ系 ブログパーツやソーシャルボタンの類でアクセスログが残るのは当然だけどトラッキングされるのは当たり前にはなっていない - 最速転職研究会 先週末にこの辺を読んでわー何か大変なことになってるな〜くらいの認識しかなかったのですが、 まとめ等を読んでいるとこれはよろしくないのでは、と思い始めました。 はてなブックマークボタンの行動履歴追跡クッキー問題まとめ【私家版】 - NAVER まとめ はてなブックマークボタンのトラッキン
コロワイドグループの牛角、軽い気持ちで始めた女性半額セールに男性差別やLGBTや品切れが激しく入り乱れる
昨日、めったに電話がかかってこない叔母からケータイに電話がかかって来まして。 着信を知らせるケータイを手に取り、「あれ、叔母さんからだ。珍しいなー」と思いながら電話にでると、 「チキちゃん!チキちゃんが『朝生』に出たって聞いてな、普段はつかわないんやけど、インターネットで調べてみようと思ったんよ!」 とのこと。テレビの力はすげえなー。 「そんでな、『荻上チキ 朝生』で検索してみたんよ!」 ほうほう。 「そしたらな、変なページを見つけたんよ!」 ん? 「そこにな、『朝まで生テレビ 荻上チキ 彼女とのラブラブ映像が流出!!』って書いてあってな!」 おお、たしかにトップに出てくるな。自動生成型のワンクリック詐欺とかかな、また。 やっぱそうだ。リンク先は… はいはい、いつものいつもの。動画風の画像わろすわろす。 第4条(会員登録および入会) 当サイトのトップページのコンテンツをクリックされた後に、
1 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2012/03/11(日) 19:22:09.49 0 @vocaloid_cv_cfm 無題 今、浴びるように酒を飲んでいるけど、その実、悩ましい判断をする為の儀式でしか無いな、こんな状況。 …圧倒的な権威とか、自由奔放な天才とか、いつからこんなんに付き合う羽目になった。畜生。 電通をフルコントロールできるプロデューサーなんかと俺らが仕事するわけねぇだろボケが!!!!!!! 色んなクリエイターと仕事できて、若い人達も楽しんでくれてて、それで十分なんだ、俺らは幸せなんだよ! 邪魔しないでくれ。お前らなんかに用はないんだ。こっちくんな!! 去年、お前らが多分、何百万もはねてる仕事を3万で請け負ったよね。汐留タワーの最上階でさ。 いちごシェークだっけ新入社員が飲まされる奴さ。あれをおごってくれたお前らのドヤ顔は一生忘れないよ。 頼む。もう二度と関わりた
おっと、タイトルだけ見て、先週から話題になっているはてなブックマークボタンのトラッキング問題の話かと思われたかもしれないが、本文でははてなブックマークの問題はほとんど扱わない。また、この問題について未だご存じない方は、ARTIFACT@ハテナ系のエントリの後半にあるこれまでの流れを辿ると分かりやすいだろう(ワタシ自身の認知にも近い)。 はてなが新サービスとしてはてなブログをリリースして4ヶ月以上経つ。当初は招待制だったが、昨年末にオープンベータに移行して現在にいたっている。 ワタシもリリース時に招待されたので少し触ってみたが、機能が何から何まで足らないことにびっくりしたものである。そして、はてなは「アレ」をやらかしたのではないかという疑念が頭をよぎったが、まさかと思う気持ちと、短時間触っただけの印象で間違った批判をしてはいけないという自制、何よりそのあたりはじきに解決するのだろうという楽観
ちょうど1年前の東日本大震災では、ツイッターほかSNSの情報ツールとしての存在感がクローズアップされた。あれから1年、ノンフィクション・ライターの神田憲行氏は、そのツイッター上のあるつぶやきに、違和を感じるという。何度も被災地に取材で足を運ぶ神田氏が、問題提起する。 * * * 今年も3月11日がやってくる。ツイッターでは震災から3ヶ月後、6ヶ月後のたびに「黙祷」というツイートが流れたが、3月11日にも溢れるのだろうか。 「黙祷」ツイートに何の意味があるのか、敢えて問いたい。 そもそも「黙祷」しているときにツイートは出来無いし、それを呼びかけてもやる人はやるし、やらない人はやらない(出来無い人もいる)。「震災を忘れないために」というかもしれないが、忘れるはずがない。結局、「黙祷」ツイートは、「震災から1年」という“イベント”に参加したいだけではないか。 そう“イベント”なのだ。ネットでは政
『遺体―震災、津波の果てに』について、重要なお知らせがあります。 現在本書は6刷が決まっていますが、来週早々にも刷り上がる予定の5刷から本文に登場する名前が一部変わります。 その経緯について、以下ご説明いたします。 先日、私のもとに一通のメールが届きました。 釜石市に暮らす小野寺さんという30代の男性でした。 そのメールには、「『遺体』の中で津波で死亡したと書かれている赤ちゃんは自分の子供かもしれない」とありました。 大まかに言えば、やりとりした内容は次のようなものでした。 <本文中で書かれている「生後100日で死亡した相太君」は、私の息子だと思います。 本に書かれているように、3月11日、津波が襲ってきた日、妻は生まれたばかりの赤ちゃんを抱えて逃げようとしました。 けれど、途中で妻は津波にのまれて赤ちゃんは手から離れてしまった。そして、母親だけが助かったのです。 私が勤務先から帰ることが
「東北魂」のチャリティーTシャツを着てガッツポーズを決めるサンドウィッチマンの伊達みきお(左)と富澤たけし(撮影・開出 牧) 東日本大震災の発生から11日で1年が経過した。1万5000人以上の死者を出し、今もなお3200人以上が行方不明という未曽有の大災害となったが、被災地は少しずつ復興への道を歩んでいる。昨年の「3・11」に宮城県気仙沼市で被災し、『東北魂』を旗印に復興支援に取り組む仙台市出身のお笑いコンビ・サンドウィッチマンが、恐怖の瞬間を振り返りながら“東北の今”を代弁した。 2011年3月11日、午後2時46分、東北地方を最大震度7の激震が襲った。沿岸地域は大津波にのみ込まれ、多くの尊い命が奪われた。福島第1原子力発電所では水素爆発が起こり、深刻な放射能問題へと発展。絶望的な負の連鎖となった。 サンドウィッチマンの伊達みきお(37)と富澤たけし(37)は、ともに仙台市出身の東北
東日本大震災から今日で丸一年が経過しました。いま思い出せるだけ、あのときぼくに何が起こったのか回想してみます。 3月9日(水) 正午少し前に、三陸沖を震源とするM7.3の地震が発生。最大震度5弱。以前から来るといわれていた宮城県沖地震がついに来たかと一時身構えるが、これは前震にすぎなかった。 3月11日(金) 午後2時46分、三陸沖を震源とするM9.0の巨大地震が発生。そのときぼくは職場にいたが、同僚ともども建物の外に飛び出す。揺れは3分ほど続き、あまりに強い横揺れのため立っていられずに四つん這いになってこらえる。 揺れがおさまる。すぐに停電。職場の建物は壊れなかったが、内部はめちゃくちゃ。中は危険で入れないため、同僚ともども会社の庭で途方にくれる。ちょうど上司がJIS規格の教習で留守だったため、帰っていいかどうか誰も判断できず。 電話は非常につながりにくく、メールの発信もほとんどできない
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く