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ブックマーク / hankinren.hatenadiary.org (5)

  •  私は、あなたを、ころしたい - 花房観音  「歌餓鬼抄」

    あなたにとってはほんの些細なひとことでも、私はその言葉をあなたの口から聞くとパニック状態に陥って自分を抑えられなくなることがある。 とんでもなく無神経で無知なくせに自分が世界一正しくて自分以外の価値観は認めないあなた。 私の上司はものすごく優秀でデキる経営者だと言っても、「でも、結婚してないんでしょ」と、軽蔑の混じった表情をするあなた。結婚していない人は皆不幸で寂しいと言い切るあなた。 田舎者で驚くほど世界が狭くてそこしか知らないくせに田舎は善で都会は悪だと信じて疑わないあなた。 自分が今いる世界しか知らないクセにその世界こそが世の中で一番正しいと思っているあなた。 も読まない映画も見ない音楽も聴かない旅行も行かない外もしないあなた。 娯楽や文化は全て「無駄なもの」と言うあなた。 私が小学生の時に、修学旅行のお土産にあなたにイヤリングを買ってきた。それを見たあなたは「また無駄遣いをして

     私は、あなたを、ころしたい - 花房観音  「歌餓鬼抄」
  •  ただ、恋のためだけに ―女優・林由美香― - 花房観音  「歌餓鬼抄」

    その人に焦がれていた。 自分と一つしか年齢の違わぬキラキラと輝く大きな目のその人に。偶然出会った映画の中のその人は、明るく自由でどこか幻のような存在感があった。 その人のことを知る為の細い弦のような物をやっと見つけて、手探りで辿っていこうとしたその途端に、その人が亡くなったことを聞いた。 世の中には偶然というものは実は存在しなくて、全ての物事が必然性を帯びていると何かで読んだことがある。もしそうならば、あの時、偶然屋であのを手にしたことは自分にとってどういう必然性を齎したのだろうか。 偶然手にした「自転車野宿不倫ツアー」というの元となった、「由美香」という元はAVとして作られ後に劇場公開された映画を見たのは、それからしばらくしてのことだった。そこで知った「林由美香」という一人の女の子(女優とか、女というより、「女の子」と形容するのが相応しいように思う、あの映画の中においては)に魅せら

     ただ、恋のためだけに ―女優・林由美香― - 花房観音  「歌餓鬼抄」
  • 彼女からの年賀状 - 花房観音  「歌餓鬼抄」

    毎年送られてくる一枚の年賀状がある。送り主はFという同級生の娘だ。普段は特に連絡をとることもないが年賀状だけは毎年やりとりしている。 Fは背が高く、おとなしく少し暗い雰囲気の娘だったが優しい娘だった。Fは自分が背が高いことと「私はブスだ」ということを気にしていた。確かに彼女は美人ではないけれども雰囲気の良い娘だしブスということはないと私は思っていた。 Fの出身中学は田舎の小さな学校だった。何故だかFだけは同じ中学出身の他の人達と行動を別にしていたし少し浮いているようだった。お互い嫌い合ってるというわけではないけれども何となくよそよそしかった。 ある日、その理由をFから聞いた。 Fの中学は雪深い山にあるので、冬場は遠くの生徒は通学が困難なので学校に隣接している寮で生活をしていたのだ。その頃、Fは同級生の、ある男のことが好きだった。名をYとする。Yも同じ高校に来ていたので私も顔は知っていた。背

    彼女からの年賀状 - 花房観音  「歌餓鬼抄」
  • 覚悟のある恋愛 ―「それから」 夏目漱石― - 歌餓鬼抄   

    映画を見た感想というものは、ごくごく個人的なもので、それは受け手の経験や状況から生じたフィルターを通じて初めて個人の中に伝達される。だから同じ映画を見ても、例えばAという人物とBという人物が全く相違の無い感想を持つということは有り得ない。AとBは別の個を持つ人間だからである。そして経験や状況というものは良かれ悪しかれ時を経て変化する。だからAという人物が同じを読んでも、例えば10代の時に呼んだ感想と20代に読んだ感想とが全く相違が無いということは無い。多少なりとも変化しているのが当たり前だ。 夏目漱石の「それから」という小説を初めて読んだのは高校生の時だ。今までに何度か読み返している。少し前、の整理をしていて発見し、久々に読み返してみようと思った。「それから」は、激しい小説である。静かで壮絶な物語である。 主人公代助は、大学を卒業したが何の職業にも就かず実家からの援助にて暮らし

    覚悟のある恋愛 ―「それから」 夏目漱石― - 歌餓鬼抄   
  • 巷に雨の降る如く - 花房観音  「歌餓鬼抄」

    巷に雨の降る如く 我が心にも涙降る かくも心に滲みいる この悲しみは何ならん P・ヴェルレーヌ 「雨」という映画がある。あるいは「雨の欲情」。原作はサマセット・モーム。舞台は雨季の太平洋の島。そこにやってきたジョーン・クロフォード(マレーネ・ディートリッヒいわく、ギョロ眼の醜い女。そういうディートリッヒは、三島由紀夫に西洋版おかめ呼ばわりされてるが)演じる娼婦、それに群がる男達、それを非難する敬虔な牧師夫婦。しかし牧師は神の名において、性の快楽に溺れる享楽的な男達と娼婦を更正させようとする。一度は更正して神の御子となったかのような娼婦。しかし、降り続く雨と、祭祀的な太鼓の音の中、最後には、牧師も娼婦の誘惑に陥落され、己の性欲に負けた絶望で海に身を投げ命を絶つ。 私には血の繋がった兄や姉はいない。しかし、兄のような人が一人いた。19歳の時に出会った三つ上のその人は、私に仕事を教えてくれた人で

    巷に雨の降る如く - 花房観音  「歌餓鬼抄」
    watapoco
    watapoco 2007/01/17
    すごい。女性の書く文章の真髄。
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