お互いの意見の食い違いは何からくるのかを議論しようとしたら仲裁に入られたことがある。割り込んできた人というのは喧嘩でも始まるのかと思ったようだ。 考えてみれば、日本人の空気を読む、まぁ丁寧に言えば「察する」というのは古来からの伝統であろうし、和を尊ぶ民族なのだろうが、「意見が違うということ」=「喧嘩」という捕らえ方をされたのはちょっと苦笑いせざるを得なかった。 意見の食い違いがある場合、議論慣れしていないと、ニホンザルのマウンティング(群れの中の序列確認の儀式)のようなことになってしまう場合がある。つまり、「勝ち負け」を決めようとするわけだ。議論というのはそういうものではない。食い違う意見を説明できるより完全な理論を見出す行為だ。そこに勝ち負けなど存在しない。 どちらが勝ったか負けたかということを意識しているのだとしたら、それは議論ではない。だが、世間的には「言い合い」はみんな議論だと思っ