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ブックマーク / www.tapthepop.net (3)

  • イギリスでも無名だったクイーンを日本で売り出すことを決めて意欲を燃やしたプロデューサー・渡邊晋の慧眼

    Home Extra便 イギリスでも無名だったクイーンを日で売り出すことを決めて意欲を燃やしたプロデューサー・渡邊晋の慧眼 - TAP the POP クイーンが国のイギリスでデビューしたのは1973年7月だったが、シングル「炎のロックンロール」もアルバム『戦慄の王女』も、マーケットではほとんど反応がないままメディアからは酷評されてしまった。 しかし、まだアルバムが発売になる直前の5月の段階で、その後の彼らの運命にも影響を与えたふたりの日人が、人たちの預かり知らないところで、日における売り出し方に思いをめぐらせ始めていた。 ことの発端となったのは、拡大する日音楽マーケットに関して、渡辺プロダクションの創業者で社長だった渡邊晋と、副社長で夫人の美佐のもとへ、欧米のレコード会社や音楽出版社、アーティストのエージェントなどから様々な共同事業の提案が持ち込まれていたことだった。 渡辺

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    watapoco
    watapoco 2018/11/27
  • イントゥ・ザ・ワイルド〜アラスカの荒野に消えた青年が孤独な旅で綴り続けた心の言葉

    『イントゥ・ザ・ワイルド』(INTO THE WILD/2007) 1992年、夏。アメリカの最北部アラスカ州の荒野。捨てられた古いバスの中で一人の若者の遺体がヘラジカのハンターによって発見された。名前はクリストファー・マッカンドレス(以下クリス)、年齢24歳。日記やカメラ、ソローの『ウォールデン/森の生活』など何冊かの小説もそばにあった。 クリスは東海岸の裕福な家庭で育ち、南部のエモリー大学を優秀な成績で卒業。その直後、2万4千ドルの貯金を全額慈善団体に寄付し、1990年のある日突然旅に出た。名前を変えて2年間の放浪の末に遺体が発見されるまで、両親や妹は彼が何処にいるのかもまったく知らされることはなかった。 クリスがなぜ旅に出たのか? なぜ死んだのか?という謎は全米の二ュースになり、ノンフィクション作家のジョン・クラカワーが追跡取材を重ねて1995年に発表した『荒野へ』は大きな反響を呼ん

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    watapoco
    watapoco 2015/05/14
  • 追悼・冨田勲~海外で発見された美輪明宏のカルトムービー『黒蜥蜴』と「黒蜥蜴の唄」

    探偵小説「黒蜥蜴(くろとかげ)」は、宝石など美しいものを狙う美貌の女賊・黒蜥蜴と、名探偵・明智小五郎が対決する物語で、江戸川乱歩が1934年に発表した長編小説家だ。 1962年にそれを華麗な恐怖恋愛劇の戯曲にして発表したのが三島由紀夫である。 戯曲化するにあたって三島は、黒蜥蜴と明智小五郎との恋愛を主軸にして、歌舞伎の手法を取り入れてデカダンスを強調した。初代の水谷八重子が黒蜥蜴、芥川比呂志が明智小五郎役に扮して、3月には舞台化された。 それから6年後の1968年4月、三島の強い希望が叶って丸山(現・美輪)明宏を主演に迎えて『黒蜥蜴』が再演されると、これが大ヒットを記録する。 すぐに映画化の企画が持ち上がり、深作欣二監督による映画『黒蜥蜴』が早くも8月に公開されて、これもヒットしたのだ。しかし多くの観客が劇場に足を運んだにもかかわらず、マスコミや評論家からまったくといっていいほど無視される

    追悼・冨田勲~海外で発見された美輪明宏のカルトムービー『黒蜥蜴』と「黒蜥蜴の唄」
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    watapoco 2015/03/30
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