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  • 『国家と音楽家』中川右介(七つ森書館) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「”音楽家には国境がある”」 「音楽に国境はない」というのは真実だろうが、過去の歴史をひもとけば、「少なくとも、音楽家には国境がある」。これが、書(中川右介著『国家と音楽家』七つ森書館、2013年)の重要なメッセージのひとつである。書には、政治に翻弄された音楽家たち(フルトヴェングラー、カラヤン、トスカニーニ、カザルス、ショスタコーヴィチ、バーンスタイン、等々)がたくさん登場するが、「天下泰平」の世ならともかく、20世紀の激動の時代を生き抜いた音楽家たちの生涯を追うと、やはり「音楽家には国境がある」と言わざるを得ない。 著者はすでにこのテーマで何冊かを書いているので、ヒトラー政権とフルトヴェングラーの微妙な関係、当時ナチ党員でありながらワーグナーのあるオペラの演奏上のミスでヒトラーに嫌われたカラヤンの話などをよく知っている読者も少なくないかもしれない。

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    watermaze 2014/03/08
  • 『シンメトリーとモンスター』 マーク・ロナン (岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 群論の研究者が書いた一般向けのだが、内容はかなり高度である。 日版の副題は「数学の美を求めて」だが、原著では「もっとも偉大な数学の探求の一つ」となっていて、著者自身が参加した「アトラス(地図帳)計画」をさす。 群論を開拓したガロアは群を部分群に分解していくと、それ以上分解できない単純群と呼ばれる特別な群に行き着くことを発見した(単純群とは整数論における素数のようなものといえるかもしれない)。「アトラス計画」とは、この単純群をすべて分類しつくそうという壮大な計画で、1960年代にはじまった。当初は終わりがあるのかどうかもわからず、すくなくとも20世紀中には終わらないだろうと言われていたが、1980年頃には終わってしまい、1985年から電話帳のような『アトラス』の刊行がはじまった。 めでたしめでたしと言いたいところだが、探求の過程で「モンスター群」と呼ばれる巨

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    watermaze 2014/01/07
  • http://booklog.kinokuniya.co.jp/takeuchi/archives/2013/12/post_2.html

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    watermaze 2013/12/12
  • 『アメリカの反知性主義』リチャード・ホーフスタッター【著】/田村 哲夫【訳】 (みすず書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「知性主義・脱知性主義・スーパー知能主義」 橋下旋風は、最近は鳴りをひそめているが、氏の言う「ふあっとした民意」がいまの日になくなったわけではない。ひとつはポピュリズムであるが、もうひとつは「を読んで」「くっちゃべって」いるだけ、「役立たず」の学者文化人という橋下氏の臆面なき発言に象徴される反知性主義的空気である。 この反知性主義をアメリカ史に探ったのが、書である。原書の刊行は1963年だが、「赤狩り」(共産主義退治)とあいまって反知性主義旋風をまきおこしたマッカーシズムの恐怖の時代に触発されて書かれたものである。マッカーシズムが吹き荒れていた1952年のアメリカ大統領選挙では、知性的なアドレイ・スティーヴンソンと凡庸な俗物風のドワイト・アイゼンハワーの戦いになった。アイゼンハワー陣営は、スティーヴンソンやその同調者を「エッグヘッド」と呼んでネガティブキ

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    watermaze 2013/12/12
  • 『新・ローマ帝国衰亡史』南川高志(岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「これはすごい!」、まずそう思った。書のタイトルの「新」の後に「・(ナカグロ)」がある。その意味を問い、理解することが書の価値を知ることになるとも思った。 表紙裏開きに、つぎのような要約がある。「地中海の帝国と言われるローマ帝国は、実は「大河と森」の帝国だった? 衰亡の最大原因とされる「ゲルマン民族」は存在しなかった? あの巨大な帝国は、わずか三〇年で崩壊した?-歴史学の最新の知見から<二一世紀の衰亡史>を語り、栄えた国が衰えるとはどういうことか、国家とはそもそも何なのかを考えさせる、刺激的な一書」。たしかに「刺激的」だった。書は、「歴史学の最新の知見」を要領よくまとめた概説書ではない。著者、南川高志は欧米を中心とした最新の歴史学を踏まえて、「独自の考え」のもとに新たな歴史像を提示している。 まず、1970年代以降に歴史学界で新しい解釈の傾向が生じ、90

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    watermaze 2013/07/18
  • 『ラノベのなかの現代日本 ― ポップ/ぼっち/ノスタルジア』波戸岡景太(講談社現代新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「おとなにも読めるラノベ?」 ラノベとは何か? ライトノベルの略称だ、くらいはわかる。でも、実際に手に取ったことはないし、手に取る気もないし、どうせ中高生の「こども」が読むくだらん小説だろうと高をくくって、そのくせ「まるでラノベじゃんか」といったセリフだけは口にする「おとな」たち。 明らかに世代間の断絶があるのだ。書の目的はそんな断絶をきちっと整理しましょう、理解しましょう、というところにある。単なる断絶に見えるものにも実はつながりがあって、起源や影響があって、でも、微妙な違いもある。別にラノベを擁護しようというのでもなければ、弾劾しようというのでもない。病理として解剖しようというのでもない。あくまで現代日を理解するための端緒にするのだと著者は言う。書には「古典的ラノベ」からの抜粋が散りばめられ、さながらミニ・アンソロジー。その語り口からは自ずと著者のラ

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    watermaze 2013/07/01
  • 『多民族国家シンガポールの政治と言語-「消滅」した南洋大学の25年』田村慶子(明石書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 シンガポールのことを、「明るい北朝鮮」と言った人がいる。書を読めば、その意味がわかる。1965年の独立以来、リー・クアンユーの指導の下、人民行動党が一党独裁を続け、その独裁を批判すれば、国内治安維持法で無期限に収監される。野党も存在するが、選挙区ごとに第1党が議席を総取りするため、野党議員は当選しにくい。 書は、そのような独裁体制下で「権力に祝福されない大学」として、1955年の開学からわずか25年で幕を閉じた南洋大学(南大)の歴史を辿る。著者、田村慶子は、その歴史をつぎのように要約している。「数では圧倒的に英語派に勝るものの、政治権力から遠かった華語派華人が、英語派との抗争の末に社会の周縁に追いやられていく過程であり、権力の側から見れば、多民族多言語の社会において民族の言語や文化をどのように政治的に管理するのかという政治と言語の葛藤の歴史である」。 シン

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    watermaze 2013/06/04
  • 『顕示的消費の経済学』 メイソン (名古屋大学出版会) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「顕示的消費」とはヴェブレンの『有閑階級の理論』で広く知られるようになった言葉で、ブランド品や贅沢品を社会的地位を誇示するために買うことをいう。要するに無駄遣いだが、今日の消費社会は無駄遣いで回っており、顕示的消費なしには成立たない。 書は顕示的消費がどのように考えられてきたかを資主義の黎明期にさかのぼって追跡したである。おなじみの名前が意外な形で登場してくるが、顕示的消費が最近まで経済学にとってできれば無視したい喉に刺さったトゲでありつづけたことがよくわかる。 17世紀のダッドリー・ノース卿から現代のミクロ経済学まで400年の歴史をあつかっているが、画期をなすのはマンデヴィルとヴェブレンである。大まかにいえば顕示的消費の経済学はマンデヴィル以前、マンデヴィルからヴェブレンまで、ヴェブレン以後の三期にわかれる。 経済についての自覚的な考察は重商主義にはじ

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    watermaze 2013/05/28
  • 『「八月の砲声」を聞いた日本人-第一次世界大戦と植村尚清「ドイツ幽閉記」』奈良岡聰智(千倉書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「書で取り扱うテーマは一見マイナーかもしれない」。しかし、マイナーだからこそ、重要な意味をもってくることがある。とくに書で扱う第一次世界大戦は、「総力戦」として知られる。研究のほうも、マイナーなテーマを含めて「総力戦」であたらねば理解を深めることはできない。著者、奈良岡聰智は、「おわりに」で、つぎのように説明している。書で扱うテーマは、「想像以上の奥行きと広がりを持っていると思われる。巻末の表をご覧いただければ分かるように、第一次世界大戦勃発時にドイツにいた日人は、外交官、軍人、実業家、学者、医師、エンジニアなど、当時の日を代表するエリートたちであった。文でも述べたが、これは当時の日がいかにドイツから多くのことを学んでいたかを反映しており、彼らの存在自体が日独交流の歩みを体現している観がある。このときドイツでどのような人々が何をしていたのか分析す

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    watermaze 2013/05/28
  • 『フィリピンBC級戦犯裁判』永井均(講談社選書メチエ) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 日と日が植民地にしたり占領したりした国や地域との歴史認識問題は、なぜいつまでもつづくのだろうか。その理由の一端が、書からわかる。それは、日とそれらの国・地域の責任の考え方が違うからである。日人は戦争に加担し、害を直接加えた人に責任があると考えている。しかし、害を受けた人びとは、それを止められなかった人や社会にも責任があると考えている。たしかに一般の日人も被害者という側面があることは事実だが、軍国主義社会を意に反してであっても結果的に容認した日人ひとりひとりが、間接的加害者になっていたことも自覚しなければならないだろう。ましてや実際に戦場にいた指揮官や加害の現場にいた者は、その責任から逃れることはできないだろう。ところが、戦後の日では、早くから戦犯に問われた者も、個人的には立派な人たちであったという「物語」が語られるようになり、責任が問われるどこ

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    watermaze 2013/05/22
  • 『黄禍論と日本人-欧米は何を嘲笑し、恐れたのか』飯倉章(中公新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「さて、お楽しみいただけたでしょうか。「面白くなければ歴史ではない」などというつもりはもちろんないのだが、諷刺画を扱っているからには、読者の皆さんにはその皮肉や諧謔を味わってもらいながら、当時の歴史を実感していただければと思った。現代の感覚で、当時のユーモアを理解するのは容易ではないでしょうが……」。書の「あとがき」は、このような文章ではじまる。最後の「現代の感覚で、当時のユーモアを理解するのは容易なことではないでしょうが……」から、著者、飯倉章の苦労が偲ばれる。さらに、著者は、読者に西洋「紳士の嗜(たしな)み」とされる「高度なユーモアやウィット」を理解してもらおうとしている。 ある意味で風刺画の黄金時代とされる、書で論じられている19世紀終わりから1920年代半ばまでの歴史と社会を読み解くためには、それが描かれた背景を知る必要がある。著者は、つぎの3点を

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    watermaze 2013/05/22
  • 『ケネー 経済表』ケネー(岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「経済学の真の天才の作品」 フランソワ・ケネー(1694-1774)の『経済表』が岩波文庫に収録された(『ケネー 経済表』平田清明・井上泰夫訳、岩波文庫、2013年)。喜ぶべきことである。なんとなればケネーは経済学の創設期を飾る真の天才であるから。 なるほど、アダム・スミスもイギリス古典派経済学の父という意味では経済学の誕生を語るには欠かせない偉人だが、そのスミスでさえ、フランスで「フィジオクラシー」(重農主義)と呼ばれる学派の指導者であったケネーを尊敬し、『国富論』を彼に献ずるつもりであったことが知られている(残念ながら、『国富論』が出版された1776年にはケネーは他界していた)。しかも、ケネーは、古典派やマルクスによって継承される「社会的富の再生産」という視点を誰よりも早く明確に把握していたように思われる。それゆえ、私は、経済学史の講義ではケネーを最初に取

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    watermaze 2013/05/22
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