三望苑から望む鳥海山と由利本荘市街 由利本荘市(ゆりほんじょうし)は、秋田県の南部にある市。 地理[編集] 日本海に面した市で、子吉川の河口から3kmほど遡った、子吉川の南側を中心に市街地が広がる。また子吉川の河口には本荘マリーナ海水浴場があり、海岸沿いに酒田街道(現在の国道7号に相当)が南北へ伸びている。市域の中央部は丘陵地(笹森丘陵)となっており、本荘街道、矢島街道(それぞれ国道107号、108号に相当する)が内陸部に通じる。 秋田県内最大面積の市町村で県の10分の1を占め、神奈川県の半分に相当する。由利本荘地域の面積が広大なため、天気予報も『由利本荘沿岸』『由利本荘内陸』と分けて行われている。 山 : 笹森丘陵(笹森山)、鳥海山、八塩山、丁岳、甑山 河川 : 子吉川、君ヶ野川、笹子川、石沢川、芋川、衣川 湖沼 : 大谷地池 隣接している自治体[編集] 秋田県 秋田市 大仙市 湯沢市
矢島藩庁の遺構である矢島陣屋の水堀 矢島藩(やしまはん)は、江戸時代初期、および明治時代初期の藩の一つ。羽後国(旧出羽国)由利郡矢島(現在の秋田県由利本荘市矢島町)の矢島陣屋(別称:八森陣屋)に政庁を置いた。藩主は生駒家。 概略[編集] 讃岐国高松藩(17万1800石)の藩主であった生駒高俊は、家中不取締りを理由に領地を没収され、堪忍料として矢島1万石を与えられた。さらに、高俊の嫡男・高清が弟の俊明に2000石を分知したため、以降の生駒氏は8000石の交代寄合(最初は江戸詰交代寄合表御礼衆)となった。 慶応4年(1868年)の戊辰戦争で当主親敬は新政府に与し、戦後1万5200石に高直しされた。これによって生駒家は約200年ぶりに諸侯(大名)に列して、再び矢島藩を立藩した。したがって厳密にいえば、矢島配流(1640年)から交代寄合確定(1658年)までと、再立藩(1868年)から廃藩置県(1
矢島町(やしままち)は秋田県南部に位置していた町。町村制による町としての発足後、消滅まで一度も合併しなかった。 2005年3月22日、本荘市および他の由利郡6町(岩城町、大内町、由利町、西目町、東由利町、鳥海町)と合併し、由利本荘市となった。合併後も由利本荘市矢島町として地名が残っている。 地理[編集] 矢島中学校前から見た鳥海山 山: 鳥海山 河川: 子吉川 隣接していた自治体[編集] 秋田県 由利郡:仁賀保町、象潟町、由利町、鳥海町、東由利町 山形県 飽海郡:遊佐町 歴史[編集] 1888年(明治21年)10月 - 矢島矢島町・矢島田中町・矢島舘町・城内村・七日町村・元町村・荒沢村・立石村・新荘村・木在村・坂之下村・川辺村の12町村が合併して矢島町となる[1]。 1889年(明治22年)4月1日 - 町制を施行する。 2005年(平成17年)3月22日 - 周辺市町と合併して由利本荘市
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