昨日のエントリの続きを書こうと思ったけど予定変更。なぜなら1683年の今日は「八百屋お七」が火刑に処せられて亡くなった日なのだにゃ。正確には旧暦の3月29日なんだけど、まあいいや。 八百屋お七の話は、ググると結構ヒットするんだけど、まあ大同小異なのでここはウィキから引用しておきますにゃ。wikipedia:八百屋お七 お七は1682年(天和2年)12月の大火(天和の大火)で檀那寺(駒込の円乗寺、正仙寺とする説もある)に避難した際、そこの寺小姓生田庄之助(左兵衛とする説も)と恋仲となった。翌1683年(天和3年)、彼女は恋慕の余り、その寺小姓との再会を願って放火未遂を起した罪で、捕らえられて鈴ヶ森刑場で火刑に処された。 その時彼女はまだ16歳(当時は数え年が使われており、現代で通常使われている満年齢だと14歳)になったばかりであったため奉行が哀れみ、お七は 15歳だろうと聞いた(15歳以下の