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白熱激論! 田原総一朗×孫正義「なぜ日本からiPhoneが生まれないのか」 電子教科書は日本を救うか 第2回 vol.1 はこちらをご覧ください。 田原 一つ素朴な質問をしたい。パソコンの基本ソフトを作ったのも、iPhoneやiPadも全部アメリカでしょ。なんで日本ではできないんですか。 孫 マイクロコンピュータが生まれたのがアメリカで、シリコンバレーですよね。シリコンバレーでスタンフォード大学を中心に、その周りにインテルだ、フェアチャイルドだと、全部集まっている。メッカに近ければ近いほど、距離の二乗倍に反比例して影響は大きい。一番メッカに近いところで激しい革命が起きている。だから絵描きがパリに行くように、メッカに世界中から強者が集まるわけですよ。 田原 そう言えばグーグルもスタンフォードですね。 孫 そうです。グーグルの創業者もスタンフォード、ヤフーの創業者もスタンフォード。僕は隣のバー
消費者金融が、“イジメ”られている理由:ちきりん×磯崎哲也のマジメにおちゃらける(4)(1/4 ページ) 2010年6月に改正貸金業法が施行された。上限金利が引き下げられたり、貸出総額が年収の3分の1までとなったり、消費者金融にとって“不利”な法律がなぜ施行されたのだろうか。その背景を、ちきりんさんと磯崎哲也さんが語り合った。 2010年6月に「改正貸金業法」が施行された。上限金利が引き下げられたり、貸出総額が年収の3分の1までとなったり、消費者金融は「貸しにくい」状況に追い込まれた。逆に消費者にとっては「借りにくく」なってしまった。 「急にお金が必要になった。しかしお金がない」――。このような経験をしたことがある人も少なくないだろうが、なぜ“借りにくく、貸しにくい”法律が施行されたのだろうか。この問題について、正体を明かさないブロガー・ちきりんさんと公認会計士の磯崎哲也さんが語り合った。
昨夜スタンダード&プアーズ(S&P)がベルギーの債券格付けの見通しをネガティブ(悪い)に引き下げました。従来の見通しはステーブル(安定的)でした。 S&Pは見通しの引き下げの理由として同国の政局の混迷を理由に上げています。 実際、ベルギーでは選挙があってから既に半年が経っているのですが、いまだに組閣できていません。S&Pはこの状態が続くようなら半年以内に格付けを引き下げる可能性があるとしています。 2011年の借り換え需要はGDPの約11%に匹敵します。 そこで簡単にベルギー経済の基礎要件をチェックしてみましょう。 先ずGDPの推移ですが、フランスと酷似しています。 失業率は歴史的にフランスやドイツより良かったですが、最近のトレンドは悪化しています。 財政収支はリーマン・ショック前までは優等生でしたが、最近、悪化の傾向にあります。 政府負債は歴史的に高水準でしたが、今、再び悪化の傾向をたど
BIS(国際決済銀行)が2010年の第2四半期報告書を提出しました。 その報告書によるとギリシャ、アイルランド、ポルトガル、スペインの4カ国(PIGS諸国)に対する世界の貸付残高(*)は2.28兆ドルでした。 上のグラフでは読みにくいと思いますので表を掲げておきます。単位は10億ドルです。 さて、5月にギリシャがどうにもならなくなったとき、欧州連合(EU)と国際通貨基金(IMF)は「1兆ドルの救済ファンド」構想をぶち上げて、所謂、「ショック作戦(Shock and awe strategy)」で世界の投資家をアッと言わせました。 金輪際、空売りを仕掛ける投機筋を黙らせるのがその目的でした。 しかしアイルランド危機が再燃してからは単なる見せかけの戦法ではもう投資家は騙されなくなりつつあります。 「1兆ドルの救済ファンド」の根幹を成すEFSF(欧州金融安定化取極)もその構造的な欠陥(=トリプル
先日、田原総一朗さんが「メディアの主役はずっと新聞だったけど、80年代にテレビに主役を奪われた」って言われてて、「ほー!」と思った。 これ、私の年齢でさえ「そーいわれれば」って感じだけど、若い人なんてもっと「へっ?」じゃない? 新聞がテレビよりメジャーだった時代なんて知らないでしょ。 でも実は、NHKのテレビ放送開始が 1953年なのに対し、朝日新聞は大阪での発刊が 1879年、さらに「新聞は“かわら版”から始まった」とか言い出したらもっと古い。 田原さんが言うには、彼がテレビ界で働き始めた頃、新聞界の人はテレビを「どうせテレビなんか絵を映してるだけだろ」って小馬鹿にしてたらしい。 「絵を映してるだけ」って、今となっては何をどうバカにしてるのかさえよくわからない。 さらにおもしろかったのは、当時、記者クラブには新聞記者しかいなかったのだが、NHKがテレビで初めて記者クラブに入ったって話。
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