2008年12月14日のブックマーク (4件)

  • 「結果の平等」と「変化の不平等」

    今日の読売新聞で、2008年の論壇を「『新自由主義』崩落の年」と総括していた。 これらの危機や問題には共通の根があることを、今や私たちは知っている。小さな政府を志向し、社会の隅々までを市場化し、すべてを個人の能力に帰していく「新自由主義」である。2008年は、リーマンショックでその根が掘り出され、ここ20〜30年ほど世界を席巻してきたこの思想が、もはや従来のような力を持ち得ないことを明確にした年だったといえる。 確かに、「新自由主義」に否定的な言説は広まっていると思うけど、「新自由主義」以前に回帰せよという主張がほとんどであるように思える。少なくとも、世界が変化していく中で、日がどう変わるべきかを示すようなビジョンは見あたらない。 特に、価値観の多様化を前提として社会が変化していく方法としては、市場や自由競争に代わるものは無いと思う。 「新自由主義」における市場化は、各自が萎縮することな

    「結果の平等」と「変化の不平等」
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    wbk 2008/12/14
    変化は必要不可欠だと実感する。
  • 空気が読める人の精神防衛法 - 発声練習

    「自分は何か言われるまで何もしないから、あなたも何か言われるまで何もしなくていいよ」という人と、「自分は言われなくても色々するから、あなたも言われなくても色々してね」という人。 非コミュは自然と前者の認識を持っている。けど、非コミュに悪意を向ける人には後者の認識がある。 そして、この静と動の認識のズレが、二つの間に悪意を生み出してしまう。 一つ目が「何でこいつは何もしないんだ」という悪意。二つ目が「何でこいつは何にもしてないのに悪意を向けるんだ」という受動的な悪意。 (牛乳工房:非コミュの苦悩と、悪意。より) コミュニケーションが得意・不得意の話とはずれるけど、上記のような違いを感じたことがある。学生だったとき(今から、5年前くらい)、研究室が汚れていたので、掃除を始めたところ、すぐに後輩の日人学生が「何か手伝いましょうか?」と尋ねてくれた。そのときは謝意を述べてお手伝いはお断りしたがう

    空気が読める人の精神防衛法 - 発声練習
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    wbk 2008/12/14
    コミュ、非コミュの2者の立場から書いてて面白い。
  • 才能あるレジのおばさんにはそれ相応の給料を払ったほうが良い

    セメントドリンク、ブラウン管、吊るされた収納、OMORIカフェ、くり抜き、どや顔の初音ミク パチミラ福岡に出演する縁で博多に行きました。 楽しかったのでその時の写真をアップロードします。 博多駅のハートポスト 手描きのグリッチ カニの丸揚げ(おいしかった) フレッシュセメント という名前の飲み物(おいしかった)ごま+バナナスムージーっぽかった? 泡系…

    才能あるレジのおばさんにはそれ相応の給料を払ったほうが良い
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    wbk 2008/12/14
    能力主義ならば、当然のこと。野球みたいに年俸制とかにしたら面白そう。
  • 「日本語が亡びるとき」を読んで(11) - 考えたヒント - 駒田明彦

    気がついてみれば自分はすでに10回この題目で書いたらしい。 『日語が亡びるとき』の読み方にはいろいろあると思う。自分でもいろいろなところに後から注意が散らばっていくのを感じて、読み返せば読み返すだけ違った気持が新たに生まれてくる。これはちょっと不思議な感じだ。 『三四郎』に出てくる広田先生という人物が水村の語りによってしばらく焦点を当てられる。先生といっても三四郎の通うことになる大学の先生ではなくて、広田先生は高等学校の英語教師で、西洋語の書物に詳しい人物という役回りとして現れる。広田先生は一種の変わり者として描かれていて、それは漱石のねらいと水村の解釈が一致していると思われる点だ。それはどういうことかというと、翻訳者を養成する役回りで自分は十分と考えていることで、自分はたくさん読むけれど、ほとんど書こうと思わない人物で、これが変わり者であったということ。これについては水村が例によって秀

    「日本語が亡びるとき」を読んで(11) - 考えたヒント - 駒田明彦
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    wbk 2008/12/14