被爆半年後の自分の写真を掲げながら演説する谷口稜曄さん=7日、ニューヨークの国連本部、大隈写す (演説の大半は、谷口さんが準備した原稿を、通訳が英語で代読した。【】部分は谷口さん自身が日本語で演説した) 【議長、ならびにご列席のみなさま。 長崎の被爆者、谷口稜曄(すみてる)でございます。】 日本の被爆者23万人と平和を愛する世界のNGOを代表して、ここで発言するという栄誉をお与えくださいまして、ありがとうございます。 【私は1945年8月9日、当時16歳の時、長崎の爆心地から北方1.8キロの所を自転車で走っていて被爆しました。3000度、4000度ともいわれる強烈な熱線と、放射線によって背後から焼かれ、次の瞬間、猛烈な爆風によって、自転車もろとも4メートル近く飛ばされ、道路にたたきつけられました。】 突風が過ぎ去ったので顔をあげて見ると、建物は吹き倒され、近くで遊んでいた子供た