タグ

ブックマーク / mubou.seesaa.net (12)

  • 不倒城: 面接官をやり始めて分かったことと、思ったこと。

    ここしばらく、新卒・中途問わず面接の場に出たり、別の面接官の人と色々話したりした。 で、色々と、面接する側に立ってみて初めて分かることが結構あるなあと思ったりもした。ちょっとメモっておく。 ○面接側の事情について思ったこと。 ・「縁」とは、特筆するべき事由が特にない時、強引に理由付けをする為に存在する言葉。 ・面接をする側にもモチベーションと切迫具合というものがある。 ・当に人手不足の場合と、採用計画の消化過程にある場合では、切迫具合がまったく異なる。人を見る目にもかなりの差が出る。 ・面接官に人を見る目があると思ったら大間違いである。また、面接官が現場を熟知していると思ったら大間違いである。 ・特に中小企業において、面接という仕事は往々にして面接官の業ではない。面接官は、大抵の場合他にもどっさりと仕事を抱えている。つまり、面接という場にやる気なく臨んでいる人も割といる。 ・「弊社を希

  • 不倒城 : 結婚生活を割と愉快に過ごす為のたった一つのキーワード。

    大事なのは、関心量の調節、だと思う。というか、当にそれだけだと思う。 最近幾つか、「結婚が上手くいかなかった人」の視点で書かれたお話を読んだ。この視点が注目を集めていることを見ていると、結婚に全然不満を持っていない人の視点も一応書いておいた方がいい様な気がしてきた。 なので書く。 例えば結婚生活が上手くいっている話とか、上手くいっていない話とか、色んな人のお話を聞く。色んな人のお話を読む。 決まって思うことがある。結婚生活が上手くいっていない人というのは、つまり関心量に大きない違いが出てしまっている様に見えるなあ、と。 関心というのは、大きく言うと勿論お互いへの関心である。更には、お互いが関心をもっているものへの関心、でもある。 AさんがBさんに関心をもつ。あるいは興味をもつ。何をしているのか、どんな人間なのか知りたいと思う。 全ての人間関係はそこから始まる。お互いへの関心のバランスが

  • 人狼BBSが僕達に教えてくれたこと。: 不倒城

    「信じてもらうこと」と「信じさせること」は、似てる様でいて実は全然違うこと。 ゲームに勝つために重要なのは、「自分が何を語るか」ではなく、「自分の言葉をどの様に受け取ろうとする人が多数派なのか」だったりする、ということ。 発言が支持されるか支持されないかは、発言内容以上に、その発言を向けている層に依存するということ。そして、時としてたった一人に支持されるだけで十分ゲームをひっくり返せるということ。 不利な流れ、自分の発言が悪くとられる流れになったら、ちょっとやそっとの努力じゃ押し返せないこと。 と。まあ、ここ一年だか二年くらいBBSでの人狼から離れていて、久々にこんな触り方をしたらちょっと自分の中で再燃した。再開するかどうかは分からないけど、軽く思うところをまとめてみよう。 人狼BBSというのは、要は掲示板上の説得ゲームであり、ある村の中に紛れ込んだ「人狼」を、そのゲーム上から排除するとい

  • 魔王のマネジネント能力について。: 不倒城

    魔王がいつまで経っても世界征服できない理由 このお題、ちょっと面白そうだなーと思った。 魔王は何故いつまで経っても目標を達成出来ないのか。つまり、何故組織としてプロジェクトを遂行出来ないのか。大抵の魔王軍団において、人員が足りないという話は聞いたことがない(悪の組織の人員確保のスムーズさは驚異的である。人件費は大丈夫なんだろうか)から、これはつまり魔王のリーダー適性、マネジネント能力に問題があるのではないか。 組織論として考えてみると、悪の軍団も所詮は一組織である。その組織をまとめる立場の魔王というものを、組織のリーダー適性という側面から分析するのはなかなか興味深い議論になりそうだ。彼らは果たして、何に欠けているが為に世界征服出来ないのか。 丁度この前、松下幸之助氏が書いたリーダー論みたいなものを読んだので、幾つか抽出してドラクエ辺りの魔王に当てはめてみよう。 ・明確なビジョン、精神的な「

  • 今思い返すと、あれはつまり詐欺師か何かだったのだろうか: 不倒城

    今日はなんだか良くワカラナイ人と対話をしてきた。 先に断っておくと、ちょっと長文になる。ご了承頂きたい。 休日とはいえ会社は営業日である。私は単なるシステム屋であるので、別に休日大した仕事がある訳でもないのだが、一応顔を出してきた。システムチームでは私はけっこーまめな部類の人間である。 で、出社してみるとなにやら応接室に人が来ているのだが、どーも騒がしい。副社長に話しかけられた。 「ああしんざきさん、丁度いいとこに。なんかセキュリティがどーたらって人が来てるんだけど、良く話がわかんないんだよね。てきとーに話聞いてみてくれない?」 副社長がこーゆー言い方をするというのは、要は「どうでもいいから適当に追い返せ」の指令である。どーも、システム屋が何かの売り込みに来ている様な話だ。うちの会社の人々は交渉ごとには海千山千なのだが、システム関連の話にはあんまり強くない。 なんだか御社のシステムにセキュ

  • 人は何故、「読むと不快になる文章」をわざわざ読みたがるのか。: 不倒城

    なんでだろう。 例えばブログ界隈をうろついてみる。何かを批判しているブログであるとか、何かにケチをつけているエントリーであるとか、つらつらと探してみる。 そういったブログのコメント欄など見ていると、頭が沸騰した様なコメントをつけている方がしばしば見られる。いわゆる「炎上」しているブログに限らず、ごく普通に運営されているブログの、ごく普通に批判を書かれているエントリーでもそういったコメントは見られる。その内容は批判ではなく、大体の場合罵倒や悪口雑言である。いや、まともな批判もあるにはあるのだが。 例えば、アンチ巨人のページをわざわざ見にいく巨人ファン。 例えば、ブログ論のページにわざわざ「ブログ論うぜぇ」と書き込んでいく人。 以前から不思議には思っていたのだが、未だにはっきりとは謎が解けない。つまり、「じゃあ見なきゃいいんじゃネ?」という疑問がどうしても私には拭い去れないのである。 という訳

  • 許せないブロガーと、怒れないブロガー。: 不倒城

    あんまポジティブな話じゃないが。 随分昔、「書く」ことでっていければいいなーと思ったことが、そういえばあった。一時期それに近いバイトもしていたんだが、結局諦めた。諦めて正解だったと今では思っている。 何故かというに、多分私には「許せんと思う能力」が決定的に欠けている。 文章を書くという行為は二段階に分かれる。「発想」と「表現」である。書いて面白いことを思いつくかどうかが「発想」のパートであり、それを上手く文章に書けるかどうかが「表現」のパートである。 「表現」は、その種類こそ数限りなく存在するが、要するに技術だ。技術は練習によって磨かれる。 を一度も読んでいない人でも、努力次第で売り物になる文章力を手に入れることは可能だ。志賀直哉や三島由紀夫の語り口を身につけることだって、それ相応の時間をかければ出来るだろう。 一方の「発想」は、努力次第で引き出しを多くすることは当然可能だが、最終的に

  • 「通説・権威を否定するメソッド」について。: 不倒城

    10年くらい前、出版社にバイトで出入りしていた頃、「ハウツーを売るコツ」みたいなことを聞きかじったことがあった。 その内の一つに、「一般的に信じられている通説、あるいは権威の言葉をまず否定する」というものがあったことを、奥様が図書館から借りてきた育児のハウツーを、横から覗きこんでいて思い出した。 通説の質についてとか、そのハウツーの内容が適しているのかどうか、という話は取り敢えずおいておく。ハウツー自体は、有益なノウハウと無益なノウハウがごった煮になっていることが分かりきっているのだから、有益だと思った分だけ齧ればいい。それだけのことである。 説得力のお話なのだ。 「通説を否定するメソッド」が有効な理由はたった一つ。「「気付き」という感覚がとってもキモチイイから」。 通説は、広く流布されているからこそ通説と呼ばれる。「大体こうすればいいんだよ」というセオリー、ある程度固定化された「

  • 「個人的な問題でも一般化したい病」について: 不倒城

    症候群、といってもいい気がする。 恋愛論とか最たるものなんだけど。世の中には、「どう考えても特殊な状況における個人的な問題なんだけど、それを一般的な問題にしたい、凄くしたい」という病気にかかっている人がたくさんいる。そりゃもう数限りなくいる。 新聞やテレビといったマスメディアが、例えば特殊な事件をネタにしてWebやオタク、アニメやゲームといったものを一般的に叩くことに憤る人は多い。が、翻ってみると、「特殊なネタ→一般化」を駆使する病というのは、マスメディアに限らずあたり一面に蔓延しているのである。もうこれは風土病などというレベルの騒ぎではない。数十年も前から発生している、思考的疾患のアウトブレイクである。 かく言う私も「一般化病」を長年患っている患者の一人である。筋金入りの患者といってもいい。病気自慢を貫徹する為にも、ひとつこの病気について一般化を行ってみよう。一般化病患者の辞書に「自己撞

  • 不倒城: ただ口汚いだけのテキストを、「毒舌」といラベルで救済するのはそろそろやめにしようよう

    世界があまり変わらないのでブログやめようかと思う 政治的な左右を問わず、相変わらず汚い言葉で自分の感じている正義を主張する大小の声にちょっとうんざりして。こちらを読んで、ふと思ったこと。ブクマでもそのまんま書いたことだし、正直タイトルの時点で完結してしまってる訳だが。 汚い言葉、というか。問題は汚い言葉じゃなくて、「強い言葉」と「汚い言葉」を混同している人、だと思う。汚い言葉を使うことの印象だけに目がくらんで、その印象が説得力を強化するという幻想を抱えて。 そして、その混同を自覚しないままに、自分の文章の吐き散らし方を「芸風」「持ち味」だと思い込んでしまう人、でもあると思う。前者がレベル1なら後者はレベル2だ。 レベル3になると、ただ思い込んでしまうだけならまだしも、これが自分の芸風なのだと周囲に喧伝してしまう人、という称号を入手してしまう。この辺にくるとそろそろ引き返せない。後戻りをしよ

  • 「リメイクものは作るの楽で美味しい」とかいう誤解が未だにどっかに残留してるんじゃないか?: 不倒城

    以下はうちの会社の偉い人と私の、当にあった怖い会話。 「ねーねーしんざきさん」 「はい?」 「これってさあ、今のシステムでもう一度つけらんない?(3年くらい前の別システムで実装されていた機能を指す)」 「へ。いやまあ、ちゃんと設計引き直せば、出来ないことはないですが(プチ修羅場のこの状況で何を言い出すんだこのオヤジは)」 「じゃあ、来週の役会で発表したいんで。何日で出来る?」 「は?(;゚д゚)」 「一度作ったヤツだし、コピペみたいなもんでしょ?なんとか来週間に合わないかなあ」 「寝言は寝て言え(←実際はもうちょっとオブラートに包んだ言い方)」 幸いなこと、私はシステム開発のスケジューリングについてある程度の裁量を認められているのでどうにかパリングに成功したが、もしかすると上の様な誤解は未だに一部でまかり通っておるのか、とちょっと疑念を持った。 上記は多分極端な例だと思うのだが。例えば営

  • 最近2DのRPGが希少化している幾つかの理由。: 不倒城

    どうも、「作らない」ではなく「今更2Dに戻せない」事情が色々あるらしいのだな。 私の仕事とは直接関係ないのだが。大学時代の友人が某ゲームメーカーに勤めていて、4年振りくらいに連絡をとったついでに聞いた話。他のメーカーさんでも当てはまるのか、という保証は残念ながらない。そんなケースもあるのか、という程度で。 1.グラフィック部分は、非常に工数(開発に要する労力)がかかる割にある程度作業工程を切り離すことが可能。その為、まとめてオフショア(海外発注)に出されるケースが結構ある(これは、開発チームの事情ではなくてどちらかというと経営側の事情らしい) 2.海外の協業さんには、そもそも2Dのグラフィックを描く技術を持っている人が少ない(オフショア開発が一般的になってきた時期、既に3Dゲーが主流になっていたことが一因らしい) 3.海外の協業さんとの連携が非常にやりにくい。細かい指示が届かず、仕様書の読

  • 1