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HistoryとSocietyに関するwebmarksjpのブックマーク (16)

  • 少年犯罪データベースドア:31年前の加藤智大

    2008年07月01日03:27 31年前の加藤智大 秋葉原通り魔事件の加藤智大容疑者はトヨタの工員で、彼女ができないからああいうことをやったと自供してるということなんで、1977年のこの事件が引き合いに出されるかと思っていたのですが、どうもあんまり取り上げられていないみたいなので記しておきます。 昭和52年(1977).5.30〔23歳がモテないのでむしゃくしゃして連続通り魔殺人〕 大阪府寝屋川市の路上で、トヨタオート大阪のセールスマン(23)が、通行中の男性(48)の胸をいきなり包丁で刺し、倒れたところを馬乗りになって全身9ヶ所をめった刺しにして殺害した。6.1に大阪市の路上で、通行中の主婦(28)の胸をいきなり包丁で刺し、倒れたところを馬乗りになって4ヶ所をめった刺しにして殺害して逃走、すぐに逮捕された。 京都産業大学外国語学部を卒業して4月から自動車セールスマンになったが一台も売れ

    少年犯罪データベースドア:31年前の加藤智大
  • 小学生がレイプする : 少年犯罪データベースドア

    2007年03月27日22:27 小学生がレイプする AVと同じことしたかった…小4男児が同級生を暴行 兵庫県尼崎市の市立小学校で昨年11月、4年の女子児童=当時(10)=が同学年の男子児童=同=に呼び出され、男児宅で性的暴行を受けていたことが27日、分かった。男児はアダルト映像に触発され、「同じことをやってみたかった」と話しているという。(後略) ZAKZAK 2007/03/27 引用 ということで、小学生のレイプ事件、強制猥褻事件をまとめてみました。 昭和41年(1966).4.9〔13歳が主犯の集団レイプグループ〕は、中1になってから9日目の逮捕で、小6の時から集団レイプをしていたわけです。 小学生の犯罪は少年犯罪データベース 13歳以下の犯罪を、 逆に小学生が被害者となった性犯罪は幼女レイプ殺人を犯す者たちをご覧ください。 昭和26年(1951).2.6〔中学生の桃色グループ 読

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  • ムーアの法則の歴史的帰結 - 池田信夫 blog

    私の新著は、まだ屋には並んでいないが、アマゾンで先行発売されたようだ。さっそくDankogai氏からTBがついているので、少し補足しておこう。 ムーアの法則による「コスト低下のスピードが遅くなっている」という実感は、彼のようにサイバースペースのど真ん中で仕事をしている人には当然だろう。問題はむしろ、「こちら側」ですらなく、情報産業の「外側」にいる大多数の人々に及ぼす影響だ。拙著(p.93〜)でも書いたように、コンピュータは電力のような汎用技術なので、それを利用した応用技術が発達しないと、真のインパクトは見えてこない。アメリカで最初の発電所ができたのは1870年代だが、電力使用量が蒸気機関を上回ったのはその50年後である。 コンピュータの場合、集積回路の発明された1960年から数えても50年たっておらず、すべてのの情報のうちデジタル化されたのは5%にすぎない。狭義の情報産業を超えた影

  • 殺人博物館

    最近の記事一覧 11/04 リシャール・デュルヌ(Richard Durn) 11/05 マティアス・フリンク(Mattias Flink) 11/06 マシュー・ベック(Matthew Beck) 11/07 ラリー・ジーン・アッシュブルック(Larry Gene Ashbrook) 11/16 ジョン・パリッシュ(John Felton Parish) 11/17 ヴァーリン・スペンサー(Verlin Spencer) 11/18 マーティン・ブライアント(Martin Bryant) 11/19 ジョン・デヴィッド(John David) 11/27 アイヴァン・ミラット(Ivan Milat) 12/08 ゲイリー・リッジウェイ(Gary Ridgway) Kindleでも発売中 電子書籍第16弾『殺人博物館/若気の至り』発売中 電子書籍第15弾『殺人博物館/ありふれた事件』発売中

  • 電車でみかけたこんな人、あんな恋 - くらやみのスキャナー

    おくればせながら、はてなのパパことid:kanoseさんのエントリARTIFACT@ハテナ系 :昔からいた電車の床に座り込む人たちに反応してみたいと思います。ロートルの語る昭和の昔、電車内の風景について。●ゴミは座席下にまず、列車内でゴミは座席下に捨てるのがマナーという話だけど、1950年代東海道線で撮られたという下の写真を見て欲しい。「ええ! 昔の電車の床ってこんなに汚いの?」と思われるかも知れないけど、1970年頃の僕の記憶では、ある程度の長距離を走る電車では、定期的に車内清掃のひとがやってきた。なので、それに合わせてみんな弁当のゴミはもちろん、ポケットのちり紙や鞄の中の紙くずなども(わざわざ)取り出して床に捨てていた。その瞬間の写真だからとりわけ汚いのだと思う。(運行中の)車内清掃っていつなくなったのだろう。●電車内ではズボンを脱ぐ残念ながら写真は無いのだが、電車に乗るとおもむろに

  • 東京新聞:週のはじめに考える 書き換わる聖徳太子像:社説・コラム(TOKYO Web)

    実在から非実在へ、聖徳太子像が大きく書き換えられようとしています。戦後歴史学がたどりついた成果とも、真実追究の学問がもつ非情さともいえるでしょうか。 聖徳太子を知らない日人はまずいません。教科書風にいえば、六世紀末から七世紀前半の飛鳥時代、日の伝統精神に仏教や儒教の外来思想を身につけ、日の国力と文化を飛躍的に高め世界の先進国入りさせていった皇太子です。

  • 安倍首相辞任で思い出すこと: 極東ブログ

    安倍首相辞任の印象について、ごく簡単にであれ、書いておくべきだろうと思う、というくらいの話だが。 なぜ、安倍首相が突然辞任したかについては、一部予想が当たったとかいう話もあるのかもしれないが、大勢にとっては突然の出来事で、殿様の時もそうだったが、お坊ちゃんもやるなという感じだろう。私は、当初健康の問題かなと思ったし、一部では遺産相続のカネがらみのスキャンダルかという噂もある。ようするに、なぜ安倍首相が辞任したのかはミステリーといった趣向になる。 こういうときは、話をシンプルに考え直すのが私のクセなので、ちょっと別件の忙しさが一息ついたので、緊急会見の全文(参照)を読み直してみた。案外べたに辞任の理由が書いてあるのに、みんな気がつかないということもある。これは全文コピーしてもいいだろうし、後になって、えっと小泉政権の後に1年短命の政権あったよね、ああ、これこれだよね、のために。 日、総理の

  • 愛・蔵太の少し調べて書く日記20060722

    こんなニュースがあったわけですが、 →昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感・元宮内庁長官が発言メモ(NIKKEI NET:主要ニュース)2006年7月20日7時 昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)に語っていたことが19日、日経済新聞が入手した富田氏のメモで分かった。昭和天皇は1978年のA級戦犯合祀以降、参拝しなかったが、理由は明らかにしていなかった。昭和天皇の闘病生活などに関する記述もあり、史料としての歴史的価値も高い。 (07:00) この「いわゆる昭和天皇メモ」に関しては、2006年7月20日の日経済新聞の↑の記事が最初だったわけです。 それを受けて系列のTV東京では、以下のようなニュースを流しました。 →A級戦犯合祀に不快感(FLASH NEWS)

    愛・蔵太の少し調べて書く日記20060722
  • 命令もないのに人が自決したとしたら、その方が余程恐ろしいことではないか!  - Munchener Brucke

    一般に自由主義史観とか反自虐史観の立場の人は、どうも「旧軍を悪者にするな」という点に執着し過ぎている気がする。それが文部科学省の検定にどこまで影響力を与えているかは知らないが、政府首脳の顔ぶれから、影響力は無視できない状況であろう。 今回の検定の論点は「集団自決に軍の正式な命令はなかった」という点だが、命令系統の正当性を争って旧軍の責任を最小化する運動にどのような意味があるのか? 私はいっそのこと軍の命令であってくれた方がよほどすっきりする。それならばそんな非道な命令を下すような軍隊を今後作らなければいいという明確な反省ができる。むしろ「軍の正式な命令がないのに、これだけの民間人が集団的に自決した」ということの方が、余程悪質に感じられる。教育や法にのっとらない社会的な圧力や同調的な意思決定を駆り立てによって、人間が自決するとしたら我々はいったいどうすればいいのか? 現代社会にも様々な同調圧

    命令もないのに人が自決したとしたら、その方が余程恐ろしいことではないか!  - Munchener Brucke
  • 間違っている論理展開 - 我が九条

    間違っている論理展開によって人びとは容易にだまされる。ここでは具体例を挙げて間違っている論理展開について考えたい。人をだます時には論理展開の約束事を破って己が望む解を導き出す。そしてそれは一見論理的であるだけに容易にだまされてしまう。この稿をそうするに当たっては以下のエントリを参照した。「間違っている論理展開」と「わら人形論法」に耐性の無い人々 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか。非常に勉強になったので私自身のメモのために自分流に事例を置き換えて考察したい。 まずは間違っている帰納的論理展開。帰納的に論理を展開し、解を導き出すには「適切な事例の選択」が必要である。以下は恣意的な事例選択により、間違った解を導き出した例。 うらやましいほど優雅に生きた平安貴族も、じつは短命でした。貴族の代表である歴代天皇の寿命を見てみると、平安前期には54歳だったのものが、中期には44歳、後期には33歳とじつに

    間違っている論理展開 - 我が九条
  • 藤原正彦の脳内ヒストリーによると1980年代にはいじめ自殺はほとんどなかったらしい。 - シナトラ千代子

    たいへんにお花畑な時代だったようです。 ○http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/seiron/34073/ でも君の生まれたころ、いじめによる自殺はほとんどありませんでした。生命の尊さを皆がわきまえていたからではありません。戦前、生命など吹けば飛ぶようなものでしたが、いじめで自殺する子供は皆無でした。 戦前と80年代とをいっしょにする感覚も驚きですが、80年代なかばにいじめ問題がおおきく扱われていたことは脳内でスルーしているようです。20年前ではなく、200年前の話でしょうか。 いやもしかすると、わたしの記憶している80年代とは違うのかもしれません。なので、ちょっと調べてみました。 80年代のいじめ問題 以下強調は引用者。 ○朝生namadas 1985年頃から、いじめが大きな社会問題として取り上げられるようになった。同年だけで、いじめ

    藤原正彦の脳内ヒストリーによると1980年代にはいじめ自殺はほとんどなかったらしい。 - シナトラ千代子
  • http://gonta13.at.infoseek.co.jp/

  • 【2ch】ニュー速クオリティ:バブルのときの異常な日常風景

    現在の日とバブル景気に沸いた日とは、まるで別の民族が 住んでいるような錯覚を受けますが、その当時の四方山話を どうか語ってください

  • 農地改革メモ: 極東ブログ

    ぼんやりと戦後史のことを考えていることが多くなってきているのだがその一環で農地改革のこともときおり考える。農地改革については二つの思いが錯綜する。一つは学校で学んだ、なんというか農奴解放みたいなお話。もう一つは私の母方が庄屋の系統だったので近親者からの体験的な話だ。その二つが入り交じる。もっともそうした錯綜感は農地改革に限らない。私は基的に戦後民主主義の申し子みたいな人なのでGHQによって日は解放されたと原点としては考えるのだが、五十年近く戦後の後の日人として生きてみると違和感は多い。 農地改革について当然一時期の政策としては成功としか言えないだろう。だが、大局的には失敗だったのではないかという思いがあり、そのあたりをきちんと社会学的にまとめた書籍などないものかと探すのだが、知らない。ないわけもないだろうに。簡単に読めるウィキペディアの同項を読むと(参照)私が中学校時代に学んだことと

  • uumin3の日記:韓国における反日

    親日派:子孫の財産4億6000万円没収を決定(朝鮮日報日語版) という話題が注目されていますが、なぜ韓国がこういうことをするのかということについて以前考えていたことを書いておきます*1。 韓国(朝鮮)が国民国家になってきたのは、日韓併合以降のことです。それ以前の前近代的身分制国家では「近代的国民」と呼べる存在がいなかったか、いてもごく少数でした。国民国家の萌芽的状態だったのです。また同様に、国民国家統合の一つのモチーフとなるべき「民族」はほとんど意識されていなかったのではないかと考えられます。 日による統治によって逆説的にも国民意識や民族意識に目覚めてきた彼らには、すでにその段階から「併合されている」という状態がありました。その時に彼らが進むべき道は「そのまま日人になってしまう」か「日を排除して独立国となる」かの二つの選択肢としてありましたが、前者の道は日の敗戦によって中断され、

    uumin3の日記:韓国における反日
  • 技術大国日本を育み押しつぶした国家総動員体制の亡霊 - 雑種路線でいこう

    歴史さえ尊重していれば非論理的で献身的な技術者が大切にされ技術は継承されて,日立製作所のタービン設計ミスのようなチョンボは防げたのだろうか.このようなid:essa氏の視点こそ微視的で,歴史を踏まえていないように感ぜられる. 戦後の日は戦前の軍需産業の遺産を継承し,裁量的な行政を通じて経済効果の高い産業に資源を集中投下し,役所が企業間の情報を適度に媒介することで,過当競争による情報の縦割りを緩和することを通じて全体を底上げするかたちで成長してきた. 戦後の開発主義は国家総動員体制を温存するかたちでGHQ支配下の傾斜生産方式にはじまり,超LSIプロジェクトでその頂点を極め,予算削減でジリ貧となりつつも,手法としては最近の愛知万博前後のロボット振興や,来年度予算で概算要求された情報大航海にも通底している. 真似すべき相手が明確だった1970年代まで,この手法は極めて有効だった.技術者を量産し

    技術大国日本を育み押しつぶした国家総動員体制の亡霊 - 雑種路線でいこう
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