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HistoryとWorldに関するwebmarksjpのブックマーク (7)

  • ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記 - 『ホテル・ルワンダ』なんかまるで役に立たない!

    こんなものにリンクされて、ものすごく脱力した。 http://blog.livedoor.jp/mahorobasuke/archives/50487989.html 僕は『ホテル・ルワンダ』を日で公開してもらうために、いろいろ尽力してきましたが、あの映画を観た後でも、こんなことを書く人がいるのを見ると、絶望的な気持ちになります。 この人は、僕が『ルワンダ』のパンフに関東大震災の朝鮮人虐殺事件について書いた意味がわからないようなので、もう一度書きます。 このルワンダの事件を、遠いアフリカの出来事として観ても意味がない。 虐殺は、どこの国でも起こってきたし、これからも起こり得ることであって、 私たちは誰でも、人を差別して迫害する、虐殺の種を秘めているんだということを自覚し、 ルワンダみたいな状況になった時、ポールさんのように行動できる人間にならなければ。 ところが、この人は、虐殺の種を抱え

    ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記 - 『ホテル・ルワンダ』なんかまるで役に立たない!
  • ルワンダ虐殺と関東大震災の朝鮮人虐殺とは異なる - finalventの日記

    最初から議論ではなく旗幟のみが問われる問題――それこそが疑似問題なのだが――に関わるのはうんざりした気持ちになるのだが、やはり少しばかり言及しておこうと思う。何について? その前にそう思うに至ったきっかけから語りたい。 「日人とユダヤ人」(参照)にこういう指摘がある。 「朝鮮戦争は、日の資家が(もけるため)たくらんだものである」と平気で言う進歩的日人がいる。ああ何と無神経な人よ。そして世間知らずのお坊ちゃんよ。「日人もそれを認めている」となったら一体どうなるのだ。その言葉が、あなたの子をアウシュビッツに送らないと誰が保証してくれよう。これに加えて絶対に忘れてはならないことがある。朝鮮人は口を開けば、日人は朝鮮戦争で今日の繁栄をきずいたという。その言葉が事実であろうと、なかろうと、安易に聞き流してはいけない。 ここでのトピックは朝鮮戦争についてだが、関東大震災における朝鮮人虐殺に

    ルワンダ虐殺と関東大震災の朝鮮人虐殺とは異なる - finalventの日記
  • 2006-03-07 - fenestrae 「この人なら知っています。沖縄の人だ」

    近日中に風刺画の続きをてがけますが一息のあとのまた一息に日語記事クリッピング↓ 関東大震災の時の朝鮮人虐殺事件に対する解釈が、映画『ホテル・ルワンダ』との関係で、論争になっているのを id:gachapinfan さん、id:travieso さんのところで知る。この映画も見ていなければ、論争のきっかけになった映画評論や複数いる論争参加者の記事もきちんと読んでいず、なんだかややこしいことになっている論争に参加する気はないが、このきっかけをとらえて、この事件に関して以前から気になっていた証言を、あるから引用紹介することにしたい。コメントも論争の展開を追わずにひとりよがりに適当につけます。さて問題のは、 比嘉春潮『沖縄の歳月 自伝的回想から』(中公新書、1969) 著者の比嘉春潮は1883年沖縄生まれ。没落士族出身の知識階層に属し、小学校校長、新聞記者、県庁の役人を勤めながら、一方で社会

    2006-03-07 - fenestrae 「この人なら知っています。沖縄の人だ」
  • チェルノブイリは事故から21年経ってどのような姿になったのか

    1986年4月26日、チェルノブイリ原発で事故が発生しました。事故による影響は大きく、チェルノブイリのあった現在のウクライナだけではなく、隣国のベラルーシやロシアにも汚染が広がりました。当時のソビエト政府はチェルノブイリ周辺の区域の住民を避難させ、事故から一ヶ月後には原発から30km以内に居住する約11万6千人すべてが移住させられたそうです。 そのチェルノブイリは、現在どのような姿になっているのでしょうか。これはIAEA(国際原子力機関)によるチェルノブイリ訪問レポートです。 Revisiting Chernobyl: The Bitter and the Sweet - Part 1 | IAEA https://www.iaea.org/newscenter/multimedia/photoessays/revisiting-chernobyl-bitter-and-sweet-par

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  • 私の知らない「本心」をたーんとご批判くださる。 - finalventの日記

    私の知らない「心」をたーんとご批判くださるわけだが。 ⇒traviesoの走り書き - 歴史と自由(1) 偶発的事件でなければ、「戦後のドイツ人のように、祖父母・曾祖父母の罪をきちんと暴いていかなくてはならない」(そういえば、ここでは「戦後のドイツ人」が直喩で使われている)というfinalvent氏だが、心は「そうした問題を持ち出さず民族間の軋轢を減らす努力こそが求められるのではないか」というところにありそうである。 いえ、私は歴史研究に対しておそらく冷酷ともいえる立場を取りますよ。 あなたが、きちんと、関東大震災における朝鮮人虐殺を歴史的に取り上げるなら、私はそれをきちんと吟味します。 しかし、あなたや、あなたちは、それをしていません。 traviesoさんに至っては、ルワンダの歴史すら考慮していません。私の言説をずたずたにしてその像に批判の言葉を投げかけているだけで、歴史性に眼を向

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  • Apes! Not Monkeys! - 「また中国か」メソッド(追記あり)

    「また大西か」メソッドを問題にした Jonah さんのエントリへのコメント欄に出現した「また中国か」メソッドについて。 追記部分は末尾 Jonah ( travieso )さんの2月16日付けエントリ(http://d.hatena.ne.jp/travieso/20060216/p1)「メディア・リテラシー?」へのコメント欄。なお、「また大西か」メソッドについては上記エントリの他こちらとこちらも参照のこと。 odakin 『NYTの記事を直訳すると日が 「韓国の少女を大量誘拐して性奴隷にした」 「南京で数十万人の市民をサディスティックに虐殺した」 と、いうことになってますな。こういうプロパガンダに基づいた「国際的なコンセンサス」はただしてゆく努力を地道にしなければならないのではないかな、と思います。(もちろん、謝るべきは謝る、という上でですが。)』 (2006/02/17 05:14

  • ボスニア内戦 - 映画評論家緊張日記

    朝日新聞の書評を見て購入した佐原徹哉『ボスニア内戦』(有志舎)を読む。ボスニア内戦の原因とその経緯について、すばらしくよく調べられ、簡潔にまとめられた好著。著者、ぼくと同い年なんだなあ。これを読んでしみじみ思ったのは、人間はいかに愚かなのかということである。人間は愚かで進歩を知らない生き物だ。こんな一節がある。 ジラスが村に入ると、頭を後ろから撃ち抜かれた二人の農夫の遺体が大きな梨の木の下に横たわっていた。そこでは他に六人が殺され遺体は運び去られていたが、幾つもの黒ずんだ血跡が草の上に残っていた。さらに進むと、道の真ん中に二〇人程の遺体が山になっていた。成人男性の遺体は二つしかなく残りは女性と子供たちだった。近くにはまだ温もりが残る揺りかごが転がっており、頭部を砕かれた嬰児の死体が傍らにあった。赤ん坊の左側には胸部を叩き潰され腹部がぷっくりと膨らんだ女の子の遺体があった…… これはスレブレ

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