仲春はゆっくりと通り過ぎる 寝て起きたら3月である。今日の東京の最高気温は20度を超えている。正月のインフルエンザが完治して、これでやっと健康で文化的な本年度を始められるぞ、と意気込んだのも束の間、今度は原因不明の高熱を出して1週間寝込んだ。 脳がグツグツ煮える音が聴こえそうなほど…
![jkondoのヘタれっぷりに絶望した! - 文化レベルが高すぎます](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/06a15c64ba0ceec233d86d71001ebb29a9dcbf5d/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn.blog.st-hatena.com%2Fimages%2Ftheme%2Fog-image-1500.png)
昨日MIJSのコンソーシアム内での技術発表会があり、理事会の方から「参加ベンダーの技術者が集まるイベントなので、技術者に元気を与えられるような人に講演をお願いしたい」という話があったので、はてな伊藤さんに講演をお願いした。 伊藤さんにお願いしようと思ったのは、伊藤さんなら、エンタープライズの世界にウェブの世界の元気な風を吹き込んでくれるのではないかと思ったからだ。 以下、私なりに講演の内容をまとめてみた。 ■「建物の建て方」 つくる対象がどのようなものかで、作り方は当然変わってくる。これは建物もソフトウェアも同じ。1階建ての格好良い小さなロッジを建てるのと、60階建ての安全で高品質な巨大ビルを建てるのとは方法も道具も異なる。ロッジを建てる時にはノコギリを使うが、巨大ビルを建てるにはクレーンを使う。 よくブログの世界でソフトウェアの開発について、ぜんぜん違うことをやっている人が同じ土俵で議論
はてなが米国シリコンバレーに100%子会社、Hatena Inc.を設立してから約1年。先日、ついにHatena Inc.発の新サービス「はてなスター」と「はてなメッセージ」がリリースされた。 さらに8月にも新サービス「はてなワールド」の公開を控えている。 シリコンバレーでの試行錯誤が形になりつつあるなか、はてなの代表取締役であり、Hatena Inc.代表の近藤淳也氏に、この1年間に起きた変化、海外での活動状況、そしてこれからの1年間の展望を聞いた。 --改めてお聞きしたいのですが、そもそもアメリカにHatena Inc.を設立した目的は何だったのですか。 最初は3つくらいあったのかな。えーっと何でしたっけ(笑)。順番があった気がするんですけど。グローバルなサービスを作って展開することと、現地のエンジニアとかシリコンバレーの人的な関係構築みたいなこと。あと既存のビジネスパートナーとしても
[プロローグ] A子「ねえ、今度営業部に配属になった田中くんってイケてると思わない?」 B子「え、あなたもブックマークしてたの?彼は私が先にブックマークしたんだから手を出しちゃ駄目よ!」 [本編] このブログを始める前は、英語でブログを書いていたのだが、英語圏の読者はものすごく気楽にコメントを書いて来るので驚いた。それと比較すると、日本の読者がコメントを残すことはとてもまれである。エレベーターに乗り合わせ時に、「5月なのにまだ雨だね~」だとか「かっこいいTシャツですね」などと初対面の人に平気で話しかけてくるアメリカ人と、じっと黙っている(=知らない人に突然話しかけてはいけない)日本人の普段の行動の違いを見ればうなずける。 「そんなシャイな日本人には、トラック・バックが向いている」という話をどこかで聞いたことがある。しかし、「読みましたよ」という足跡を残すだけのために自分のブログにわざわざ新
「はてなスター」を人からもらうと、翌朝「あなたがこの一日間にもらったはてなスター」のレポートがはてなから届く。しかしこのところ、その「☆レポート」が届かない日がとても多い。もちろんスターをまったくもらっていなければ、☆レポートは届かない。でも「はてなハイク」のようにスターをお気軽につけてもらえるサービスに書き込んでいれば、ほぼ毎日はてなスターをもらうことができる。 はてなスターは単にスターをつけるか、スター時にもとの文章の一部を引用することしかできない。だから、「それは間違っている」などのネガティブなスターをつけるのは、はてなブックマークなどと比べて難しい。そのぶん、はてなスターをもらうのは基本的に嬉しいことと感じられるようになっている。(これは、はてなスターのコンセプトそのものでもある) 誰がどこにはてなスターをつけてくれたのか、またスター時にどこを引用してくれたのかをまとめて教えてくれ
「A君(仮名)」はIT系の専門学校に通うごく普通の青年だった。 どちらかといえばおとなしく、友人も多いほうではなかった。 「A君」はかなりヘビーなネットユーザーで、学校に行っている以外の時間はほとんどネットを徘徊していた。 彼が「はてなブックマーク」を使い始めたのは、約2年前。 典型的なネガティブブックマーカーで、彼のブックマークは「これはひどい」「死ねばいいのに」といったタグで埋まっていた。 「A君」のコメントは口汚いわりに、切れ味とか小気味よさに欠けていた。 どこかズレていて、読むものに「不快感」だけを与えるようなタイプ。 2ちゃんねらー的価値観をひきずっているのが垣間見えるというのもあって、はてブ界隈ではそのネガティブコメントもスルーされる事が殆どだった。正直言って誰にも注目されていなかった。 それが「A君」を油断させていたのかもしれない。「どうせ誰にも注目されていない」という思いが
最近、はてなグループを使い始めた。この上なく、心地よい、というのが使ってみてすぐの感想だった。 今まで、「情報共有ってもっと便利にできないのかなぁ」とずっと考えていたが、その多くの部分を解消してくれているようにさえ感じる。是非、皆さんにもお勧めしたい。 では、何がどう便利なのかを、少しだけ書きたいと思う。ただし、「百聞は一見に如かず」なので、実際に使ってみてください。 1. 「メール恐怖」からの脱却:ポジティブな気持ちで仕事ができる 僕自身の場合で考えてみても、大体年中を通して、プロジェクトは常時5つは走っており、それぞれごとにMLが存在して、毎日メールがたくさん飛んでくる。そのメールとプライベートなものまで合わせれば、毎日100通以上のメールを処理していることになる。(スパムを入れるともっとです。) よく考えてみれば、このメールを処理するという作業は、「受け身」であることが否めない。もち
自分の「好き」を発見するのは難しい。自分で「好き」だと意識していないことが実は「好き」だったのだと何年もたって発見することもある。「継続できる」というのは「好き」の証明であり、何事においても「継続できる」ことが、何かを成し遂げるためにはとても大切だ。それは大企業であれベンチャーであれ自営業であれ研究者であれエンジニアであれ、同じこと。自分が意識していない自分の傾向も含め「向き不向き」ときちんと向き合い続けることの重要さを、僕は指摘したいのだ。そのためにここのところ、色々と書いている。 僕が昨日のエントリーで「大企業に入っても「好き」を貫くこと、つまり「継続する」ことができる」素質の候補をいくつか挙げた。どういう読み方をされてもかまわないのだが、たとえば就職を控えている学生が、自分が「大企業に入っても辞めないでいられる」かどうかの思考実験の道具の一つとして読んでもらってもいいかと思う。大企業
なぜ可愛い女の子は、はてなを使わないのか という記事に尻馬して、はてな女性ユーザーの実像に迫ってみたいと思います。 なお、今回のエントリの資料としては、はてなが公開している、以下のPDFを使用しております。↓ 080313はてな広告商品のご案内(2008年4-6月PC版) 以前、「はてなユーザーの女性比率の問題」の記事で扱いましたが、はてなには女性が少ないというのは、データ的にはありえません。インターネットの男女比は、男性:女性で6:4で、これは、はてなの男女比とほぼ同じ数値です。 では、まず、はてなのユニークユーザー数から見てみますが、2008年1月のユニークユーザー数が967万と悪くない数値ですね。これは去年のMSNくらいの数字ですから、国内ではかなりのものです。 こっちに他社と比較して表がありますが、「ポータルとコミュニティカテゴリー」では、国内10位です。ベンチャーとしては、間違い
でも僕は努力しました。 初めて増田を見たとき、なにやら頭の良さげな人達が、意味不明のむずかしーことばかり言ってたので、惹かれました。なんかすごそうだぞと。 みんな僕より教養があって、文章もうまいし。 そんなみなさんがすごいって言うなら、きっと良いものに違いないと思って、話についていけるように ニコニコ動画のID取ったり、ミクの歌を聴いたり、萌え分野のことを調べてみたり、ハルヒやらきすたも見ました。 ニコニコ動画はエアーマンとかミクとか組曲とか改造マリオとか、一通り見たけど全然楽しめず、コメントは 何を見ても自重しろとかwwwwwとかぬこぬこ言ってて見づらいだけだから、非表示にしてNHKスペシャルと海外ドラマと好きなバンドの動画見てます。 萌え系のキャラや声は僕にとっては心の底からキモくて登場人物は殴りたくなるわ、ふざけてんのかその声は、俺をなめんなって胸ぐら掴みそうになる感じです。 2ちゃ
ブログを更新したあと、ブックマークがどれくらい増えたかを見るのが楽しみで、家族と映画を観ている間にも、トイレにiPhoneを持ち込んでこっそりブックマークを見ている、という方に出会った。 最初なぜそんなことをしなくちゃいけないのか分からなかったんだけど、映画を観るときにパソコンを開いてネットをしたりすることを家族の方が快く思わないかららしい。なるほど。 それは何なのかなあとしばらく考えていたんだけど、世界を共有したいということなのかなと思った。狭い空間に一緒にいる人がいきなり携帯電話で話し始めるのも嫌だし、電車の中で携帯やゲーム機とにらめっこしている人に感じる多少の違和感にも通じるところがあるように思う。 でもこれは少し複雑な問題だ。一緒に映画を観ていても、思考がどこかに飛んでしまって別のことを考えている場合はある。デバイスがあるかどうかが問題なのだろうか? 電車の中の携帯電話も何が一番の
「スクールカースト」は、言葉の定義からして「学校」に場を限定しているが、「職場」「恋愛市場」といった環境においても(学校ほど頻著ではないにしても)「人気のヒエラルキー」は存在する。こうしたすべての「人気のヒエラルキー」に対し、「広義のスクールカースト」としてこの用語を適用する場合もある。
最近、はてなBlog界隈の話をいくつか見かけました。 わたしははてな村の古参ではないけれど、たぶん外から見たらOHU(OLD Hatena USER)のなかに入るんでしょう。 なんだOHUて。 でもって、はてなBlogも使っているのだけれど、はてなBlog界隈というのもよく知らない。というかはてなBlogとはてなダイアリーの違いがよくわからない(調べろ)(だれか調べて)。 なので、自分の見ている範囲では 「遠方の開拓団(の人口密集地域)でなんか揉めてる」 みたいな感じ。 図にするとこう。 まぁ実際のはてなBlog界隈のなかでも、これと似たような構図というか距離感 (あー揉めてるのか?) (ブログ村? なにそれ?) があるんでしょうけど。 しかしはてなダイアリーにもツイッター連携機能があるのに、Twitter見てると 「はてなブログに投稿しました」 ばかり流れてるのはなんでだろう。 だれか調
なんとなく気が向いたので、酔っ払いながら、思ったことを思ったままに書いてみる。 今日は久しぶりに、茂木健一郎さんのブログから、講演等の音声の最近の分をまとめていろいろダウンロードして、聞くとはなしに聞こえてきた話に耳を傾けていた。 「フューチャリスト宣言」の感想で、いやに僕と茂木さんがシンクロしていて云々というのが多いんだが、僕自身も彼と対談するまでは、対談がこんなふうにシンクロするとはまったく思っていなかったのだ。だって、彼は僕とは正反対の人間だと思っていたし、今も思っているからだ。むしろ意見が大きく対立したように見えた「ウェブ人間論」の対談相手・平野啓一郎さんのほうが、人間としては同じ部類に入るのではないかという気がしている。 茂木さんが芸大でやっている授業で、自分が隠したいと思う秘密を頭に浮かべて、その秘密をその中に隠す文章を書きましょう(意味が通じているかな)、という実験をやってい
というわけで、東京で楽しく過ごしてまいりました! id:rosylillyに倣って はてな社見学 サイボウズ社見学 な感じの順で、2日に分けて書こうと思います。 まずははてな。 はてな社にお邪魔するに至るいきさつなどは『http://d.hatena.ne.jp/lonlon2007/20080206/1202313592』にあるとおり。Lillyによる突然のメールにも関わらず快く許可してくださいました。id:lonlon2007の言葉を借りれば「どこの馬の骨ともわからない」高校生3人組に対して、驚くほど広い懐を以って対応してくれたこと感謝します。 リハーサル 10分ほどの時間を使ってプレゼンをさせて頂けることになっていたのですが、この貴重な機会にトチったらあまりにも残念なのでリハーサルをすることにしました。Lillyと僕の宿泊しているホテルに、朝7:30にlonlonさんがやってきて、餃
(ドンドンドンドンッ!!!!1111) 「あけろやぁ〜」 「おるんやろlaisoぉ〜」 laiso「な、なんだろうこんな真夜中に。まったく。迷惑な話だよ。一流ブックマーカーたるもの日々のトレーニング、栄養バランスの取れた食事、そして充分な睡眠が必要だというのに……」 laiso「(ガラッ)どなた?」 「わしや」 laiso「キモッ!! だ、誰?」 「近藤や」 laiso「似てなッ! って、今深夜4時ですよ?」 近藤「はてなポリスに休みはないんや。はてなポリス署24時や。ひとまず田中の始末は終わったから、laisoんとこきたわ」 laiso「田中さんの安否はどうでもいいんですけど。僕何か悪いことしました? 身に覚えないですよ。」 近藤「laisoがブックマークしすぎてサーバー様に不可がかかっとんのや。おまえはあれや。暴力の塊や」 laiso「ひどッ! いやいや、そんなことみんなやってるじゃな
晴天の価値 2月中旬に出張で千葉へ行った。5日間の滞在中はずっと快晴で、気温は20℃に迫る春のような暖かさだった。仕事は朝から晩まで現場を走り回る過酷なもので、身体的にも精神的にも追い込まれた。毎朝、京葉線から見える美しい景色を眺めて正気を保っていた。太平洋へ燦々と…
できる営業職だった父の背中を見て育った。 学校の成績は良かったが、我ながらおとなしい性格だったので、父のような会社員にはなれないだろう、と小学校高学年の頃に悟った。その頃の将来の夢は考古学者。シュリーマンになりたかった。 それから数年。私が中学生のとき。父、癌を患う。一命は取り留めたものの、落ちた体力では、かつてのように仕事はできなくなる。会社はクビになった(病状の割には長く引き止め、部署を移すなど色々と対策もしてくれたが)。大学時代の友人の伝手で、小さな会社で働き出し、そこでも成果を出すものの、癌の転移が発覚。私が高校の時分に早逝した。 その後、母が生命保険や退職金を切り崩して捻出してくれた金で、出来が悪かったにもかかわらず、私は大学に入学した。小学校時代の神童も、今となっては人並以下。考古学者の夢はとうの昔に捨てていた。折からの不況。まったく学問として興味はないが、手に職のつく資格が欲
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く