「いやぁ、最近は、めっきり、はてなばっかりつかっててねぇ」 という発言を、友達にしてみたところ「はてなの何がすごいのかわからない」といわれてしまいました。 いや、はてなはすごいんだよ、って言って説明しようとしたけど、これが案外うまくいかない。以下、やり取り。 1:技術力がある気がする →はてなは技術屋が多いけど、レベルが非常に高いgoogleのような企業ではないよ、と反論されて行き詰った。これはおいらの技術に関する知識が足りないせいかもしれない。 2:サービスがいい気がする ・はてなブックマーク超便利だよ! →del.icio.us使えばいいじゃん ・はてなダイアリーすげえいいよ! →ブログサービス他にも使いやすいのいっぱいあるよ ・RSSリーダーもあるよ! →Bloglinesのほうが便利じゃない? ・はてなカウンタがあるよ! →xreaのアクセス解析のほうが使
渋谷IT連邦(連邦)はシックスアパート(ジオン)のブログ作戦に対抗するため、新型MSウェブサービスを開発するはてなV作戦を発動した。開発されたMSは、はてなダイアリー(ガンダム)、はてなアンテナ(ガンキャノン)、人力検索はてな(ガンタンク)であった。 しかし、V作戦の開発地はシックスアパートに急襲され、はてなには正規の軍人は残らなかった。そのため、はてなホワイトベースの指揮は、士官候補生だったジュンヤ(ブライト)の手に委ねられた。はてなダイアリーに乗ったのはナオヤ(アムロ)で、ホワイトベースを操縦するのはレイコ(ミライ)だった。 そのはてなを狙う男がいた。ミヤガワ(シャア)である。彼はヒルズからシックスアパートに移り、はてなをつけねらう。 ナオヤ「こいつ…違うぞ!Movable Typeなんかと、装甲も…パワーも!」 ジュンヤ「左舷、サーバー重いぞ! 何やってんの!」*1 ナオヤ「ナオヤ、
自分のブログをよく更新するようになってインターネットとの接し方が少し違って感じるようになって来た。今までブログを書いたときにも感じていたし、これまで何度も語られてきたことではあるけど、ブログを書くというのはネット世界に自分の分身を置くようなものだなと改めて感じる。ブログの記事を書いておくと、しばらく経ってから何か他の人から反応が無いかと思ってネットを見るようになるし、それは何も書かずに他人が書いたものを見るためにネットに向かう時の感覚とは大きく異なる。 楽しみ半分、怖さ半分、という少し複雑な思いを持ちながら、自分がネットの中に出したものがどういう扱いになっているのかを見に自分のブログを覗く。その道具がブログで無くても良いかもしれないが、多かれ少なかれこれからよりたくさんの人がネットの中に自分の分身を置き、これに似た感覚にも支えられながらネット上の人格を維持していく生活になっていくのではない
「はてなのサービスはすり身」というお話。 はてなのサービスの出し方って、いろいろ素材をまぜてどんと置いてるような感じで、「太刀魚と小鯛とアナゴとハモで白身のすり身を作ったよドン」的な、つまり店先に出てる商品には「すり身」としか書いてない、みたいな。 よさそうな素材を混ぜてみました、あとは適当に料理してみてください、あ、小骨がありましたか、つぎは気をつけます、なノンビリの魚屋主人。 はてなにあってGoogleにないもの いくらGoogleがお金を積んでも買えないものがあって、それは サービスを利用しているユーザーのコミュニティ 「手練れ」な口うるさいベテランユーザー のふたつで、Googleがこれらを手に入れているかどうかはともかく、はてなはすでに手に入れているように見えます。はてなの強みは50%メソッドそのものではなく、それを支えるこういった背景にある、と見ることはできるでしょう。 このへ
http://d.hatena.ne.jp/i04/20071205/p1 1970年代後半生に属する私にとって、リンク先のid:i04さんの文章からは懐かしさを感じずにはいられなかった。私が思春期を過ごしたのは田舎も田舎のオタクコミュニティだったので、文化圏間・文化圏内の“センス競争”や優越感ゲームを部分的にしか直視していないけれど、それでもなおオタクコミュニティの内側に『俺ら判ってるよな』という雰囲気が充満しているのはよく分かったし、それは何もオタクコミュニティに限ったことではなかったと思う。 じゃあ今の20代前半世代がそういった自意識の束縛から逃れたかというと、本当にそうなんだろうか、とも感じた。私はそうじゃないと思う。彼らとて、本当は歳相応に中2病だったり、自意識や劣等感と戦っているのではないか、と私は思う。ただし、若年世代のオタ・サブカル者が一見「ものわかりの良い」「優越感ゲーム
株式会社はてなの近藤です。「はてな」という一風変わった名前のウェブサイト(http://www.hatena.ne.jp/)を運用しています。 CNETでブログを書きませんかと誘われて、果たして続くだろうか、業務との両立は可能だろうかという不安がありましたが、ひとまず10月まで、という期間限定で書かせて頂くことにしました。 その背景には、たとえ未熟な考えだろうと、世の中に広く出した方が良いことが多いのではないか、と考えるようになったという理由があります。 インターネットは知恵の増殖装置と言えるのではないかと思います。例えば、たまたま読んだ本に面白いことが書いてあって、自分の専門外で頓珍漢な事を考えているかもしれないけれど、正直にその感想をブログに書くと、思わぬところから「その問題はこういう風に考えることもできるのではないか」とか「私の意見はこうです」といった意見が届くことがあり、より一層
時事小説のコーナーです。時事問題に関連して妄想を綴るのって、わりと小説の王道だよなーと思ったので時々書きます。 - 二代前の店長が極度の恥ずかしがり屋で、歴史を示す資料のほとんどが焼却されたせいで、料亭「兆兆」の正確な起源は明らかではないのだが、少なくとも、渓斎英泉の風景画に登場していることから、それなりの老舗であると見なされていた。 もちろん、歴史を支えるにふさわしい味を備えてもいた。たとえば、数の子一本にしても、通常の料亭ならば、腹から取り出したものをそのまま塩水に漬けるだけだが、兆兆では、卵をひとつひとつ丁寧に剥がして、色や弾力を確認し、基準を満たす卵のみを選びだして、人魚型の、一口サイズの数の子へと仕立て上げた。 しかし、丹念に作られた数の子も、客の口に入る確率はわずか三割程度にすぎない。ほとんどの料理は手つかずのまま残される。なぜなら、接待で、すべてを食べきれる量しか提供しないの
「2000年代の『全ちゃん闘』を知らない?まあそりゃそうだろうね。そのときはまだ生まれてなかったんでしょ?僕?いやそのときは確かに2ちゃんねらだったけど、ノンコテちゃねらーだったからあんまり濃い話はしらないけどね」 「あのときいくつだったかって?30歳をまたいだあたりだよ。1972年生まれだからね。いわゆる団塊Jr.の世代ってやつ。あ、こういう言い方よりは『失われた十年世代』って言ったほうが分かりやすいかな」 「バブル景気ってのがあってね、それがはじけた、あ、バブルっていう株価とか地価が暴騰した時代があったんだよ。過剰流動性っていってわかる?それが一気に縮小して連鎖的な資産デフレが起きたんだよ。バブルって状態が崩壊したことを当時は『はじけた』って言ってたんだ」 「で、その後金融行政の失敗で景気が10年以上にわたって停滞したんだよ。なんか銀行の不良債権とかが問題になってね。オイルショックって
最近はてなの社内では新しい技術を勉強したり、フレームワークや言語を移し変えようかという話も出ていたりして活気が出てきています。技術者も10人を超えて、色々な考え方をする人同士が刺激を与え合いながら切磋琢磨していて素晴らしいなあと思います。そういう中で、僕が技術について思う事を少しまとめてみました。 アウトプットを出す 新しい技術を習得したり、時間を掛けて作り上げた結果は、何かのアウトプットとして出さなければほとんど意味がありません。知識や結果を自分の中に残すだけで終わるのは、それを活かしてサービスを作りたくさんの人が使えるようにする事に比べると驚くほどちっぽけな仕事です。 また、3日間で作り上げた素晴らしい仕組みをそのまま1週間寝かせてしまうのは、4日目に他の人が使えるようにしてから1週間を過ごすことに比べると随分見劣りしてしまいます。 当たり前ですが、どれだけ素晴らしい仕組みを作っても、
昨日発売のAERAに、ソニーの技術者である土井利忠氏の話が載っていました。その記事自体は、天才科学者である土井氏がなぜいま超能力や瞑想、オカルトに熱心なのかというところなのですが、それとは別のポイントで、興味が引かれました。 土井氏は何を隠そう、CDやAIBOの生みの親。CD、AIBOと言ったらソニーを代表するヒット商品なわけですが、土井氏がそれを発案した当初はソニー社内周囲からの猛反対にあったんだそう。 (CD開発スタートは75年、当時アナログ全盛時で)、デジタル方式に変えるのは自社製品をも否定する革命、総スカンだった。音楽産業界からも「ホラ吹き」扱いされた。そんな内外の逆風の中、天外は「やがてデジタル時代になる」という信念のもと、10人余りのプロジェクトチームを率いた。 と記事にあります。自社製品を否定から作れないという、典型的な大企業病に晒されてもなおその意向を貫いた結果の大ヒット。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く