はてなポイントと一緒に気遣いのメッセージをいただいたので(ありがとうございます)とりあえず近況を書いておくと、現在、このブログをはじめ、はてなブックマークや他ブログでのコメントなど、公開の場での発言・発信は一切停止しております。ここしばらくブログを更新しながら、ときどきいただく批判コメントやトラックバック等を参考にあれこれ考えた結果、「別に私が発言する必要なんてないんじゃないか」という結論に達しました。私はもともと「伝えたい」とか「共有したい」という感覚があまりなくって、書きたいことがメモ的に書ければいいので(長文になるのはただの癖)。また、表面的には個別のエントリ内容への批判の形で、事実ではないことや勝手に思い込まれた意図を前提に、まったく関係ないところに政治的スタンスを持ち出されたり人間的な信用を貶められるような道徳的な批判を何度もなされることにうんざりしたというのもあります。私自身は
石原都政に批判的な人々に今求められているのは、繰り言を言うのではなく、なぜ石原氏が支持されたのか、ということと、なぜ反石原氏の声は届かなかったのか、ということの考察であり、さらに言えば、反石原を説いてきた自分の論理の再検討ではないか。自分の論理の根幹を変える必要は当然ない。しかし少なくとも今やそういう論理は少数派になりつつあり、少数派としてどう主張していくのか、ということを考えなければならないはずだ。反石原の論陣を張る者にとって今必要なのは石原都政の継続を選択した東京都民批判ではなく、むしろ石原都政を継続させた反石原陣営の総括である。東京都知事選の結果の感想 - 北条時輔ファンサイトとりあえず左派の人は、現実の「世間」に対して行動するなら、自分たちがもはやほとんどの人にとっては蛆虫以下の気持ちの悪い存在、もしくはカルト宗教団体以下の危険物でしかないということを自覚して行動したほうがいいかも
■「あるひとたち」を嫌う自由 ひとを嫌うことはごく自然、ひとから嫌われることもごく自然 - 「嫌う自由」または「嫌う権利」について タイトルで述べられている「ひとを嫌うこと」一般については私も異論はない。権利だの自由だの言って箔付けしなくても、人は誰かを嫌うもんだし嫌われているもんだ。その現実を認めたほうがいい。 ただなー、個人的には「××というカテゴリーの人々を嫌う権利」とか「差別心を持つ自由」とか、そーゆーことを堂々と主張するのってよくわからん。そういうのってわざわざ主張して認めてもらうようなことだったか? 私だって嫌いな人はいるし、差別的なことを思い浮かべることはある。その人が嫌いなだけなのに「これだから××は」とかつい思ってしまうことはある。「こういうタイプの人は」どうこうと、余計なお世話なことをあちこちに書いていると思う。 私はそういうのは恥ずかしいことだと思ってるけどね(読み返
田中秀征「ミーハーの好き嫌いっていうのはうんと当たる」 - 一人でお茶をを読んで考えたこと。というより以前から思っていたこと(以前にも似たようなこと書いたかも)。左派(右派にもいるが)のダメなところのひとつは、自分と同じ考えを持たない人たち、自分と違う価値観にしたがっている人たちの「センス」を馬鹿にしまくる(自覚はないのかもしれないが)ことだと思う。「石原を支持するやつはダメだ」ってなことをすぐに言っちゃう。時には石原本人を批判するより楽しげにそう言っちゃう。「石原的なものはなぜ危ないのか」と説いてるはずが(説いてないわけじゃないんだが)「石原の危険性がわからないやつは云々」になってしまう。主義主張とか考え方、物事の進め方のまずさ、その立場にある者としてどうかの指摘をしていたはずが往々にして、「そういう主張をする」人の人格とか人としてのセンスがどうこうという話になってしまう。石原個人に対し
asahi.com:朝日新聞のニュースサイト「人が窒息して苦しむ姿に性的興奮を覚える」…こういう嗜好(記事では「性癖」と書かれている。一種の性的嗜好ではあるか)を現実化されると確かに困るし、3人も殺しているし、殺された人たちは気の毒だと思う。でも「再犯を防ぐためにも極刑をもって臨むほかない」って結論は… 現実化してはいけないような性的嗜好を持つがそれを現実化せずにすんでいる人も世の中いると思うのだが(この人だって事件を起こすまでは抑えることができてたわけで)、何かこの被告には更生のための指導や教育(性癖自体はどうしようもなくても現実化しないようにできればいいと思うんだが)を受けつけない、そのための指導をすることは物理的に不可能と判断されるような何かがあったのだろうか。そうではなく(もちろん自分勝手な理由で3人殺したという理由がいちばん大きいのだろうけど)「特異な性癖」だから更生させようがな
たぶんこういうことだと思う - kmizusawaの日記で自分が小学校5年生のときに行われたアンケートのことについて書いたけど、あれはいったいなんだったのだろう。おそらく生徒指導に活かすために教室内の人間関係を把握するというような意図だったのだと思うけど、今そういうアンケートとったら、かりにその結果を保護者に伝えなかったとしても、それだけで問題になるんじゃないだろうか。泉流星「地球生まれの異星人」(花風社)という本の中に、著者が小学校1年生のとき、「先生が教室で生徒の名前を一人ひとり呼び、「この子のお友だちは手を上げて」という調査をした」とある。(p35) そりゃ私の経験したアンケートよりひどい。あと、これはどこで何で読んだのか覚えてないけど(もしかしたら誰かにきいたのかもしれないし、小説などのフィクションに出てきた話の可能性もあるが)、隣の席の子のいいところと悪いところを紙に書いて見せ合
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