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ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (5)

  • なぜ知識人は「希望は、戦争。」に動揺するのか 戦争の消失1 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「希望は、戦争。」への動揺 私たちだって右肩上がりの時代ならば「今はフリーターでも、いつか正社員になってや子どもを養う」という夢ぐらいは持てたのかもしれない。だが、給料が増えず、平和なままの流動性なき今の日では、我々はいつまでたっても貧困から抜け出すことはできない。・・・それなのに社会は我々に何も救いの手を差し出さないどころか、GDPを押し下げるだの、やる気がないだのと、罵倒を続けている。平和が続けばこのような不平等が一生続くのだ。そうした閉塞状態を打破し、流動性を生み出してくれるかもしれない何か――。その可能性のひとつが、戦争である。 識者たちは若者の右傾化を、「大いなるものと結びつきたい欲求」であり、現実逃避の表れであると結論づける。しかし、私たちが欲しているのは、そのような非現実的なものではない。私のような経済弱者は、窮状から脱し、社会的な地位を得て、家族を養い、一人前の人間とし

    なぜ知識人は「希望は、戦争。」に動揺するのか 戦争の消失1 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜオタクはニコニコ動画を語れないのか 「ネット動画時代の芸術作品」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    なぜマンガは子供が見るものなのか マンガは子供が見るものと言われてきた。日のようなマンガによる多様な表現が行われるマンガ先進国でも、まだまだそのような考えは根強い。 なぜマンガは子供が見るものなのだろうか。簡単に言えば、実写に比べて画像表現のリアリティに欠けるからだろう。カメラが写すだけでは、光の情報しかない。人が「見る」ということは、「〜として見る」というように能動的に解釈することが必要である。 マンガは必要な情報だけを抜き出し、デフォルメされて書かれる。だから写真を見る場合には一から解釈する必要があるのに対して、マンガはすでに解釈されて提供される。(実際は写真もなにを写すというような解釈が含まれている。) 社会性が未熟な子供に対してマンガは、かわいいものはかわいく、怖いものは怖く、描くことで理解しやすいように噛み砕いて提供してあげる。その中で子供は社会的な解釈の共通基盤を学んでゆく。

  • なぜ「恋愛格差」は幻想なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    恋愛」という幸福な時代の発明品 「恋愛主義」ということばが流行っていますが、「恋愛」とは資主義によって可能になった最近の発明品です。簡単にいえば、日において「(核)家族」はサラリーマンが全盛の高度成長期のときに生まれ、また「恋愛」がうまれたのは好景気80年代のトレンディードラマからです。 3高、ドラマのような恋愛結婚、年功序列、安定した家庭生活。これらは資主義的好景気と終身雇用にささえられたとても幸せな時代の産物と言えます。そしてその始めから欲望される対象として、「恋愛」は、恋愛格差、モテ/非モテの構造を持っていました。 社会性からの退避 最近のネオリベラル化による市場主義の中で、このような幸せな時代が終わりつつあります。幸福な夢が解体されると、社会的に自立を阻まれている日の女性は、いかにみずからの将来を安定させるか、選択を迫られます。数少ない条件のよい男性を求めて自分を研

    なぜ「恋愛格差」は幻想なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • まなざしの快楽 - なぜ「感情労働」は「マクドナルド化」によって対処されるのか

    「感情労働」時代の過酷 以下の「「感情労働」時代の過酷」の記事は現代の傾向を象徴しているのではないだろうか。 「感情労働」時代の過酷 (AERA:2007年06月04日号)  http://www.asahi.com/job/special/TKY200706050068.html 看護の領域などで知られる、「感情労働」という言葉がある。「肉体労働」「頭脳労働」と並ぶ言葉で、人間を相手とするために高度な感情コントロールが必要とされる仕事をさすものだ。・・・平たく言えば、働き手が表情や声や態度でその場に適正な感情を演出することが職務として求められており、来の感情を押し殺さなくてはやりぬけない仕事のことだ。・・・そしてここにきて、この「感情労働」があらゆる職種に広がり始めている。 ・・・「ひと相手の仕事は昔からあっただろうと、働く側の問題点を指摘する声もありますが、一概にそうではないと考えま

    まなざしの快楽 - なぜ「感情労働」は「マクドナルド化」によって対処されるのか
  • なぜドラマ「14才の母」はうすら寒いのか  死と情動とリアリティ   - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    恋愛ドラマのリアリティ ドラマは基的に障害がありそれを乗り越えることが描かれる。特徴的なのが恋愛ドラマだ。男女が障害を乗り越え結ばれることを基にする。問題は障害をどのような設定にするか。このような障害設定は時代背景を反映する。 たとえば「ロミオとジュリエット」では、障害は家柄であり、駆け落ちものでは身分である。かつてはそのような社会的な秩序(拘束)がリアリティをもっていた。 韓国ドラマは障害のデパートである。韓国ではいまでも日では失われつつある家族関係、家柄などの社会的な秩序(拘束)が重要視されているために、恋愛ドラマでも重要な障害として描かれる。オバサンたちが韓流を好むのは、彼女達が若い頃にも日でもまだこのような社会的秩序(拘束)が働いていたためだ。 最近の若い人たちではそのような社会的秩序(拘束)は、お互い好きなら良いじゃん!と、リアリティを持ちえない。 「不治の病」ドラマとい

    なぜドラマ「14才の母」はうすら寒いのか  死と情動とリアリティ   - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
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