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ブックマーク / crowserpent.hatenablog.com (6)

  • 「萌え」文化はミソジニーの発露なのか - 烏蛇ノート

    オタク文化、特に漫画・アニメオタクの人たちによる「萌え絵」の文化は、これまでもしばしばミソジニー(女性憎悪)、特に男性のミソジニーと結び付けて語られてきました。今回取り上げる墨東公安委員会氏の記事も、以前からよくある論旨の一つだと言えます。 そして小生が指摘せずにはおられないのは、ダイクストラが『倒錯の偶像』であまた紹介した、19世紀のミソジニーを表象した絵画のような文化風潮に相当する存在として、現在の日で比定されるべきは、まさしく「オタク文化とされる、「萌え」的な表象なのではないかということです。現在のオタクの「フェミ」嫌い、強いものに傾く権威主義などが、それを感じさせるにはおられません。 (中略) まとめて言えば、「萌え」好きな「オタク」の一般化・大衆化は、日会議的な反動の風潮と軌を一にしているのではないか、というのが、幾つかの書物を読んで小生が考えていることなのであります。 『

    「萌え」文化はミソジニーの発露なのか - 烏蛇ノート
    white_cake
    white_cake 2016/07/17
    相変わらず丁寧だなあ。
  • 2015-05-31

    フェミニズムが弱者男性を弾圧・抑圧している」という議論とそれへの反論が話題になっています。この議論そのものは以前からみられるものですが、大きく話題になったのはこのまとめからでしょうか。途中までの流れは司馬光氏の記事にまとめられています。 最初のまとめの主題は「生活困窮する高齢男性」ですが、「困窮する高齢男性へのケアの方法論」といった問題はフェミニズム批判している側の主な論点にはなっていないようです。フェミニストであるfont-da氏の「弱者男性のケア」についての記事は、「弱者男性の不満は『ケア役割』の女性が自分に配分されないことではないか」と推測した点が「藁人形論法」であるとして批判されましたが(これが見当違いの推測であることは確かだと思います)、ケアの方法論などについての批判や提案はほとんど見られませんでした。 司馬光氏はフェミニズム批判の内実について次のように述べています。 何故弱者

    2015-05-31
    white_cake
    white_cake 2015/06/01
    ものすごく丁寧で誠実。すばらしい。ほれぼれする。
  • 惚れたが悪い - 烏蛇ノート

    今回ははてな匿名ダイアリーのこちらの記事から。 俺と話す時はすごいうれしそうな顔してて しばらく会わなかったらメールで「ねえ、私のこと覚えてる?忘れてないの?」 とか送ってきやがって 「彼氏にしたい人は家族みたいにいっしょにいて落ち着ける人」とか言いやがって それでこれは99%大丈夫として告白したら 「他に好きな人がいるの」だと。「君の事は大事な友達のつもりだった」だと。 この記事には100件を超えるはてなブックマークが付けられ、それらの大部分がこの相手の女性を非難する論調のものでした。もしこれが「非モテ」の総意なのだとすれば、個人的には何とも暗な気分にさせられます。 (※ この部分について追記しました。) この記事に関連する発言の中で、唯一完全に同意できたのがjituzon氏の記事でした。 勝手に99%いけると思い込んで告白してんじゃねーよ。いや、まあ告白するのはいいとして失恋は失恋と

    惚れたが悪い - 烏蛇ノート
    white_cake
    white_cake 2007/01/16
    おー、キモチイイ。まったくそのとおりだと思います。
  • 性規範と「差別の内面化」 - 烏蛇ノート

    前回の記事を受けてのBLUE PINK氏の記事への返答です。 自分が普通の人間だと思っている人は自分が普通の幸福が得られないことをそう簡単に納得できない。これ自体、他人に暴言吐いたりしない限り悪いことじゃない。 もちろん納得できればちょっとは幸せになれるでしょう。でもそれを普通の幸福を享受する人間から言われたら余計こじれるだけ。じゃあ、てめぇも同じ状況になってみろよ、と。 性規範から自由になれ、っていう前に、まずその規範が与える強迫性を考えるべき。「恋愛男女間が当たり前」という性規範に漏れたゲイなんかに、「男女恋愛に固執するから不幸なんだよ。すなおに今の状態を受け入れることでもっと自由になれるよ」なんていったら怒るだけでしょう。受け入れずらくしてるのは誰なんだよ、と。 規範が与える強迫性というものは確かにあるでしょう。そして、それが「規範に従わなければ社会的承認を与えない」という形でな

    性規範と「差別の内面化」 - 烏蛇ノート
  • 「女友達は恋愛と無関係」に潜むミソジニー - 烏蛇ノート

    最近また放置気味ですが、今回は久々に「非モテ」ネタで。 押井徳馬氏のこの記事では、非モテ男性の人達に「とりあえず彼女作れ」とアドバイスすることの無意味さが論じられています。記事の趣旨には全面的に賛同するんですが、問題はコメント欄でのg氏の発言です。 彼女を作る前に女友達を・・・という下りですが、 彼女を持つ事を最終目的とする場合は、 女友達を持つ持たないというのはあまり意味を成さないと思います。 基的に女性は異性に対して友人と恋人を 性的魅力などの要素で厳格にジャンル分けして、 友達のカテゴリにいれられた人は半永久的に そこから脱する事は出来ないようです。 (中略) こういったことを考えると、特に深い意図も戦略もなく、 単純に女友達を作っても恋愛には繋がらないかと。 g氏と同じような主張は、以前Masao氏からもありました。ここでは「好意は必ずしもセックスに繋がらない」ということが述べら

    「女友達は恋愛と無関係」に潜むミソジニー - 烏蛇ノート
    white_cake
    white_cake 2006/08/18
    ついこの間、友人と同じことが話題になっていたところだったので、感動しました。ものすごく的確なまとめだと思います。ブラボー。
  • 中絶が「女性の権利」である理由(2) - 烏蛇ノート

    私の前回の記事と前後して、海燕氏のところでも中絶について取り上げておられるようです。海燕氏の方の議論の展開にもおおいに興味はあるのですが、こちらはこちらで引き続き論じていきましょう。 さて、前回の記事に、Leiermann氏からコメント欄にて反論を戴きました。ちょっと長いので、適宜抜粋して引用させて戴きます。(イカフライ氏の方は、もう少しお待ちください。) 丁寧なご批判ありがとうございました。 色々考えてみたのですが、正直なところどうしても最後の最後で納得がいかないという感が拭えません。具体的には、「自ら性交渉を行った以上、いくら望まない妊娠と言ったところで自己責任ではないか」という意見を「あくまで個人的倫理の範疇の話」であるとする根拠が見えてこないというところです。むしろそここそが、この問題の肝だと思うのですが。 もう少し具体的に言うと、「身体の自由」という概念を、中絶を正当化するのに用

    中絶が「女性の権利」である理由(2) - 烏蛇ノート
    white_cake
    white_cake 2006/06/16
    避妊は大事だよねえ……
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