導入1 導入2 導入3 基礎1 基礎2 基礎3 基礎4 基礎5 応用1 応用2 応用3 応用4 応用5 応用6 応用7 発展1 発展2 発展3 発展4 発展5 展開1 展開2 展開3
導入1 導入2 導入3 基礎1 基礎2 基礎3 基礎4 基礎5 応用1 応用2 応用3 応用4 応用5 応用6 応用7 発展1 発展2 発展3 発展4 発展5 展開1 展開2 展開3
「良い気分」を作り出す方法はいろいろですが、ここでは1つの音を、できる限り「きれいに」弾いてみるということをしてみましょう。 あるひとつの音を決めてください。「ポーン」と鳴らした音を聴いて気持ちよくなるように工夫して見ましょう。弾きながら、腕をリラックスすると音が伸びて気持ちよくなりませんか? たとえばペダルをふんだらステキな音になったと、いい気分になりませんか? やわらかい、やさしい音が出たときも、美しいと感じたとき、良い音が出ていると私は思います。 そこで、自分が気持ちよくなるように工夫して、その音を鳴らしてみましょう。 体の姿勢や指にかける強さを変えたり、ペダルを踏んでみるのもよいでしょう。 思った音が出せる、というのが真のテクニックです。 そして、「楽」でなければ、良いテクニックではなく、良い音は出せません。 「楽」とは自分の体に感じることです。 自分の体が「楽」だと「良い音」が出
「ピアノ音楽風土記」と題して、長い連載を続けてまいりました。ピアノが登場していたら、ピアノとピアノ音楽がどのように形成されていったのかということを、歴史的な事柄だけではなく、地理的な側面も含めて概観してきました。そこから浮かび上がってくることは、ピアノ音楽史は、ピアノという楽器の音楽史ではないという点です。ピアノ音楽史は、ヴァイオリンなどの弦楽器音楽史や、トランペットなどの管楽器音楽史とは異なる意味を持っています。それはこの楽器がなぜ17世紀末に登場したのか、そしてどのように発展していったのかという歴史的な要因が大きく関わっています。 ピアノ音楽史は近代の音楽史そのものといっても過言ではありません。この楽器とともに近代が形成されていきました。その形成過程において、市民社会の興隆や、近代産業社会の成立、国家主義などの政治的な動向、女性の役割、そして社会な美的な嗜好の変遷などが複雑に関与してい
私たちは、2003年8月に「2夜連続演奏会・真夏の夜の2台ピアノ」を開催し、その第一夜は「フランス音楽をめぐる旅」と題してアンリエット・ピュイグ=ロジェ女史(Henriette Puig-Roget, 1910-92)にゆかりの深い楽曲を取り上げました。ピュイグ=ロジェ先生は、フランスのピアニスト、オルガニスト、作曲家、教育者として活躍された方で、パリ音楽院教授退官後の1979年に来日、1991年まで日本で教育・演奏活動に尽力されました。日本滞在の十余年の間に出演された演奏会は二百回以上に及び、折にふれて文章も書き溜められました。東京・巣鴨のピティナ本部をご訪問された折の写真も残っています。私たちは、ピュイグ=ロジェ先生から直接に教えを受けた者ではありませんが、先生の演奏会の記録、著述、エピソードからいつも新しい発見と進むべき指針を見いだしてきました。音楽に携わる全ての人間の持つべき心構え
1 鍵盤楽器奏者の身分と地位 音楽家の中でピアニストはどのような地位にあるのでしょうか。オペラ劇場の歌手や協会の合唱団員、オーケストラの団員とは明らかにそのあり方は異なります。そもそも、ピアニストという職業はどのように生まれたのでしょうか。 音楽鍵盤楽器でも、オルガン奏者とピアノ奏者の意味も異なります。バロック時代ではオルガン奏者は早くから専門職として認められ、その職位は高い尊敬をもって見られていました。オルガン奏者は、オルガン演奏だけではなく、フーガを含む即興演奏やコラール前奏曲などの演奏など、作曲の高度な技能や、教会における教義やコラール(賛美歌)に関する教養などについても精通していることが求められています。さらに教会のカントールともなると、これは教会音楽で活動する音楽家であれば、目指す最高のポストで、そこでは比類なく高いオルガン演奏の才能が求められました。 それでは同じ鍵盤楽器でもチ
19世紀前半、パリはショパン(1810-1849)、リスト(1811-1886)、タールベルク(1812-1871)といった外国人が活躍した一大舞台だった。しかし、パリで輝きを放ったピアノ音楽の巨星は外国人ヴィルトゥオーゾばかりではなかった。彼らに遅れることわずか数年、パリではフランス・ピアニズムの未来を決定づけることとなるピアニスト兼作曲家たちが次々に誕生する。すなわち、アルカン(1813-1888)、マルモンテル(1816-1898)、プリューダン(1817-1863)、ラコンブ(1818-1884)、ラヴィーナ(1818-1906)たちである。彼らはパリ音楽院に学び、1810年代初期に生まれた異国のヴィルトゥオーゾの技法を取り込みながらピアノによる独自の表現様式を探求した。彼らの音楽作品・教育の伝統は、後のフランク、ドビュッシー、ディエメル、コルトーらへと受け継がれることとなる。 今
19世紀イタリアのピアノ音楽は、さまざまな意味でドイツ音楽の強い影響を受けざるを得なくなってきます。イタリアは確かにオペラの国で、ロッシーニやドニゼッティに始まり、脈々とオペラ文化は継承されていきます。しかし、そうした流れの中に、アルプスの北のオーストリアやドイツにおける器楽の影響から無縁でいることはできなくなってきます。 オペラの国イタリアと、器楽の国オーストリア。この対比は18世紀末から19世紀前半の音楽の状況を考える上ではあながち極端な対比ではないでしょう。事実、ドイツ語圏の音楽では、なかなかオペラの本流と言うべき作曲様式が確立できていません。ウェーバーの「魔弾の射手」は大評判を取りましたが、この作品がすぐにオペラ創作の主流となったわけではありません。むしろ好まれたのは、グスタフ・アルバート・ロルツィンク(1801-1851)の、「ロシア皇帝と船大工」(1837年初演)のようなもっと
導入1 導入2 導入3 基礎1 基礎2 基礎3 基礎4 基礎5 応用1 応用2 応用3 応用4 応用5 応用6 応用7 発展1 発展2 発展3 発展4 発展5 展開1 展開2 展開3
導入1 導入2 導入3 基礎1 基礎2 基礎3 基礎4 基礎5 応用1 応用2 応用3 応用4 応用5 応用6 応用7 発展1 発展2 発展3 発展4 発展5 展開1 展開2 展開3
2015/05/14 レポート/三上香子『成人のピアノ学習者と指導者の意識のずれに関する調査報告』 2013/07/19 レポート/鷹羽綾子『ピアノの基本的演奏技能に関する教授法の比較』 2013/07/19 レポート/梅林 郁子『フーゴー・ヴォルフの《イタリア歌曲集 》研究』 2009/08/07 研究論文/渡邊智子『楽語から見たブラームスの音楽』 2008/04/01 レポート/直江慶子『《ラプソディー・イン・ブルー》その解釈をめぐる一考察』 2007/04/01 レポート/多田純一『エディションの歴史に見るコルトー版の指使い』 2002/04/01 レポート/元吉ひろみ『長寿社会に求められている音楽教育』 2001/04/01 研究論文/渡邉さらさ『バルトークの民謡編曲作品における演奏研究』 2001/04/01 レポート/深井 尚子『ピアノ教育の現状への一提言』 2001/04/0
導入1 導入2 導入3 基礎1 基礎2 基礎3 基礎4 基礎5 応用1 応用2 応用3 応用4 応用5 応用6 応用7 発展1 発展2 発展3 発展4 発展5 展開1 展開2 展開3
スペインのピアノ音楽史は、近年とみに注目を浴びるようになってきました。とくに19世紀末から20世紀前期にかけてのグラナドス、アルベニス、ファリャという3人の作曲家だけではなく、ロドリーゴのピアノ作品のCDも話題を呼びました。 これら近代の作曲家が登場する以前のスペインのピアノ音楽事情はどうだったのでしょうか。18世紀前期においてはドメニコ・スカルラッティが活躍し、ピアノ音楽の先進的な役割を担ったスペインですが、その後の19世紀後半に至るまで、ホアン・クリソストモ・アリアーガ(1806-1826)にまさる作曲家は輩出していません。彼はパリでフェティスに師事し、瞬くまでに才能を開花させました。彼の弦楽四重奏曲はわが国でもCD発売され、非常に大きな評判を呼びました。比類ない独創性と透明な書法は、ドイツロマン派に強く彩られることなく、モーツァルトの古典主義がそのまま継承されたような印象を与えます。
チマローザの後のイタリアのピアノ作品の作曲家はガエターノ・ドニゼッティ(1797-1848)でしょう。ロッシーニは1792年生まれで彼よりも先輩になりますが、ピアノ音楽の作曲ではドニゼッティのほうが先んじています。後述のように、ロッシーニが「老年のいたずら」を作曲するのは、1857-68年の彼の晩年期に当るからです。 器楽作曲家としてのドニゼッティはもっと注目されてしかるべきです。ロッシーニと同様、19世紀前期のイタリアでは、ハイドンとモーツァルト受容がとても重要な意味を持っていました。それはロッシーニの初期の作品、「弦楽のためのソナタオペラ」に端的に示されています。編成はヴァイオリン2、チェロ、コントラバスという編成で、弦楽合奏の形でよく演奏されます。1804年作曲のこの作品集の透明な書法と形式感は、ロッシーニがウィーン古典派、とりわけモーツァルトの後継者の一人であったことを示しています
今年度のC級課題曲『カードマジック』は、ピアノ専攻で指導者の安倍美穂先生が作曲されました。先生はご自分の生徒さんがレッスンや発表会で弾くための曲を日常的に作編曲されてきたそうです。そんななか試しにピティナの新曲課題曲募集に応募したところ、課題曲に選ばれました。これにはご本人が驚かれたそうですが、安倍先生の作品は2年続けて採用されることになりました。 コンクール課題曲の作曲には音楽知識のみならず、ピアノ指導者が教えたいことや生徒が弾きたい曲の傾向をよく把握していることも求められます。その意味で最も現場ニーズを把握しているのは、ピアノ指導者です。 今年度も新曲課題曲を募集します。ピアノ指導者の方々も「こんな曲なら私の生徒に弾かせたい」と思うような曲を作って応募してみては如何でしょうか。新しい才能が開花するかもしれません。
導入1 導入2 導入3 基礎1 基礎2 基礎3 基礎4 基礎5 応用1 応用2 応用3 応用4 応用5 応用6 応用7 発展1 発展2 発展3 発展4 発展5 展開1 展開2 展開3
プリューダンは1817年にアングレームというフランスの地方都市で生まれました。今日でも有名なピアニスト兼作曲家を基準にすると彼はショパンより7歳、リストより6歳、タールベルクより5歳年下ということになります。(左図は彼の肖像。40代頃と思われます)。10代でパリに上京し、パリ音楽院に入学、ヅィメルマンの下で熱心にピアノの腕を磨きます。ピアノ以外にも、彼が和声やオルガン、伴奏法(スコアリーディング)など幅広い音楽的経験を積んだのはこの音楽院においてでした。 1830年代後半、パリでリストと肩を並べ一世を風靡したタールベルクの演奏は、パリ音楽院のピアニストたちに強烈なインパクトを与えました。プリューダンも例にもれず若い頃特にこのヴィルトゥオーゾから強い感化を受け、故郷に戻って修行を積み再び上京、彼自身も優れたヴィルトゥオーゾとして花開いたのでした。彼の出世作ドニゼッティのオペラ《ランメルモール
このたび、ピティナのホームページ上で連載を開始するはこびとなりました。グループPCCの西原と申します。 私たちがこれまでに出合い、演奏してきた2台ピアノの名曲の数々を広くご紹介できることを大変うれしく思います。 世界には、いったいどれくらいの2台ピアノ楽曲があるでしょうか。私たちは、一つでも多くの曲と出合いたいと願って活動を続けています。名曲に時代や国境はありません。私たちは、少しでも心にひびくものを感じれば、どのようなジャンルの音楽でも積極的に演奏し、生きた音を聴き手の皆様にお届けしてきました。これまで百余回のコンサートを開き、数百曲以上の楽曲に取り組みましたが、それでも、数え切れないほどの名曲群のほんの一部に触れたに過ぎません。 私たちは、一回一回のコンサートを、まとまりのよいものにしたいと思っています。 毎回違った内容を考え、選曲と曲順は特に慎重に検討します。お客様にお配りするプログ
19世紀の優れたピアニストの中には、ピアノばかりでなくオーケストラ作品や室内楽、声楽作品を書く力量を備えていた作曲家が少なくない。同時代の一流ピアニストとしてその名が知られたファランク(1804-75)、アルカン(1813-88)、ヒラー(1811-85)、ローゼンハイン(1813-94)、リスト(1811-86)、L. ラコンブ(1818-84)などはみな生涯のうちにオーケストラや室内楽の領域で作曲を行った経験を持つ。彼らは、演奏技術はもとより楽器についての広範な知識・作曲技術を兼備した総合的音楽家だったのだ。ピアノ音楽の代名詞となって久しいショパンや、生涯のほとんどをピアノ作品に捧げたヅィメルマン門下の俊英プリューダン(1817-1863)、ラヴィーナ(1818-1903)、マルモンテル(1816-98)でさえ、協奏曲、室内楽で様々な楽器や声楽などのジャンルで工夫を凝らすことを楽しんだ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く