物語を紡ぐ、その一点においては小説と映画は同じ場所を眼差している。しかし、文字により語られる人生と、映像により切り取られる人の姿は同じものではない。また同様に、小説の行間から漏れ出たものと、フレームの外に追いやられたものも同一ではない。多くの小説が映画という別媒体に置き換えられ、語り直されている。しかし、いわゆる原作と映画が全く同じものであることはありえない。もちろん、だからこそ面白いのだ。本稿では、映画そのものに体当たり評を行うのではなく、その元となった小説に焦点を当て、そのうえで映画を見つめ直してみたい。 ゴールデングローブ賞を受賞、さらに本年のアカデミー賞にて作品賞を含む11部門にノミネートされ、興行的・評価的にも話題となっているのがヨルゴス・ランティモス監督作『哀れなるものたち』だ。 医師ゴッドウィン・バクスター(演・ウィレム・デフォー)の手により胎児の脳を移植された死体は、ベラ・
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