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鉄労と歴史に関するwhitecat_katのブックマーク (30)

  • 国鉄再建を目指し!労使共同宣言が拓く新展開#再編 - 日本国有鉄道 労働運動史

    約一ヶ月ほど経ましたが、改めてアップさせていただきます。 労使共同宣言までの一連の流れ 昭和61年になると、国鉄分割民営化は既定事項となり、鉄労・動労・全施労は「労使共同宣言」を締結し、国労は更に孤立を余儀なくされることとなりました。 改めて国鉄改革関連の時系列を、弊サイト国鉄があった時代から引用しますと下記のようになります。 三塚運輸大臣が、組合幹部に要請したことを受けて、1月13日に杉浦総裁と国労以下組合幹部が会談、鉄労・動労・全施労の三組合は、「 案文については、 若干の主張はある」としながらも、基的には同意できるとして、労使共同宣言を受諾、国労は  「 提案の方法が唐突だ」として、議論に参加することはなく、国労は「労使共同宣言」は受入れ出来ないとして、「労使共同宣言(案)に対する態度」という見解を発表しています。 国鉄余剰職員2万1000人を関連企業が受入 1/7 国鉄は61年度

    国鉄再建を目指し!労使共同宣言が拓く新展開#再編 - 日本国有鉄道 労働運動史
  • 国労内で民同右派による分裂運動(新潟闘争前) Ⅴ - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

    官僚主義に陥る国労という組織 国労は、戦後すぐの昭和22(1947)年に結集された国鉄労働組合総連合会であり、国鉄職員の96%が結集した組合と言われていますが、国鉄の職場は運転・駅業務から果ては、船舶・病院・非現業に至るまで多岐にわたり、昭和26(1951)年には、機関車労組として職能別組合が分裂、その後も同じような職能別への分離が水面下で行われていたようです。 国鉄部内紙、日国有鉄道の記事、「国労松山大会を聴いて」という記事の中で、傍聴した元朝日新聞社論説委員の見解として、国労自身の問題として、いたずらに階級闘争ばかりに拘っている点を指摘しています。 問題は次のようなことである。自分たちの持っている考えこそ、物であり、またそれが階級的であるとうぬぼれて、他の一切のものを受けつけまいとする態度そのものが、自己批判されねばならないということである。他から批判されると、ますます狭い殻の中に

    国労内で民同右派による分裂運動(新潟闘争前) Ⅴ - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】
  • 国鉄労働組合史詳細解説 150 - 日本国有鉄道 労働運動史

    久々に更新させていただきます。 今回から、弊サイト「国鉄があった時代」の記事を参照しながら、自身の記憶を絡めながらお話を勧めさせていただきます。 最初に1985年7月以降の国鉄に関する動きを見ていきたいと思います。 1985年後半(国鉄があった時代) 大畑線【路線廃止】下北~大畑間 下北交通に転換 7/1 岩内線【路線廃止】全線(-14.9km)。ニセコバスに転換 7/1 興浜北線【路線廃止】浜頓別~北見枝幸(-30.4km)。宗谷バスにバス転換 7/1 この内、大畑線は、鉄道経営の経験を持たない民間パス会社に移管した全国初のケースとなる 第1次線40線区のうち29線区の転換が完了 JNRカード会員募集開始 7/1 キャプテン利用の指定券予約受付開始 7/1 国労主催"国鉄の分割・民営化反対、地方交通線廃止反対、地域公共交通を守る全国交流集会"全国各地の「足を守る会」など10団体、約100

    国鉄労働組合史詳細解説 150 - 日本国有鉄道 労働運動史
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2024/02/21
    1985年、国鉄改革を受けて国労の動きを中心にお話をさせていただきます。
  • 国鉄労働組合史詳細解説 149 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中鉄道 ランキング参加中歴史 ランキング参加中社会ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 久々に更新させていただきます。 国鉄分割民営化が、既定の路線として進みつつある中では、市民レベルによる反対運動が提起されるようになってきました。 こうした取り組みの結果、「国民会議の結成」に繋がったと書かれていますが。 こうした動きはあるものの、当時の国労は分割民営化絶対反対が基方針であり、階級闘争という形で当局と対立してきた経緯がある国労からすれば、動労や鉄労のように労使協調路線は出したくても出せないカードでした。 昭和60年頃までは、国労は国鉄内では最大の組織力を誇り、ストライキを行いつつも主張していくことは主張していくとし、市民団体と連携しながら分割民営化反対の運動を続けて行くわけですが、仁杉総裁が昭和60(1985)年6月24日に辞任し、杉浦新総裁が就任した頃から、風向きは

    国鉄労働組合史詳細解説 149 - 日本国有鉄道 労働運動史
  • 国鉄労働組合史詳細解説 148 - 日本国有鉄道 労働運動史

    今回も、引き続き国鉄分割民営化前後の記事をアップさせていただきます。 格化する財政再建論議 国鉄の財政悪化を受けて、国鉄の財政再建が格的に議論が行われていました。 4年前の昭和50年に行われたスト権スト、更には昭和51年の大幅値上げ(初乗り旅客運賃が30円→60円)平均50.4%が行われ、この頃から格的な国鉄離れが始まりました。 その結果、旅客以上に貨物のトラックへの移行が進むなど徐々に国鉄の貨物輸送はジリ貧の状況に追いやられていきます。 昭和52年には、国鉄運賃は法定制から運輸大臣の認可制に変更されることとなり、昭和53年5月には運賃改訂を申請、その後毎年のように運賃は改定されていきました。 それとともに、最後の再建計画と言われた国鉄再建計画が実施されることとなり、貨物列車の減量化などが進められ、昭和57年には旅客・貨物共大幅な減量ダイヤとなりました。特に貨物輸送の減少が大きく、数

    国鉄労働組合史詳細解説 148 - 日本国有鉄道 労働運動史
  • 国鉄労働組合史詳細解説 146 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中鉄道 ランキング参加中歴史 ランキング参加中社会ランキング参加中相互で読者登録しませんか? はじめに 国鉄分割民営化の方向性が示され、動労も国労とは距離を置き始めた時代にあって、国労は分割民営化反対をスローガンに掲げていました。 この時期は、若手職員などが将来に不安を感じて自殺などもありましたが、まだまだ国労は国鉄の中でも最大人員を誇る組織であり、総評もかなり力を入れて応援していました。 世論は、前年のNTTの民営化成功を受けて、民営化には比較的好意的であり、分割に対する不安は持っていたものの、国鉄の赤字を解消するには競争させるべきだ・・・その為に分割するのだと言う論理は冷静に考えれば非常の矛盾した内容でも有りました。 すなわち、前年に民営化された、専売公社も電電公社も分割はされず、それぞれJT・NTTという全国一社の民間会社として誕生したのでした。 そして、電電公社の場合

    国鉄労働組合史詳細解説 146 - 日本国有鉄道 労働運動史
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    whitecat_kat 2023/05/17
    国鉄分割民営化前、昭和61年頃の出来事をアップさせていただきました。
  • 生産性運動前後の国労の動き、動労の動きを中心に(EL・DL一人乗務反対闘争)第四回 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)

    いよいよ題である、機関助士廃止反対闘争に入っていきたいと思います。 今回参照するのは、動労の年史 動労三〇年史を参考にしながら検討を進めていきたいと思います。 反対闘争のきっかけは、ヨンサントウとも深い関係が 国鉄では、動力近代化を進める中で蒸気機関車の廃止を積極的に推進することとして、昭和50年末には蒸気機関車を全廃する方向で進められることとなりましたが、電気機関車・デーゼル機関車の場合、蒸気機関車では必須であった機関助士はその業務が殆ど信号確認だけとなることから、検修の変更と相まって機関助士の廃止も大きな問題となってきました。 国鉄では積極的に合理化対策を打ち出す反面、動労はこうした動きに強く反発、1968年(昭和43)5月28日~6月1日まで5日まで、動労の全国大会が新潟で開催され、同年6月10日には、国鉄社に対し、五万人要員合理化案撤回を中心とした33項目の申し入れを行ったので

    生産性運動前後の国労の動き、動労の動きを中心に(EL・DL一人乗務反対闘争)第四回 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)
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    whitecat_kat 2023/04/26
    国鉄闘争、特に1968年の機関助士廃止反対闘争は、動労が一番力を入れた闘争でしたが、このトラウマがこくえっつ分割民営化時の動労の変節に繋がっていったという可能性は捨てきれません。
  • 国鉄労働組合史詳細解説 145 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中鉄道 ランキング参加中歴史 ランキング参加中社会ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 久々に更新させていただきます。 余剰人員対策として、国鉄では直営店舗などの開設が行われ、関連事業収入のそうかと言うことでの多角化経営が行われることに 国鉄では、仁杉総裁が更迭され、杉浦総裁が中曽根首相の意向を汲んで最後の国鉄総裁として分割民営化を進めることを目的として送り込まれたわけですが、国鉄当局としては強力な合理化により、過員を生み出し(国鉄当局の表現では余剰人員)、多くの人材を直営店などの関連事業に振り分けることとなりました。 当時の国有鉄道という雑誌〈国鉄非現業機関向けの雑誌〉などを参照しますと見返しページなどで、直営店の様子などが掲載されていました。 直営店などの関連事業 国有鉄道 1985年12月号 から引用 こうした関連事業以上に、発生する過員にあっては一時帰休や退職

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    whitecat_kat 2023/04/17
    国鉄本社では大幅な合理化により多くの過員を生み出しており、直営店などを開設しますが、それでも過員は発生しますので、その多くは雑用などの要員として、本来業務から外されることとなるという悪循環にに、
  • 国鉄労働組合史詳細解説 144 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 久々に更新させていただこうと思います。国鉄分割民営化の答申が決定、鉄労は分割民営化を賛成の立場を明確にしていきますが、この時期の動労は多少迷走とも言える状況になります。 仁杉総裁の辞任と国鉄改革 国鉄改革は、高木総裁は全く反対という立場を貫いたことから、任期を残して仁杉総裁と交代することとなりました。 仁杉氏も国鉄出身とは言え、国鉄民営化は止むなしとして最初に発言したことから、国鉄社の幹部からは、改革派として警戒されることとなり、徐々に発言はトーンダウンしていくことに。 この辺は、仁杉氏の変節と言うよりも守旧派の幹部による情報操作的な意味合いが強かったように見受けられます。そして、この頃の組合の動きを見ていますと、三種三用の動きを見ることが出来ます。 総評が国鉄改革に熱心になるのは、自らの組織を守るため 昭和26年に分裂し

    国鉄労働組合史詳細解説 144 - 日本国有鉄道 労働運動史
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    whitecat_kat 2023/02/22
    昭和60年、動労もそれまでのどちらかと言えば当局の動きに合わせるように協力的だった動きから、再び総評にすり寄ることとなります。その背景には当局とのパイプが切れたことにも原因がありました
  • 国鉄労働組合史詳細解説 143 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 久々に更新させていただきます 国鉄では、はあ制する余剰人員に対して万全の措置を講ずとして、他省庁や公社、地方自治体などの受け入れを要請しました。 しかし実際には、他省庁などからすれば中途採用で入ってくる職員さんは、未知数の上適性もある訳でその後なじむ人も居た反面、水が合わず1年もせずに退職したなんて人も居ました。 今回は其処まで踏み込めるか否かは判りませんが、当時の様子を国労に記事以外からも参照しながらその実情に迫ってみたいと思います。 余剰人員という名の定員整理 国鉄では、昭和30年代から概ね40万人台で推移してきました。 昭和30年代は増大する輸送力にそって、迅雲が増える分も吸収できたわけですが、その後は動力近代化などで合理化が図れたにもかかわらず、組合は、反合理化闘争で、人員

    国鉄労働組合史詳細解説 143 - 日本国有鉄道 労働運動史
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    whitecat_kat 2023/01/23
    今回は昭和60年7月の閣議決定の頃からの話しを中心に国鉄改革の話を続けます。
  • 国鉄労働組合史詳細解説 140 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 気がつけば2カ月ほど放置状態となっておりましたので、取り急ぎ更新したいと思います。 今回は、国労の国鉄労働運動史なども参考にしながらアップさせていただきます。 再建監理委員会答申、国鉄を分割民営化することに 1,985年7月26日、国鉄再建監理委員会は、再建監理委員会「国鉄改革に関する意見」を総理大臣に提出することとなりました。 再建監理委員会の特徴は、旅客会社を6つに分割し、貨物会社は線路を間借りする第②種鉄道事業者として扱うこととしていました。 ま他、圧倒的な収益力を誇る東海道・山陽新幹線を中心にして、新幹線は保有機構が譲渡を受けてJRに貸し付ける 旅客6分割 貨物分離で1社 新幹線は一括保有機構が旅客会社に貸付 余剰人員対策 以下、引用「国鉄再建監理委員会答申 *******

    国鉄労働組合史詳細解説 140 - 日本国有鉄道 労働運動史
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    whitecat_kat 2022/07/24
    国鉄分割民営化を打ち出した再建監理委員会ですが、国鉄はこのままではダメだと言いながらも、幹線系は黒字を計上しており、ローカル線に対する対応は残るものの、国鉄が分割しなくてはダメという理由は希薄に
  • 国鉄労働組合史詳細解説 138 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 日も、国鉄改革に関する記事として、労働運動史をアップさせていただこうと思います。 国鉄では、分割民営化に難色を示した高木総裁が椅子を追われ、国鉄OBで西武鉄道の副社長を務めた仁杉巌が国鉄総裁として復帰、国鉄民営化を推進するための勢力として送り込まれたが、やがて民営化消極論に方向転換するに及び、その後運輸省事務次官であった杉浦喬也と交代することとなります。 最終答申が出された昭和60年7月には、国鉄当局には杉浦喬也が総裁として就任、国鉄当局は分割民営化中心となり、当時の国鉄部内紙(国有鉄道)の紙面では、組合の動きといった記事が一切姿を消して、分割民営化一色になってしまいました。 国鉄部内紙 国有鉄道 国有鉄道 目次 このように、国鉄当局はそれまで以上に国鉄改革=分割民営化であるとい

    国鉄労働組合史詳細解説 138 - 日本国有鉄道 労働運動史
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    whitecat_kat 2022/04/08
    国鉄改革、分割民営化答申が出されたとき、当時国鉄の組合はどのように動いたのか、当時の資料などを参照しながら読み解いていきたいと思います。国労が当時正論で分割反対。民営化容認をしていたら・・・思います
  • 国鉄労働組合史詳細解説 137 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 社会党の国鉄民営化案と国労 日社会党(現在の社民党)は、総評の意向を受けて国鉄の民営化はやむなしとして、国鉄の民営化案をまとめます。(最終的な案は昭和61年1月28日に正式発表されたわけですが、そこで提案された、国鉄改革案は、以下の通りでした。 社会党、国鉄改革案 国鉄分割民営化は既定事項としてやむを得ないとするも、あくまでも政府が株式の70%以上を保有することで実質的な国営事業であることを明記するとともに、民間会社ですので、スト権の関する問題は解決される。 雇用の確保については、民営化手法の導入だけですので、問題なくスト権は付与されることとなります。 「国鉄問題社会党案(日鉄道株式会社法案)に関する覚書」では、上述のように国が実質的に運営する株式会社とすべしとしており、「株式

    国鉄労働組合史詳細解説 137 - 日本国有鉄道 労働運動史
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    whitecat_kat 2022/03/07
    国鉄改革の際に社会党では、独自の改革案を提示することとなりました。国鉄の分割は行わず、株式も七〇%は国が保有するというもので、当時では一顧だにされることはありませんでした。
  • もう一つの国労からの分裂、職能労連 - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

    国労から分裂した、新生民同派 国労の新潟闘争は、新潟地方労組を結成することとなりましたが、それ以外にも国労を脱退した、「労働問題研究会」というグループがありました。 彼らは、国労内の新生民同派(いわゆる民同派右派のグループ)と呼ばれており、職能別の組合とすることを目的としていました。 新潟闘争前の、昭和32年6月松山市で開催された国労大会で下記のように解雇された職員が専従役員に選任されたことに対して反発を感じたわけで、っくろうないに設けられていた職能別協議会を発展させて、職能別組織として再編しようと考えたそうです。 国労第16回定期大会開催、解雇三役を再選 6/22~6/27 松山において国鉄労組の全国大会が開催された、結局、国民の信頼をかちえなけれぱならないこと、より姿勢を低くするとも、組合の統一ある行動は守られねばならぬことに結諭を見出した しかし、役員の改選に当っては、解雇された3役

    もう一つの国労からの分裂、職能労連 - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】
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    whitecat_kat 2022/02/16
    現在のJR連合の母体の一つともいえる、鉄労はどのようにして誕生したのか、歴史をひもとくと講和条約の頃まで遡ることが出来ます。
  • 国鉄労働組合史詳細解説 136 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? こんにちは、引き続き国鉄労働組合史をご覧ください。 今回も、国労の資料を参照しながら、独自の解釈を加えていくのですが。 再建監理委員会としては、なんとしても分割民営化は不可避であったとして、世論を作っていきたいと思うわけですが、仁杉総裁が更迭され、推進派の杉浦喬也総裁が就任するに及び、国鉄の分割民営化は待ったなしの状況に追い込まれました。 まして、一足先に二公社(電電公社と専売公社)が民営化され、長期債務の問題等で一番困難と言われた国鉄が残るという構図になっていました。(郵政は現業のため今回の再編では対象外) そんな中で、国労・動労・全施労は国鉄分割民営化では反対という点で一致しており、鉄労だけは地域社制=分割民営化であるとして、分割民営化を進めていくのだという方向になっていまし

    国鉄労働組合史詳細解説 136 - 日本国有鉄道 労働運動史
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    whitecat_kat 2022/01/15
    国鉄分割民営化に至る経緯などを独自の解釈でアップして行きます。鉄労は、職員の全員雇用を求めていたが、杉浦隆也総裁はその申し出は拒否した!!
  • 国鉄労働組合史詳細解説 133 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 長らく更新できませんでしたが、久々に更新させて頂きます。 国労の記事では世界情勢を中心とした内容でしたので、今回は割愛し、国鉄の昭和60年国鉄線9月号からの記事を参照しながら解説を加えさせて頂こうと思います。 国鉄は、昭和59年度で収支均衡を達成した? 国鉄は昭和39年以降赤字決算だったという言うことで、それ故に民営化が行われたと言うことになっていますが。 実は、国鉄監査報告書を参照しますと、国鉄の収支は幹線系に限れば、昭和59年には黒字を達成していました。 これは、昭和60年における幹線系の収支均衡を図るという目的からすれば、1年早く達成した目標でした。 以下は、国鉄部内紙、国有鉄道1985年9月号から引用したものですが。 昭和59年の損益が345億円と営業外損益を差し引いても黒

    国鉄労働組合史詳細解説 133 - 日本国有鉄道 労働運動史
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    whitecat_kat 2021/09/26
    国鉄の分割民営化論議は分割ありきで進められましたが、昭和60年には幹線系で収支の均衡を達成しており、そのように考えるとき、本当に国鉄は分割民営化が正解だったのか?改めて問い直したいと思います
  • 生産性運動導入から、中止まで 第二十六話 支社制度の廃止と国鉄 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)

    久々に更新させていただきます。 直接生産性運動とは直接関係が無いのですが、生産性運動前に廃止された支社制度についても触れておきたいと思います。 支社制度とは 支社制度とは、それまでの総支配人制度に代えて、昭和32年1月16日に発足した制度でした、それまでの総支配人制度は、北海道、東北、関東、中部、関西、四国、九州の7カ所に総支配人が置かれていましたが、総支配人には何の権限もなく、いわば中央の連絡役に過ぎませんでした。 当時の国鉄は、総裁と数人の常務理事で方針が決定されるというもので、特に社ではスト対策等の労務管理に費やす時間が多かったことから、思い切って地域ごとに権限を委譲するというものでした。 その制度は、十河総裁時代に導入されたのですが、支社制度を進言したのは石田禮助が監査委員長をしていた際に、国鉄監査委員として補佐した西野嘉一郎であったそうです。 以下は、国有鉄道 1982年4月号

    生産性運動導入から、中止まで 第二十六話 支社制度の廃止と国鉄 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)
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    whitecat_kat 2021/09/19
    今回は、昭和45年8月に廃止になった支社制度について誕生の経緯やその後廃止に至るまで、更に同時期に出された、国鉄再建に関する提言について書かせていただきました。
  • 新潟闘争後の国労新潟の動きを中心に (新組合結成) - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

    二ヶ月近く更新が滞ってしまいましたが、再び国鉄民主化への道を参照しながら、他の資料も参照しながらアップさせていただこうと思います。 共産党・革同派の王国だった新潟鉄道管理局管内 新潟闘争前の新潟地は、共産党・革同派の拠点であったそうで、新潟地の委員長が列車に乗っていることが判ると、ホームに走って行って敬礼したと言った話も多々あったと、国鉄民主化への道では書かれていますが、現場長の命令よりも組合の命令が優先というおかしな雰囲気の職場であったそうです。 そんな中、共産党・革同派に反対するグループが新潟に生まれつつあり、昭和30年2月1日に「組合を守る会」が結成され、約600人が参加したとされています。 国鉄民主化への道から当該部分を引用させていただきます。 このような共産・革同中心の国労地に反対するグループが、昭和30年2月1日に”組合を守る会”を結成「新潟地は一定の政治感覚の人たちに

    新潟闘争後の国労新潟の動きを中心に (新組合結成) - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】
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    whitecat_kat 2021/09/07
    新潟闘争以後、新組合結成までの話。新潟地方組合はどのような経緯で誕生したのか
  • 生産性運動導入から、中止まで 第二十五話 鉄労視点による生産性運動の意義 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)

    鉄労からみた、生産性運動とは 今回は、国鉄民主化への道から見ていこうと思います。 鉄労による生産性運動 国鉄当局が生産性運動の導入を行う前から、鉄労では独自の生産性運動を組織拡大の一環として取り組んでいたそうです。 国鉄内の地域・職域労組の連合体であった、新国労は1968年10月20日に、単一組織化されて、鉄労に改称していますが。 その2年後、昭和44(1969)年春頃から積極的に組織拡大の一環として、生産性運動に取り組むこととし、各地で「国鉄を守る会」「国鉄を再建する会」「国鉄を明るくする会」などが設置され、組織の拡大に努めていました。 その辺を国鉄民主化への道から引用したいと思います。 当局が生産性教育を開始する頃と同じ頃、鉄労も独自の生産性運動教育を開始した。 会場は伊東市の小室山の麓にある伊東ユースホステルを中心に、都内の今は無いが、飯田橋の富士紡会館等を使用、各回約50名を集めて

    生産性運動導入から、中止まで 第二十五話 鉄労視点による生産性運動の意義 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)
  • 国鉄労働組合史詳細解説 131 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 今回は、鉄労が提唱した地域社制に関しての国労の見解です。 なお、公正を期するために、鉄労自らの、地域社制に関する話を合わせて参照しながらお話を進めたいと思います。 国労視点では、鉄労の地域社制導入は、分割民営化を容認したと認識 最初にお断りしておかないといけないのは、鉄労は、「再建監理委員会の緊急提言に対する我々の意見と任務」並びに「国鉄の分割・民営化から職場を守るために・業務の外注化より労働生産性を高めよう」という別冊資料を提案し、国鉄再建に対する考え方を明らかにしたとしていますが、これは国鉄の分割民営化を容認する、もしくは、推進するものではありませんでした。 国労の資料では、以下のように鉄労がその方針を変節させたという風に書いています。 「現行制度の悪弊を除去すると共に徹

    国鉄労働組合史詳細解説 131 - 日本国有鉄道 労働運動史
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    whitecat_kat 2021/07/18
    鉄労は地域本社制を提言しますが、あくまでも雇用を守るという意味合いであり、分割民営化を容認したものではなかったのですが、マスコミのミスリードで民営化を容認したものと思われました