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鉄労に関するwhitecat_katのブックマーク (31)

  • 国鉄労働組合史詳細解説 131 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 今回は、鉄労が提唱した地域社制に関しての国労の見解です。 なお、公正を期するために、鉄労自らの、地域社制に関する話を合わせて参照しながらお話を進めたいと思います。 国労視点では、鉄労の地域社制導入は、分割民営化を容認したと認識 最初にお断りしておかないといけないのは、鉄労は、「再建監理委員会の緊急提言に対する我々の意見と任務」並びに「国鉄の分割・民営化から職場を守るために・業務の外注化より労働生産性を高めよう」という別冊資料を提案し、国鉄再建に対する考え方を明らかにしたとしていますが、これは国鉄の分割民営化を容認する、もしくは、推進するものではありませんでした。 国労の資料では、以下のように鉄労がその方針を変節させたという風に書いています。 「現行制度の悪弊を除去すると共に徹

    国鉄労働組合史詳細解説 131 - 日本国有鉄道 労働運動史
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2021/07/18
    鉄労は地域本社制を提言しますが、あくまでも雇用を守るという意味合いであり、分割民営化を容認したものではなかったのですが、マスコミのミスリードで民営化を容認したものと思われました
  • https://whitecat-kat.hatenablog.com/entry/2021/05/03/001200

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 久々に更新させていただきます。 今回は大原社会問題研究所の記事などを参考に個人的な見解を加えていきたいとおもいます。 国鉄のあり方を大学の教授に委任するが・・・ 鉄労は、民営・分割を容認する立場を比較的早い時期から示しており。 動労も、昭和61年夏、鉄労の京都大会に松崎委員長が出席する歴史的演出の中、組織の生き残りをかけて労使協調路線に踏み出すことを決定していく中で、国労は分割・民営化共に拒否するという方針を堅持していました。 国労は、国鉄のあり方を問うために昭和58(1983)年1月に「国鉄研究会(座長・高梨昌信州大学教授)」を書記長とした諮問機関を設置し国鉄のあるべき姿を諮問し。昭和59(1984)年10月5日に「国鉄の経営再建に関する提言」を国労に提出したが、その内容は民営化

    https://whitecat-kat.hatenablog.com/entry/2021/05/03/001200
  • 国鉄労働組合史詳細解説 129-2 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 長らく更新出来ていませんでした、今回は国鉄分割民営化反対への国労の対応と言うことで見ていきたいと思います。 国労は一貫して、民営化反対を唱えていましたが、以下の国労独自の国鉄再建案を策定するにあたり、当時の大会の様子などが、国鉄部内紙【国有鉄道】に掲載されておりましたので、一部抜粋しながらご覧いただこうと思います。 今回参照した、国有鉄道10月号 表紙 国鉄分割民営化への反撃、国労の対応 国労は、定期大会での分割民営化反対と余剰人員対策の撤回案を決めたと書かれていますが、具体的にどのようなものであったのかを見ていきたいと思います。 以下は、国有鉄道昭和59年10月号 視点論点という記事から引用したものです。 開会挨拶で武藤委員長は、「行革攻撃には長期戦略に立った反撃態勢の確立こそ緊

    国鉄労働組合史詳細解説 129-2 - 日本国有鉄道 労働運動史
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2021/04/08
    主要組合の全國大会の様子から、国鉄分割民営化の取り組みについて
  • 生産性運動導入から、中止まで 第二一話 国労による反マル生運動 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)

    今回も、生産性運動に関するお話を、鉄労の「国鉄民主化への道」並びに、大野光基氏の「国鉄を売った官僚たち」を参考にしながら、他の資料なども参照して、お話を進めさせていただきます。 国労は、マスコミを利用して生産性運動に対抗することに 国労は、昭和45年後半から格的な反撃に出るのですが、こうした場合、例えば国労の資料だけを見ると国労有利な記述になり、鉄労主体で見ると鉄労有利な記述となり、当然のことながら当局側視点に立つと当局有利となるのはやむを得ないところがあるのですが、どうも時期的な部分や、細かいところで見解が異なる記述があったりして、その整合性をどのように取るべきか少し頭を悩ませています。苦笑 まぁ、そこをどのように整理していくか、もしくは追加の資料を探していくべきかと頭を悩ませています。苦笑 ただ、国労としてもマスコミを使おうとしたことはほぼ間違い無いようで、マスコミ共闘会議を紹介され

    生産性運動導入から、中止まで 第二一話 国労による反マル生運動 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2021/02/20
    生産性運動に関するお話をさせていただこうと思います。
  • 生産性運動導入から、中止まで 第一七話 鉄道労組のマル生運動への考え方 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)

    久々に更新になります。 今回は、鉄労の生産性運動に関する考え方について書いてみたいと思います。 今回は、鉄労友愛会議編、国鉄民主化の道から引用してみたいと思います。 生産性運動と鉄労 鉄労は、元々労使協調路線でスタートした組合と言うことも有り、生産性運動は親和性の強いものと言えました。 昭和46年2月22日・23日に神奈川県湯河原で中央委員会が開催されています。これは、春闘のための会議でしたが、賃金問題よりも生産性運動に関する議論で占められたとしています。 その辺を、国鉄民主化の道から引用してみたいと思います。 鉄労は2月22、3の両日、神奈川県・湯河原の観光会館で中央委員会を開いた。賃闘(春闘)に対する態度を協議するための中央委員会だったが、賃金問題よりも、議論は、ほとんど「国鉄生産性運動」に向けられていた。 鉄労は、生産性運動は鉄労が以前から提唱してきたことで、国鉄再建と言うことで取り

    生産性運動導入から、中止まで 第一七話 鉄道労組のマル生運動への考え方 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2020/10/07
    生産性運動と、各主要組合の動きを、各組合史などを参考に綴って行きます。#国鉄
  • 生産性運動導入から、中止まで 第一〇話 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)

    引き続き、生産性運動運動時代のお話をさせていただこうと思います。 生産性運動に関しては、改めて「国鉄を売った官僚たち」、並びに「国鉄民主化への道」から見ていこうと思います。 生産性運動は、現場管理者に十分理解されていたのか? この時期、国鉄社としては生産性運動を国鉄の柱にしたいとして、社各部局に生産性運動の推進を依頼していました。 ただし、鉄労が指摘するように、一部現場管理者が生産性運動を正しく理解せず、誤った生産性運動を行っているという声も有ったことも事実であったと指摘しなくてはなりません。 これが後に、国鉄当局の不当労働行為だと突っ込まれる余地を作ってしまったといえそうです。 改めて、複数の視点から調べていかないと、誤った判断をしてしまうため、十分な検証が必要です。 国鉄社では、能力開発課長が中心となって、昭和46年3月から4月にかけて社内各局を回り、生産性運動の推進を根回しし

    生産性運動導入から、中止まで 第一〇話 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)
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    whitecat_kat 2020/01/06
    生産性運動の真の意義を体せず、超過勤務の強制、分担業務以外のものの強要という誤った形に消化されようとしている事実が、随所に現れつつあります。
  • 生産性運動導入から、中止まで 第九話 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)

    > 実際には、国労幹部クラスは当局の幹部と癒着して行くのですが、その辺のお話は次回にさせていただこうと思います。 現場で盛り上がる生産性運動の実践的活動 当時の生産性運動の実践的活動はどのようなものだったのでしょうか、生産性運動の実践活動は、国鉄の現場での自主的勉強会から始まっており、昭和45年11月5日には、田端機関区での勉強会の会員が100人を突破したとして記念大会を開催したり、日付は不明なるも、向日町運転所では、独自の生産性研修会の「修了証書」を発行するなどの動きもありました。 そして、こうした個々の活動状況は、昭和46年4月25日から、「生産性ニュース」という記事で紹介されることとなりました。 生産性ニュースが昭和46年4月25日に創刊号が発行された、国鉄を売った官僚たちから引用 「国鉄を売った官僚たち」から引用してみたいと思います。 4月25日(創刊号) 蕨駅に生産性運動推進チー

    生産性運動導入から、中止まで 第九話 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)
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    whitecat_kat 2019/12/01
    今回は、生産性運動が全国的に盛り上がっていった時期、国鉄本社では生産性ニュースという記事が発行されていました、そして生産性運動は管理局単位を越えて、ブロックやがて全国的な運動へと進んでいくのでした
  • 生産性運動導入から、中止まで 第八話 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)

    日も、生産性運動導入から、中止までの第八話として。お話を進めさせていただこうと思います。 参照しているのは、「国鉄を売った官僚達たち」、鉄労編纂の「国鉄民主化への道」などを参照しながら。書かせてもらっていきます。 マル生運動の成果?スト破りする国労・動労組合員 生産性運動は、職員の意識改革が大きかったようで、国労・動労に所属したまま、スト破り(ストライキに参加しないこと)を行う組合員もいたそうで、生産性運動を受講して、自らの意識として、国労の運動について行けないと感じる組合員が一定数いたと言うことになります。 実際、昭和46年5月20日には首都圏でストライキが行われ、旅客列車だけで2,624の電車が運休しますが、首都圏全体では実に60%の電車が国労・動労のストにも関わらず動いたと言われています。 弊サイト、国鉄があった時代を参照しますと下記のように記されています。 国電スト 5/20

    生産性運動導入から、中止まで 第八話 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)
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    whitecat_kat 2019/11/02
    生産性運動は、職員の意識改革が大きかったようで、国労・動労に所属したまま、スト破り(ストライキに参加しないこを行う組合員もいたて、生産性運動を受講し、国労の運動について行けないと感じる組合員がいました
  • 新潟闘争とはどのような闘争だったのか 第一話 - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

    いよいよ、今回から鉄労のを参照しながら、新潟闘争以降の動きを見ていきたいと思います。 今回参考にさせていただくのは、鉄労友愛会議編纂の、国鉄民主化への道という書籍からになります。 Facebookのお友達の方から、国有鉄道史を研究されているのであれば、参考になるのではないかと譲っていただいた一冊であり、鉄労関係のは余りで回っていないだけに大変貴重な一冊であります。 また、お陰様心より感謝いたします。 それでは、さっそく鉄労の母体となったとも言える新潟地方労働組合のお話をはじめさせていただきます。 新潟闘争の発端は、地委員長の解雇から始まった 新潟闘争の発端は、国労が夏期手当獲得闘争で、2名の解雇者を発令しました。 その直接の原因は、越後滝谷駅長が車掌区関係の闘争の影響で、代務車掌として乗務を命ぜられたことから、乗務しようとしたところ、駅のポイント小屋に連れて行かれて軟禁された事が解雇

    新潟闘争とはどのような闘争だったのか 第一話 - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】
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    whitecat_kat 2019/10/28
    国鉄の新潟闘争、その原因は、更にそれに対して国労内の民同右派はどのように動いたのか、鉄労の資料を参考に、私なりの見解を添えて解説致します。国鉄労働組合史詳細解説共々よろしくお願いいたします。
  • 鉄労誕生までのお話 第2話 - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

    正直、鉄労視点で書かれた組合関係の記事というのは意外と少ないのですが、当時の資料などを参照しつつ、弊サイト、国鉄があった時代並びに、関連blog、日国有鉄道 労働運動史等をリンクさせながらお話を進めさせていただければと思っています。 しかし、改めて資料を探していきますと、これまた非常に色々と奥が深そうで、正直自分でも始めなければ良かったと少しだけ後悔しています。苦笑 まぁ、後悔していると言いながら、新しいことを発見できることにわくわくしている自分がいるんですけどね。苦笑 さて、ここで今一度新潟闘争について簡単に振り返ってみますと、「国労新潟地の処分反対闘争により、7月9日2名の解雇者を出した」ことからはじまったものでした。 戦争もそうですが、最初のきっかけは当にちょっとしたボタンの掛け違いから始まるものです。 この辺を最初に、弊サイト国鉄があった時代から引用してみようと思います。 国

    鉄労誕生までのお話 第2話 - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2019/08/28
    日本国有鉄道労働運動史、鉄労視点ということで、第2話を書かせていただきました。今回は新潟闘争から、新潟地方労働組合誕生までの経緯を書かせていただきました。
  • 鉄労誕生までのお話 1話 - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

    鉄労視点で書かせていただくといいながら、そのままになっていましたが、日よりスタートさせていただきます。 鉄労という組織はいつ誕生したのか、元々はどのような組合だったのか、その辺からスタートしたいと思います。 国鉄労働組合 鉄労も、元は国労から分離した組織 最初にお断りしておきますと、鉄労も、動労もそうですが、元々は国鉄労働組合から分化した組織です。 その中から最初に分離したのが昭和26(1951)年に分裂した機関車労組でした。 機関車労組と言ってもピンと来ない方も多いかと思いますが、動労の前身で、機関車乗務員並びに検修要員だけで構成された組合であり、後に鬼の動労とか革マル動労などと呼ばれましたが、結成当初は機関車乗務員の待遇改善(戦前に存在した格差賃金の獲得)を主な目的としたもので、穏健派が主流を占めており、使用者側とも良好な関係を保っており、運転局長・常務理事を経験した木島虎蔵氏を組織

    鉄労誕生までのお話 1話 - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2019/08/16
    国鉄で唯一の同盟系組合の鉄労、その組合視点から見た労働運動はどのようなものであったのか、鉄労の労働運動史を参照しながら自分なりに検証を加えてみる無謀なプロジェクトです