戦前から、阪和電鉄による乗り入れが行われていた南紀方面への乗り入れですが、南海電車も当然のことな伽藍熱心だったわけで、瀞峡ウォータージェット船で瀞峡を観光地として開発したのは南海でしたし、戦後もサハ4801と呼ばれる客車を製作して乗り入れさせていたことは前述のとおりです。 昭和29年の時刻表を参照する限りでは、夜行列車と言える列車は1本だけ、当時の時刻表では 昭和29年の時刻表では、天王寺22:00発【南海難波21:50発】の列車が東和歌山で連結して、新宮まで下っていま新宮着は5:54で108列車下り天王寺行きは、107列車として、新宮を22:00に出発天王寺6:00、南海難波5:55着になっています。】 夜行列車自体は、昭和25年から設定されていたようです、南紀観光は潜在的な需要が多かったと見えて、昭和31年の改正では、夜行列車が2本になります。 当時の時刻表を辿っていきますと、昭和31