鉄労の運動史と、国労の資料などを参照しながら綴っていきたいと思います。 本日も主たる資料を、鉄労の、国鉄民主化の道を参照しながら随時、国労40年史を参照しながらアップさせていただこうと思います。 はじめに 今回は、直接マル生運動の話と言うよりもそれに関連する出来事、支社制度の廃止や、国鉄諮問委員会の答申など、昭和45年頃の国鉄の動きを中心にお話をしてみたいと思います。 ある意味、この時期は生産性運動がことのほか伸びて改革が進む反面、国鉄本社は、その権限を集中する権限強化などむしろ生産性運動とは真逆の方向に舵を切ったのが気になるところです。 なお、この支社制度導入を決定したのは、十河総裁ですが、その提言をおこなったのは、当時国鉄監査委員を務めていた、西野嘉一郎氏で有り、氏が国鉄監査委員長を務めていた石田礼助氏(十河総裁の後任総裁)に提案して、それが実現したそうですが、石田氏が退任後、磯崎総裁
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